南アフリカでアパルトヘイトが廃止された1994年、国歌と国旗が民主主義の象徴となるべく変更された。この新生南アフリカの象徴をデザインした男性が、5月10日に死去した。『News24』はじめ複数のメディアが伝えている。

南ア芸術文化省のナティ・ムテトゥワ大臣(Nathi Mthethwa)は5月12日、アパルトヘイト後の南アフリカ国旗をデザインしたフレッド・ブロウネル氏(Fred Brownell)が5月10日夜にプレトリアの自宅にて死去したことを発表した。79歳だった。

ブロウネル氏は2014年の『The Sunday Times』紙インタビューにおいて、国旗のデザインを2分でスケッチしたと述べている。彼は1982年から2002年まで紋章やバッジ、旗などの事案を発議、管理、監督する紋章院の上級紋章官だった。ブロウネル氏が新しい国旗のデザインを考え始めたのは1990年2月2日、当時の大統領フレデリック・ウィレム・デクラーク氏がネルソン・マンデラ氏を釈放すると国会で発表した後のことである。「上級紋章官として、常に先のことを考えていないといけなかった」というブロウネル氏だったが、いいアイデアを思いついてもすぐにゴミ箱へと捨てる作業が続いた。

そして考えることおよそ3年、スイスで行われた旗章学協会国際連盟の学会に出席していた時、長々と続く会合中に国旗のイメージが突然浮かんだ。その閃きを失わないようブロウネル氏は会合パンフレットを裏返し、そこに2分でデザインをスケッチしたのだ。

ブロウネル氏が描いたデザインは、文化、言語など全てのものを現す3本の線が収束し、南アフリカ国民が一つにまとまって国を作るという象徴でもあった。しかしブロウネル氏の娘クレアさんは、そのデザインがピースマークに酷似していたため3本の線のうち真ん中の1本を消すように伝えたという。

新しい国旗には約7000ものデザインが寄せられ、その後6点に絞られて委員会や内閣に提示された。ブロウネル氏のデザインもその中に入っていた。委員会や内閣で国旗の決定はなされなかったが、彼らの視線が自分のデザインに注目していることをブロウネル氏は気づいていたそうだ。

国旗の最終決定権はネルソン・マンデラ氏にあった。しかしマンデラ氏はその時、ラステンバーグというプレトリアから離れた場所にいたため、デザインを提示し承認を得る時間がなかった。そこでブロウネル氏のデザインはラステンバーグにファックスで送信され、そこで6つの色が入れられてマンデラ氏に提示され、無事承認された。

国旗は国民の心に浸透し、統一のシンボルとなることが重要であると主張していたブロウネル氏。ムテトゥワ大臣は次のように語り、ブロウネル氏に敬意を表している。

南アフリカの国旗をデザインした“フレッド・ブロウネル氏”の名前を語る時は必ず、民主化されたばかりの南アフリカの歴史が取り上げられる。彼は南アフリカに国としてのアイデンティティを与えてくれたのだ。彼の死が今回の第6回総選挙および民主化から25年という節目に重なったことは、歴史的偶然ではあり得ない。」

ちなみにブロウネル氏は、南ア州政府の紋章やナミビアの国旗もデザインしている。

画像は『DispatchLIVE 2019年5月12日付「Designer of new SA flag Fred Brownell dies」(Image: Sunday Times/Waldo Swiegers)』『Voxafrica TV 2019年5月13日TwitterDesigner of South Africa’s current national flag dies aged 79」』のスクリーンショット
(TechinsightJapan編集部 FLYNN

海外セレブ・芸能のオンリーワンニュースならテックインサイト