不安定な皇位継承に関する「議論」

元号が平成から令和に代わり、新しい天皇が即位しました。ところがそれにより、方々で新たな議論が巻き起こっています。

というのも、現行の皇室典範では
「皇位は、皇統に属する男系の男子たる皇族が、これを継承する(憲法第2条,皇室典範第1条・2条)」
とされているからです。

これに基づけば、現天皇陛下が即位された段階で皇位継承権を持つのは、秋篠宮殿下と悠仁様、それに上皇様の弟で83歳の常陸宮殿下の3名のみとなってしまうのです。

そんな不安定化した皇位継承問題を解決するために

・女性・女系天皇を認めるか?
昭和22年に「皇籍離脱」された旧宮家の方々に、皇籍復帰していただくか?

という議論が巻き起こっているのです。

どちらの意見とも「賛成派」と「反対派」が対立し、Twitterなどのインターネット上では一般人までもが激しく意見を戦わせている様子をよく目にします。

これまでの日本の歴史上「女性天皇」第41代持統天皇第46代孝謙天皇第117代後桜町天皇など、10代8名(2名は重祚)存在しました。

では、一旦臣籍に下されてから再度皇族に復帰して天皇に即位した天皇は、歴史上存在したのでしょうか?

臣下を経て即位した天皇は存在した

実は、そのような複雑な経緯を経て即位した天皇も存在します。それは「猫好き天皇」として知られる宇多天皇と、その皇子である後の醍醐天皇です。

「日本初の猫バカ日記!?臣下を経て即位した宇多天皇を支えたのは、1匹の猫だった」でも取り上げたように、宇多天皇の運命は第57代陽成院の退位により大きく左右されました。

時の摂政・藤原基経は、退位させた陽成院の後継者として仁明天皇の皇子で宇多天皇の父である光孝天皇を擁立しました。

光孝天皇には沢山の皇子・皇女がいましたが、自らをあくまで「中継ぎの天皇」と認識していたため、即位した年に子女全員を臣籍降下させてしまいます。

後の宇多天皇となる定省(さだみ)王も例外ではなく、源定省として臣籍に下されました。

彼は3年後、光孝天皇が亡くなる直前まで後継を指名しなかったこと、権力者だった基経が陽成院の弟の貞保親王を即位させたがらなかったなどの諸事情から皇籍に復帰し、立太子→即位となります。

その宇多天皇源定省だった時に生まれた子が、後に「臣籍の身分として生まれた唯一の天皇」となる醍醐天皇でした。

旧宮家の人々を皇籍復帰させることの問題は?

「そうか、皇籍復帰からの即位という前例があるなら、さっそく旧宮家の皆さんに皇籍復帰していただき、万世一系の男系男子の皇統を守ろう!」

女性・女系天皇反対派の人々がここまでの話を聞いたら、もろ手を挙げてこう言うことでしょう。

しかし、宇多天皇や醍醐天皇と現在皇籍復帰を取りざたされている旧宮家の人々には、決定的な違いがあります。

旧宮家の方々が臣籍に下されたのはもう70年以上前ですから、現在の「当主」たちは生まれた時から「民間人」であり、仕事をして生活もしています。

しかし宇多天皇は「光孝天皇の皇子」として生まれた後に一旦臣籍に下され、自身の不遇を嘆く3年間を経て皇籍に復帰しています。また醍醐天皇の皇籍復帰は父である宇多天皇の皇籍復帰と即位に伴ってのことで、満2歳の頃のことでした。

旧宮家」のまさに当事者である東久邇盛彦氏は、文藝春秋2005年3月号のインタビュー
「学生の頃は、日本史を勉強していると東久邇という名前が出てくるのが嫌で、選択できるときは世界史をとっていました」
「一部の人が議論するだけで、そのまま決められてしまっていい問題ではないのではないでしょうか」
と答えています。

参考リンク

どのような結論が出るにせよ、現在の皇位継承は陽成院の退位~醍醐天皇の即位の時期と同じくらい、緊急性のある状況となっているのは間違いありませんね。

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