テレビドラマや漫画、映画、ゲームなどでも、もっとも人気が高い時代と言っていい戦国時代。
1467年に始まった応仁の乱以降、室町幕府の権威が失墜し、守護大名が自らの支配地域を治めるための法律(分国法)をそれぞれ制定したり、守護の家臣たち(守護代やその家臣、国人領主など)が下剋上を成し遂げたりと、激動が続いた。
■三英傑は有名だが…
信長・秀吉・家康のいわゆる「三英傑」は広く知られているが、大きな活躍をしながらも意外と評価が低い武将もいるはず。
そこで、しらべぇ編集部は、全国10〜60代の男女1,755名を対象に、以下の著名な戦国武将の中で「評価が不当に低いと思う1人」を選んで回答を集めた。
(織田信長/豊臣秀吉/徳川家康/上杉謙信/武田信玄/今川義元/毛利元就/伊達政宗/島津義弘/尼子経久/最上義光/長宗我部元親/北条氏康/三好長慶/その他)
そのトップ10をランキング形式で発表しよう。
■10〜8位:島津義弘/徳川家康/尼子経久
5.7%の票を集めて10位にランクインしたのは、島津4兄弟の次男で、「鬼島津」の別名でも知られる猛将・義弘。兄・義久、弟の歳久や家久と力を合わせて九州を統一寸前までに至ったが、豊臣秀吉の九州征伐の前に降伏。
文禄・慶長の役では、明・朝鮮連合軍に「鬼石曼子」と恐れられたとされ、西軍についた関ヶ原の戦いでは、敵陣を中央突破しての戦場離脱に成功している。
9位にランクインしたのは、江戸幕府を開いた徳川家康(5.9%)。誰もが知る著名な武将ではあるものの、判官びいきの日本では、秀吉や石田三成のほうを評価する人も多いための結果だろうか。
8位は、出雲の守護代から11ヶ国の太守に上り詰めた謀将・尼子経久(6.0%)。経久のひ孫にあたる義久の代で毛利元就に滅ぼされてしまう尼子家だが、その全盛期を築いた人物だ。
■7〜5位:伊達政宗/上杉謙信/三好長慶
同率7位の1人目は、奥州の独眼竜・伊達政宗(6.2%)。若き日の渡辺謙が演じた大河ドラマの主人公としても知られている。桶狭間の戦い(1560年)の7年後に生まれた政宗が、「もしもう少し早く生まれていたら歴史は変わっていたかも…」と夢見る人もいるだろう。
同じく7位に入ったのは、「戦国最強の武将」とも名高い越後の龍・上杉謙信。甲斐・信濃を治めた武田信玄との5次にわたる川中島の戦いは、戦国屈指の名勝負として人気だ。その強さほどの評価がない…という意見だろうか。
5位は、7.3%の得票で三好長慶。室町幕府の将軍だった足利義晴・義輝を追放し、下剋上で政権を奪取した実力者だ。近年では、その政治手腕に対して、「織田信長に先んじた天下人」とも評価されるが、いかんせん知名度の低さを不憫に感じる人も多いのだろう。
■4〜3位:豊臣秀吉/毛利元就
7.9%の票を集めて4位に入ったのは、天下統一を成し遂げた豊臣秀吉。人気のように思えるものの、甥で関白だった秀次の処断や失敗に終わった唐入り(朝鮮侵攻)、結局は五大老につけた家康に政権を奪われてしまうなど、で評価されない面もあるかもしれない。
3位は、一介の国人領主から中国地方に大国を築き上げた毛利元就(9.3%)。大河ドラマでは、中村橋之助が演じた。謀略で陶晴賢を破った厳島の戦いや、長男の隆元・次男の吉川元春・三男の小早川隆景に伝えたとされる「三本の矢の教え」はあまりに有名だ。
その業績と比較すると、たしかに今以上に評価されていてもおかしくないだろう。
■2〜1位:今川義元/織田信長
11.5%の支持率で2位にランクインしたのは、桶狭間の戦いで信長に破れ、命を落とした今川義元。ドラマなどの影響ゆえか、義元というと「桶狭間で首を獲られたダメ武将」といった印象を持つ人もいるかもしれないが、それはまったくの間違い。
「海道一の弓取り」とも称えられた名将で、駿河、遠江から三河に至る今川家の最大版図を築いた上に、分国法「今川仮名目録追加21ヶ条」を定めるなど、内政にも優れていた。
武田信玄、北条氏康という戦国きっての名将たちと国境を接しながら、異例の甲相駿三国同盟を成立させ、第2次川中島の戦いで信玄(当時は晴信)と謙信(当時は長尾景虎)の和睦を仲介するなど、外交力も抜群。現在の評価に納得がいかない人も多いはずだ。
1位は15.1%の支持で織田信長だったが、天下統一を目前に本能寺で命を落とした運命に、「もっと評価してほしい」と思った人が多いのかもしれない。
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【調査概要】
方法:インターネットリサーチ「Qzoo」
調査期間:2019年3月22日~2019年3月27日
対象:全国10代~60代の男女1,755名 (有効回答数)
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