『週刊プレイボーイ』で「挑発的ニッポン革命計画」を連載中の国際ジャーナリスト、モーリー・ロバートソンが、「正しさ」のなかにある間違いについて考えることの必要性を説く。

* * *

あらゆる物事には黒(陰)と白(陽)があり、お互いを見合う白の中には黒い目があって、黒の中には白い目がある。つまり、光の中には常に影の要因があり、影の中には常に光が存在する――。これが道教の「太極図」が意味するところです。

さまざまな社会問題に置き換えても同じことがいえるでしょう。自分の考える「正しさ」のなかには、間違いがあるかもしれない。なぜ、原発を稼働すべきだという人がいるのか。

なぜ、沖縄にあれだけの米軍基地があるのか。電力会社が、自民党が、アメリカが......など、大ざっぱに仮想敵を見立てることに終始せず、「なぜ、そういう意見があるのか」と考えるのは大事なことです。

先日、音楽配信サービス(ライブストリーミングチャンネル)『DOMMUNE』で、電気グルーヴの楽曲を4人のDJが5時間ぶっ通しで流し続ける特集が組まれました。言うまでもなく、ピエール瀧氏がコカイン使用容疑で逮捕され、関連作品の販売・配信・放送が中止されたことを受けてのものです。

累計約50万人の視聴者が訪れ、ツイッタートレンドは日本で1位、世界全体でも4位を記録しました。

この"大成功"に、フジテレビのワイドショー番組『バイキング』が噛みつき、ちょっとした騒ぎになりました。なぜ、薬物使用で逮捕された人をわざわざ持ち上げるのか。正しさを求める―もっと言えば、"正義"なるものに憑依(ひょうい)している人たちには、それが理解できないのでしょう。

一方、ピエール瀧氏(電気グルーヴ)の多くのファンや擁護(ようご)派は、これに激怒しました。気持ちはわからないでもないですが、「音楽には罪がない」「クラブミュージックに対する偏見と戦う」と、これまた"正義"に執着して反論を試みていることには、正直言って違和感を覚えます。

僕も音楽の世界は長いので、善しあしを脇に置いた上であえて断言しますが、クラブミュージック、特にテクノドラッグは不可分な面があります。それなのに、「日本のテクノは潔白だ、ドラッグとは無関係だ」と言わんばかりの人々が大勢いる。結局、どちらも「影のない光」を求めているだけです。

自分たちが信じているルールや常識は、もしかしたら半分虚像かもしれない。そんな揺さぶりが生じたとき、(意識的か無意識的かは別にして)ある種の"正義"に憑依したい人は、反対側の人々をひたすら潰しにかかります。

しかも理屈ではなく、情緒的に。そして気がつくと、人々の情緒で社会の空気が決まっていく―これが全体主義の入り口です。

僕は大麻の規制緩和を進めるべきだと考えていますが、日本で大麻解禁を主張する人々の多くは、やはり"正義"に固執するあまりまともな議論ができていません。

「われわれは自己管理ができる」などと言う人もいますが、アルコールでさえ自己管理できない人間という生き物が、大麻や各種ドラッグとの付き合いを完全に管理できると思いますか? 人間は弱い、危険性はもちろんある、でも......という出発点から議論しないと、いつまでも平行線です。

どこまでも潔癖ではいられない。ぎちぎちに正しさを求めても、どこかで破綻する。だったら、「どこまで汚れられるか」を議論したほうがいい。そう強く思う今日この頃です。

モーリー・ロバートソン(Morley Robertson)
国際ジャーナリスト。1963年生まれ、米ニューヨーク出身。日テレ系情報番組『スッキリ』の木曜コメンテーター。ほかに『教えて!ニュースライブ 正義のミカタ』(朝日放送)、『報道ランナー』(関西テレビ)などレギュラー多数。本連載を大幅に加筆・再構成した書籍『挑発的ニッポン革命論 煽動の時代を生き抜け』(集英社)が好評発売中!

「どこまでも潔癖ではいられない。ぎちぎちに正しさを求めても、どこかで破綻する。だったら、『どこまで汚れられるか』を議論したほうがいい」と語るモーリー氏