2019年4月30日、韓国の文在寅(ムン・ジェイン=1953年生)大統領はソウルから南に車で1時間半ほどの距離にあるサムスン電子の半導体工場を訪問した。
急速に冷え込んでいる韓国経済のてこ入れ策の一環だが、「どうして今の時期に」という批判も相次いだ。
サムスン側の歓迎ぶりはニュース画面からも十分に伝わった。
文在寅大統領が到着すると、グループ総帥である李在鎔(イ・ジェヨン=1968年生)副会長以下の幹部がずらりと出迎えた。
サムスンは大歓迎
「毎日経済新聞」によると、建物に入る際には、文在寅氏のために韓国の作曲家が作った「ミスタープレジデント」という曲が流れたという。
この日、サムスン電子は「システム半導体ビジョン発表会」という行事を開き、この席に大統領が出席する形となった。
今回の大統領の工場訪問のきっかけは年初の行事での、文在寅氏と李在鎔氏との間でのやり取りがあった。
2019年1月15日、李在鎔副会長など財閥総帥などが青瓦台(大統領府)で新年の「大統領と企業人との対話」に出席した。この場で、2人は短時間言葉を交わした。
「昨年はインドの工場を訪問していただきましたが、ぜひ、国内の工場か研究所にもお越しください」
「サムスンが大規模投資をして工場や研究所を作るということでしたらいつでも行きますよ」
これ以降、「大統領のサムスン訪問」の機会を双方が探っていたようだ。
今回の訪問直前の4月24日、サムスン電子は、非メモリー分野の半導体事業を強化する長期方針を突然発表した。
133兆ウォンを投資
2019年から2030年までの12年間に研究開発と設備投資に合わせて133兆ウォン(1円=10ウォン)を投じるという内容だった。まさに「大規模な投資をして工場や研究所を作る」という発表だった。
双方ともに工場訪問を実現させたい思惑があった。
文在寅氏にとってみれば、「経済活性化のために取り組んでいる姿」を国民に見せる機会は、とにかく必要だ。
2017年5月の就任以来、とにかく経済が芳しくない。
2019年4月25日、韓国銀行(中央銀行)が発表した1~3月期の国内総生産(GDP)速報値は実質ベースで前期比0.3%減とマイナス成長になってしまった。
財閥と距離を置く、「経済民主化」「所得主導成長」という経済政策を目指したものの、雇用情勢などを含めて経済はますます低迷している。
北朝鮮との関係改善で政権発足以来、高い支持率が続いていたが、ここに来て「経済」への批判が高まっていたのだ。
経済活性化に取り組む姿勢
サムスン電子の工場を訪問した文在寅氏のスピーチもかなり力が入っていた。
文在寅氏は、メモリー半導体分野で韓国勢が世界一になったことを強調し「世界で最高のメモリー半導体を搭載した『メードインコリア』製品は『先端』の代名詞になった。これに加えてシステム半導体分野でも成功できれば、すべての半導体産業で強国に浮上できる」と語った。
そのうえで、政府も、人材育成や国防や通信分野でシステム半導体の購入を拡大するなど、全面的に後押しをするとの方針を明らかにした。
韓国の主力産業のうち、造船、自動車などの成長が急速に鈍化している。何が何でもやはり半導体を強化しなければならない。
メモリー分野に続いて、システム半導体分野でも世界市場をリードしてほしい。こんな思いがにじみ出たスピーチだった。
文在寅政権は発足以来、財閥を成長のパートナーというよりは改革の対象と見ているかのような印象を与えてきた。
サムスンが熱望した訪問
サムスンはその中でも「標的」だった。
朴槿恵(パク・クネ=1952年生)政権時代のスキャンダルで李在鎔氏も1審判決で実刑有罪判決を受け約1年間、拘置所生活を送った。
労組つぶし、サムスンバイオロジスティクスの粉飾会計問題、サムスン物産の合併の際に国民年金公団にロビー活動をしたとの疑惑など、数多くの問題で捜査、調査を受けていた。
李在鎔氏の裁判は、来月にも大法院の判決が出る可能性がある。
何としても、文在寅政権に協力する姿勢を見せて、事態を打開したい。判決にどれくらい影響があるかは別として、「総帥の再拘束」を避けるためにはどんなことでもするというのが本音だ。
工場訪問の際、李在鎔氏の必死の姿がニュースで繰り返し写った。
担当役員が研究所や工場の建設計画を説明している時、突然、李在鎔氏が割り込むように発言した。
「あの工場1つの投資額は、仁川空港を3つも建設できる規模なんです!」
李在鎔氏の発言に、文在寅氏も「ほー、3つですか!」と答えた。このときの李在鎔氏の得意げで嬉しそうな様子が、繰り返し報じられた。
文在寅氏は、「全国経済ツアー」と称して、2018年10月以降、韓国内の主要都市や工場、研究機関などを視察して、政府の支援を約束している。
サムスン電子の半導体工場訪問は7か所目にあたる訪問だった。
7番目の訪問だが、最大の関心
これまでは、さほど大きな話題にならなかったのだが、やはり韓国でサムスンは特別な存在だ。
訪問が報じられると、様々な反応が噴出した。産業界は、とりあえず「歓迎」だ。
「半導体」は輸出の5分の1近くを占める韓国経済の大黒柱だ。
サムスン電子が主力製品のメモリーだけでなく、アプリケーション製品、ファウンドリー事業などを強化して半導体事業を多角化しようということに期待の声は高い。
これを政府も支援するというのだから悪い話ではない。
だが、一方で、「訪問は不適切だ」という声が、特に大統領を支持していた進歩系のメディアや学者、市民団体などから相次いだ。
「大法院判決を目前に控えた時期に、大統領が被告人と会って激励する姿は、誤ったメッセージを与える」という内容だ。
ある大学教授は複数のメディアにこんな疑問を投げかけた。
「サムスンは2018年夏に今後3年間で180兆ウォンを投資して4万人を雇用すると発表した。今回は10年間で133兆ウォンを投資するということだが、前に発表した内容と重複している」
巨額投資は訪問の『お土産』か
進歩系の市民団体「参与連帯」は、もっと手厳しい。
「2018年7月に文在寅氏がインドのサムスン工場を訪問して李在鎔氏と会った。その直後に『お土産』のように180兆ウォンの投資を発表した。今回は、4月30日の訪問直前に133兆ウォンを投資すると発表した」
「裁判を受けている企業総帥と大統領が会うたびに企業が大規模投資計画を発表するというのは偶然なのか」
進歩系の「ハンギョレ新聞」は「文在寅大統領-李在鎔副会長の会談を見る様々な視線」という社説を掲載した。
「大法院判決を目前に控えて副会長に会うことが適切なのかという指摘は少なくない」
「政府が不要な誤解を避けるためには政策の一貫性が必要だ。最近、経済活力を強調するために、公正な経済という政策が後退しているようだ」
直後の懇談で『積幣清算』継続方針
こんな批判を意識したのか、文在寅氏は5月3日に、首相経験者など社会各分野の長老12人との懇談会で、政権の最優先課題である「積幣清算」作業について次のように語った。
「社会統合のために積幣清算捜査をそろそろやめるべきだという声もあるが、動いている捜査を止めることなどできないし、それは良くない」
保守政権時代の、不正や癒着など「過去から積もり積もった社会全体の弊害」を清算する作業を厳格に継続する意思を改めて示した。
「財閥との癒着などない」というメッセージだったのか。
大統領が、韓国最大企業の工場を訪問する。見ようによってはごく自然なことだが、今の韓国ではそれだけで議論が沸き上がってしまうのだ。
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