4月にテレビ番組「100分de名著」(NHK Eテレ)でも紹介された『自省録』は、ストア派の哲学者だった第16代ローマ皇帝、マルクス・アウレリウスによる名著である。アパルトヘイト後の南アフリカで人種の壁を越えて国民和解を実現したマンデラ元大統領ほか、ビル・クリントン大統領トランプ政権の国防長官であったマティス米海兵隊大将など各国のリーダーが愛読してきた。近年はシリコンバレーの起業家やアスリートたちにも注目されている。
 2000年近くにわたって読み継がれてきたこの名著を、『超訳 自省録 よりよく生きる』(4月27日発売予定)の編訳者である佐藤けんいち氏が2回にわたって紹介する。前回は、『自省録』の著者マルクス・アウレリウスについて紹介した。今回は、『自省録』の内容と、世界のリーダーたちにどう受け入れられてきたかを解説する。(JBpress)

JBpressですべての写真や図表を見る

(※)本稿は『超訳 自省録 よりよく生きる』(マルクス・アウレリウス、佐藤けんいち編訳、ディスカヴァー・トゥエンティワン、2019)の一部を抜粋・再編集したものです。

日本人にもなじみの深い内容

 哲学というと敬遠しがちな人にも、古代ギリシアにはじまるストア派の哲学は受け取りやすいのではないかと思う。なぜなら、『自省録』を実際に読んでみると気づかれると思うが、日本人にもなじみ深い内容が語られているからだ。

 ここで、『超訳 自省録』の「目次」を紹介しておくこととしよう。全12巻で構成されている『自省録』を、編訳者である私が、内容に従って9項目に分類したものである。

1 「いま」を生きよ
2 運命を愛せ
3 精神を強く保て
4 思い込みを捨てよ
5 人の助けを求めよ
6 他人に振り回されるな
7 毎日を人生最後の日として過ごせ
8 自分の道をまっすぐに進め
9 死を想え

「すべてが瞬間ごとに変化していること」(=無常)や、「すべてがつながっていること」(=縁起)を強調したブッダの思想にも通じるものがあり、「いま、ここ」に集中するべきと説く禅仏教や上座仏教がルーツの「マインドフルネス」を連想させるものがある。

 老子や荘子など道教の老荘思想が説く「タオ」(=道)にも通じる自然観がある。しかも、21世紀の現在にもつうじる宇宙観がある。

「仕方ない」ということばに体現された、きわめて日本的な運命受容と肯定の思想を見いだすこともできる。「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」という『葉隠』の思想を想起する人もいるだろう。

 個人的には、『生き方-人間として一番大切なこと』(サンマーク出版、2014年)というミリオンセラーの著者で京セラの創業者でもある稲盛和夫氏や、合気道開祖の植芝盛平翁の思想を連想させるものがあると感じている。このほか、日本人の思想に近いものが多くあると思うので、みなさんもぜひ、そんな観点から読んでみるといいと思う。

 マルクス・アウレリウス・アントニヌス(紀元121~180年)の時代は、キリスト教が公認される以前の時代であり、『自省録』にはキリスト教の影響は皆無といっていい。つまり、ストア派の哲学は、キリスト教が受け入れられる以前の「実践哲学」であった。

 だが、そうであるにもかかわらず、西欧のキリスト教世界で受け入れられてきたのは、ストア派の「実践哲学」がキリスト教徒にとっても有用だとみなされたからだろう。

激動の時代に迷える者の指針となる「実践哲学」

 西欧世界では、『自省録』は写本をつうじて、ほそぼそとではあるが読み継がれてきたようだ。

 だが、本格的に注目を浴びるようになったのは、16世紀半ばにスイスチューリヒで原文のギリシア語ラテン語の対訳版として活字化されて以降のことだ。激動期の17世紀には、「新ストア主義」として『自省録』を含めたストア派哲学がリバイバルしている。

 熱心な愛読者としては、17世紀スウェーデンクリスティナ女王や、18世紀プロイセンフリードリヒ2世(大王)をあげることができる。

 クリスティナ女王は、フランスの哲学者デカルトスウェーデンに招致したことでも知られているが、プラトンが説いた「哲人王」を理想としていた。「ウェストファリア条約」(1648年)の締結を促進し、キリスト教徒どうしが血で血を洗う「宗教戦争」を終わらせるにあたって多大な貢献をしている。

 啓蒙専制君主であり、軍事の天才であったフリードリヒ大王は、『自省録』を自分の愛馬の鞍のポケットに入れ、戦場にはつねに持参していたのだという。みずからのことを「国家第一の下僕」と称していたフリードリヒ大王には、王太子時代に書いた『反マキャヴェッリ論』(1740年)という著書もある。

 19世紀の「産業革命」以降の欲望全開時代には、マルクス・アウレリウスだけでなく、ストア派全体の人気は下火になっていたが、世界が激動期に入ってきた1970年代以降、ふたたび熱心に読まれるようになってきた。ストア派の実践哲学が、混迷する情況に生きる迷える者たちの指針となることが再発見されたからだ。

 そのなかでも著名な愛読者としてあげるべきなのは、南アフリカネルソン・マンデラ大統領や、米国のビル・クリントン大統領トランプ政権の国防長官だったマティス海兵隊退役大将(2018年12月末に解任)などだ。かれらの出処進退を見れば、『自省録』がどのように影響しているかよく理解できることだろう。

 南アフリカで人種差別のアパルトヘイトと戦い投獄されたマンデラ氏は、獄中に差し入れられた『自省録』を繰り返し熟読したのだという。27年間にも及んだ獄中生活から解放後に南アフリカ大統領に選出された際には、怒りではなく和解こそが重要だと理解したうえで、人種間の壁を越えた国民和解に努めた人であった。

 クリントン大統領は、大統領退任後には1年に1回はかならず読み直しているとインタビューで語っている。マティス米海兵隊退役大将は、「マッドドッグ」や「戦う修道士」という異名をもつ人だが、ペルシア湾やイラクアフガニスタンでの任務の際には、つねに持参していたという。マティス氏と『自省録』については、このコラムでも取り上げている(参考:「トランプ陣営『2人の将軍』の知られざる共通点 マティス国防長官の座右の書は古代ローマの古典」)。

 現在の米国では、ベストセラー作家でメディア戦略家のライアン・ホリデイ氏によって、ストア派哲学の大衆化と普及が活発に行われており、シリコンバレーの起業家たちやアスリートたちのあいだでは、ストア派哲学の心酔者が増えているという。この点にかんしては、『ストア派哲学入門-成功者が魅了される思考術』(ライアン・ホリデイ著、金井啓太訳、パンローリング、2017年)を参照されたい。  

 他人に振り回されることなく自分自身に専念し、目標に向けてセルフコントロールするマインドセットをつくりあげるうえで、ストア派哲学が大いに役に立つからである。それが、本当の意味でストイック(=ストア派的)な生き方なのだ。

「書くエクササイズ」は「セラピー」でもある

『自省録』は、「書く」という「スピリチュアル・エクササイズ」(=精神修行)として実践されたものであることはすでに記したとおりだ。就寝前の瞑想で一日の振り返りを行い、胸中の思いに対して自問自答し、最後に結論として自分を戒め、自分を叱咤激励することばを書く。このプロセスがセルフセラピー(=自己治癒)にもなっていることが、本文を熟読していると理解されることだろう。

 たとえば、こんな文章がある。

 もうたくさんだ。最高責任者の皇帝という、このみじめで不平だらけの猿まね人生。なぜ君は心を乱されるのか? なにかあたらしいことでもあるというのか? なにが君を落ち着かせないのか? 
 原因か? では、これを見よ。
 それとも素材か? では、これを見よ。
 だが、原因と素材の二つ以外には、世の中にはなにも存在しない。
 だが神々に対しては、もっと単純で善良でいるように。
(9-37)

 どうだろう、内容はさておき、マルクス・アウレリウスの肉声が聞こえてくるような思いがしないだろうか。

 おしゃべりであれ、日記に書くのであれ、なんらかの形であれ内面の思いを吐き出すことはデトックス(毒素排出)であり、精神衛生上よいことは言うまでもない。そして自問自答と決意表明の内容を書き終えたあとは安心して就寝し、翌朝に目が覚めたら再び活力満ちた状態で仕事に専念する。マルクス・アウレリウスもまた、そんな日々を繰り返し送っていた生身の人間であった。

 本文を読んでいると気がつくと思うが、似たような内容が表現を変えながら、何度も繰り返し登場する。おなじような内容が多くあるということは、その都度、決意表明をしながらも、あらためてそうし直さなければならなかったことを意味している。厳しすぎる内容だと思う読者も少なくないと思う。だが、決意表明をしても、現実生活では実現できなかったことが多かったのでないだろうか。

 マルクス・アウレリウス没後のことだが、帝位を継いだ長男のコンモドゥス帝が暴君となってしまったのは、その姉、つまりマルクス・アウレリウスの実の娘による暗殺未遂事件に大きなショックを受けたためだとされる。実の子どもたちでさえ、自分の意のままにならないのが人間の性(さが)であり、マルクス・アウレリウス自身もまた、その例外ではなかったのである。

 つまり、マルクス・アウレリウスは「哲人皇帝」ではあったが、けっして聖人君子ではなかったのである。生身の人間だったのである。だからこそ、この本は聖人の教えとして読むべきではない。生身の人間であったマルクス・アウレリウスの肉声を聞き取ってほしいと思う。約2000年の時空間を超えて、現代に生きる人間にも響くものがあるはずだ。

 できれば、みなさんにも「書くエクササイズ」をやってみてほしいと思う。アウトプットすることによって、自分の思いが整理され沈静化されるだけでなく、再び明日への活力も生み出されることになるだろう。「人生は短く、いつ死ぬかわからない」。だからこそ、過去でも未来でもない、「いま現在」を生きる気持ちが湧いてくるはずだ。それが『自省録』全体を貫くメッセージでもある。

[もっと知りたい!続けてお読みください →]  戦場のローマ皇帝、「本当の自分」は哲学者だった

[関連記事]

フリードリヒ大王、なぜ欧州の覇権を握れなかったか

20世紀の2人の「天才」は戦場で何を体験したのか