このごろ日本でもMMTModern Monetary Theory)という理論が話題になっている。これは20年ぐらい前からあるが、経済学界ではトンデモ扱いだった。それが最近アメリカで注目されたのは、民主党左派の政治家が支持を表明し、その内容が「財政赤字はいくら出してもかまわない」とも解釈できるからだ。

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 MMTが成功例として挙げるのが、政府債務がGDPの240%になっても何も起こらない日本だ。このため日本のマスコミも取り上げ、国会でも議論され、財務省財政制度審議会の資料で、4ページも費やしてMMTに反論した。

MMTは財政ファイナンスの理論

 MMTには体系的な理論がなく、金融理論というより財政の考え方だ。管理通貨制度では、不換紙幣の価値は金本位制のように商品の価値とリンクしていないので、自国通貨の価値は政府が通貨供給量でコントロールできる。

 通貨価値の担保は政府の徴税能力だから、政府は通貨をいくらでも発行できる。財政支出が自国通貨でファイナンスできる限り、政府がデフォルトに陥ることはありえないので、不完全雇用のときは財政赤字を拡大して需要を増やし、失業を減らすべきだという。

 これはケインズ理論と似ているが、ケインズが一時的な雇用対策として考えた財政支出を、MMTは「雇用保障」として制度化すべきだと主張する。これは政府がすべての失業者を雇用して最低賃金を保障するものだ。

 それには巨額の財源が必要になるが、通貨はいくらでも印刷できるので、中央銀行は政府と合併し、財政赤字は通貨でファイナンスすればいいという。MMTがきらわれるのは、今までタブーになっていた財政ファイナンスの理論だからである。

 しかしMMTも、無限に財政赤字を増やせると言っているわけではない。彼らもインフレが起こったら財政赤字の拡大を止めるべきだというが、どうやって止めるのかについての説明は曖昧だ。

 政治家は景気対策が好きなので財政赤字を増やすのは簡単だが、減らすのは大変だ。それは日本の消費税をめぐる騒動をみてもわかるだろう。インフレになったら、すぐ政府が歳出を削減するとか増税すると想定するのは現実的ではない。

ゼロ金利のときしか使えない

 MMTが注目されるようになったのは、世界的なゼロ金利のおかげだ。普通は財政赤字を通貨の発行で埋めると金利が上がってインフレになるが、21世紀にはその常識が通じなくなった。その証拠が日本だ、とMMT論者のステファニー・ケルトンはいう。

日本の経済には十分な余裕があり、これまでもありました。政府債務は過去の財政赤字の単なる歴史的記録です。これによってわかるのは、これまでの赤字財政で日本経済の過熱を招くことはなかったということです。だからこの水準[GDP比240%]の債務を吸収できたのです。

 

 安倍首相がそう意識していたかどうかは別にして、デフレのときは「輪転機ぐるぐる」でお札を印刷しても大丈夫だというアベノミクスは、MMTの壮大な実験だった。「通貨を大量に発行したらハイパーインフレが起こる」と危惧した経済学者が多かったが、よくも悪くもインフレは起こらなかった。

 国会で西田昌司氏(自民党)の質問に対して首相はMMTを否定したが、「2012年に私が総裁選挙で大胆な金融緩和について主張したときに、それをやったら国債は暴落し、円も暴落すると言われた。実際は国債の金利は下がり、円が暴落したわけではない」とMMTの主張を認めた。

 今までのところ日本ではMMTが正しかったようにみえるが、それはこの20年間ずっとゼロ金利で、物価も上がらなかったからだ。この状況では国債と通貨が同じ(したがって正しい金利はゼロ)と考えるMMTは単純でわかりやすいが、金利はなぜ上がらないのか。

 MMTには金利や物価を決める理論がないので、それはわからない。MMTはゼロ金利を前提するだけで説明できないゼロ金利限定の理論なので、金利が上がったら使えないのだ。

安倍首相の「ゼロ金利に賭けるギャンブル」

 ゼロ金利でしか使えないという意味で、アベノミクスMMTと似ている。2013年に日銀の黒田総裁は「量的緩和インフレ期待を起こす」と宣言したが、よくも悪くも何も起こらなかった。2%のインフレ目標は実現できないが、金利上昇も起こらなかった。

 アベノミクスゼロ金利に賭けるギャンブルだが、これは危険な賭けだ。ゼロ金利という異常な状況はそう続かないので財政赤字を減らさないといけない――という財務省の考え方は官僚機構の常識だ。

 他方で、財政危機のようなテールリスクは確率としては小さいので、平時にはそれを無視して放漫財政を続け、何か起こったらそのとき考えればいい――という安倍首相の戦略は合理的だ。

 日本政府は過剰に信頼されているので、その信頼を少しぐらい毀損しても何も起こらないだろう。金利が上がっても日銀が国債を買って「金融抑圧」できるので、ハイパーインフレのような破局的な危機にはならないだろう。

 もう1つの問題は世代間の所得移転だが、ゼロ金利が続くなら政府が民間の代わりに借金したほうがいい。それによって成長率が上がれば税収が上がり、将来世代の負担も減る。これも楽観的に考えれば、しばらくは続けられるかもしれない。

 MMTはゼロ金利という前提条件が変わると成り立たないが、正しい点もある。それは経済政策の目的は財政の安定ではなく経済の安定だという主張だ。財政の健全化は経済の健全化の手段なので、均衡財政は政府の目的ではありえない。

 安倍首相は今のところギャンブルに勝っているが、それは今が経済的には「平時」だからである。政府の役割は戦争や金融危機などの「有事」に備えることだが、それは誰も予想しない形でやってくる。平時に慣れて平和ボケした安倍政権が、それに対応できるかどうかはわからない。

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