列の割り込みやごみのポイ捨てを日本で見かけることはあまりない。中国でも都市部では随分と少なくなってきたようだが、それでも日本よりもマナー違反が日常的に見られると言えるだろう。中国メディアの今日頭条は17日、「日本人の民度はそんなに高いのか」と疑問を投げかけ、それを分析する記事を掲載した。

 記事はまず、中国人の民度の低さについて、中国人旅行客が見られるところではどこでも報じられていると紹介。マナー違反を理由に中国人旅行客が歓迎されないことさえあると不満げに伝えた。これは、1つには各国のメディアが一部の中国人のマナーの悪さを大げさに報じてイメージ操作をしているためで、多くの中国人はそこまでひどくないと弁明した。

 そのうえで記事は、日本のメディアも同様だと主張。「では、日本人の民度はそんなに高いのか」と疑問を呈している。記事は、ごみのポイ捨てや列の割り込みといったマナー違反は日本ではほとんど見られないのは事実だと認めながらも、ここまで民度を上げるのに日本はかなりの年月を要したとも伝えている。

 例えば、明治のころはかなりひどく、「列の割り込みどころか、列を作ることさえなかった」と主張。例えば電車に乗る際は、入り口に人が殺到して互いに譲らず、押し合いへし合いして大変なものだったと主張。ごみのポイ捨てもひどく、1960年代に入るまでは清掃員の掃除が追い付かないほど次々とポイ捨てしていたと、まるで見ていたかのように伝えた。そんな日本の転換点は「1964年東京五輪」だったとしている。

 記事によると、海外からの旅行客が多くなるのを見越して「メンツのため」に厳しい法律を作り、その厳しさは「列に並ばないものを刺股(さすまた)で捕獲し棒で殴るほどだった」のだという。こうした「暴力的」な方法のおかげで今の秩序ある日本ができたが、民度向上のためとはいえ、こんな暴力的な方法は中国には真似できないと結んだ。

 記事は、大げさに報道するメディアを批判しているにも関わらず、記事自体が日本の過去を大げさに批判しているのは皮肉なことである。列に並ばないのは軽犯罪法に触れるとしても、刺股で捕獲された話など聞いたことがない。中国人にとっては、日本人の民度が高すぎて「暴力的な法律」を制定・施行でもしているのだろうと想像してしまうほどなのかもしれない。いずれにしても、国民が自主的にマナーを守るようになったとき、本当の意味での先進国になれるだろう。(編集担当:村山健二)(イメージ写真提供:123RF)

日本人がごみをポイ捨てしないのは事実だ、だが「民度は本当に高いのか」=中国メディア