今日、お茶(茶道)やお花(華道)と言えば女性が多く活躍しているイメージですが、男性でも端正に着こなした和装で茶を点て、花を活ける姿はなかなかに趣深いものです。

さて、時は戦国末期。戦乱が収まるにつれて武士たちも典雅を好む風潮が強まり、単に武勇のみならず茶道や華道といった文化的な素養も求められるようになりました。

今回はそんな乱世から治世へ移り変わる過渡期の一幕を、武士道バイブル葉隠』より紹介します。

秀吉主催の活け花大会にて

今は昔、天下統一を果たした太閤・豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)が全国の諸大名を集めて活け花大会を催した時のこと。秀吉は大名ひとり一人に花と道具一式を配り、銘々に活けさせました。

もちろん、好き勝手に活けてそれでおしまいではなく、きちんと活けられるか否かで各人の素養を見極める、いわば秀吉による人事考査の一環です。大名たちもその辺りの空気を読んでおり、その反応はさまざま。

こんな機会もあろうかと、あらかじめ修練しておいた器用者もいれば、領国経営に手一杯で花など手にとることもなく、鋏を持つ手元さえ覚束ない者もいたでしょう。

出来る者は存分に腕を奮い、出来ない者も見よう見まねでそれなりに花を活けていく中、身動ぎ一つせぬ者がおりました。

鍋島直茂肖像。Wikipediaより。

彼の名は鍋島直茂(なべしま なおしげ)。かつて討死した主君・竜造寺隆信りゅうぞうじ たかのぶ)の跡目を継いで苦境の血路を斬り開き、肥前(現:長崎県)の大名となった傑物です。

そんな直茂は配られたままの花と、水を湛えたまま空の花器を前に「出来申す」と申告しました。

「どれどれ……直茂は如何に活けたかのう(※心の声:ふふん。肥前の田舎大名が、どんな花を活けたか見てやろう)」

秀吉が楽しみ(意味深)に直茂の席までやって来ると、果たして最初に配られたままの花と花器があるばかり。

「なんじゃ直茂。出来ておらぬではないか」

(さては華道の素養がないものじゃから手も足も出ずに音を上げおったか?……出来ずとも、少しはいじくれば良かろうに、存外だらしのない男じゃのう)

そう失望する秀吉でしたが、直茂の意図は違いました。

「花はわろく候へども……」秀吉の称賛

「ただ今、出来申す」

そう言うなり直茂は置いてある花の束を両手いっぱいに掴みとると、畳にトントン叩いて茎の末端を揃えます。

そして直茂は両腕に懇親の力を込めて、両手に掴みとっていたすべての花を真っ直ぐ剣山に突き立てました。

華道の場らしからぬ大きな音に、近くに同席していた一同は驚愕したことでしょう。余りの気迫に一瞬怯んだ秀吉に、直茂はぐいと花器を突き出します。

「……出来申した」

しばし沈黙の後、秀吉は呵呵大笑。直茂の意図するところが理解できたのでした。

武士(もののふ)の 華(はな)と申さば 戦場(いくさば)に
立てし武勲(いさを)と 丈夫(ますらを)の道

(戦場で立てる武勲と「漢(おとこ)」の道こそ、武士の精華すなわち生き様、人生の見せ場である)

今や天下を掌中に収め、文弱に流れつつある豊臣政権への警告か、あるいは単に華道に暗き故の破れかぶれか……いずれにせよ、直茂の武骨な潔さに胸がすいた秀吉はこれを称賛。

豊臣秀吉像。

「花はわろく候へども、立て振りは美事。」
※『葉隠聞書』第三巻 七より。

秀吉もまた戦国乱世を闘い抜いた一人の武士として、心通じるものがあったのでしょう。

終わりに

とかく平和になると武辺者は疎んじられ、時流に乗って賢(さか)しらに立ち回る器用者が重んじられ、出世していくのが世の習い。

しかし、その平和な世は不器用な者たちが戦いの末に勝ち取ったものであり、そんな武士としての意地が、今回のエピソードに感じられます。

高傳寺蔵「鍋島直茂肖像」貞享二1685年

「治にあって乱を忘れず」

「武」とは本来「戈(ほこ)を止める」すなわち「戦わずにすむための力」を意味します。

本当に強い者こそが平和を勝ち取り、守ることが出来る。その真理は、今も昔も変わらぬ「武」の精華と言えるでしょう。

※参考文献:和辻哲郎編著『葉隠 上』岩波文庫、1982年10月1日

関連画像