誰が呼んだか、江戸時代における「日本三大商人」の産地は大阪と近江(現:滋賀県)、そして伊勢(現:三重県の大部分)の三ヶ国だそうで、あまりにたくましい商魂が時として人々の嫉妬や顰蹙を買うこともあったようです。

そうした感情は往々にして蔑称(ネガティブなあだ名)を生み出すものですが、今回は伊勢商人の蔑称として知られる「伊勢乞食(いせこじき)」について紹介したいと思います。

「伊勢屋、稲荷に犬の屎(くそ)」

いきなり汚くて申し訳ありませんが、これは江戸の街にありふれていたものを七五調の韻を踏んで表わした言葉で、生国・伊勢を屋号に称する伊勢商人の多さ≒バイタリティが偲ばれます。

さて、そんな商魂たくましい伊勢商人たちを妬む誰かが、いつから呼んだか「伊勢乞食」……と言ってもそう呼ばれたのは江戸にいた伊勢商人ではなく、お伊勢参りの街道沿いに店を出し、参拝客を相手に荒稼ぎした手合いでした。

現代でも世界中から億単位の参拝者が訪れるというお伊勢様(神宮)は、江戸時代から「一生一度は伊勢参り」と言われたほどに大人気の旅行スポット。

お伊勢参りで賑わう街道の様子。Wikipediaより。

当時も全国各地から参拝者が押し寄せるため、商売にテクニックも何も要らず、店さえ出せば誰かがお金を落としてくれるような様子を見た他国の商人が

「あんな(楽に儲かる)のは商売じゃない。乞食が参拝客から銭を恵んでもらっているようなものだ」

とやっかんで呼んだのが「伊勢乞食」とも言われます。

※ちなみに、お伊勢参りの街道沿いには本物の伊勢乞食もたくさんおり、信心深い参拝者の慈悲にすがって糊口をしのいでいたようです。

「雪解する道に湧出る伊勢乞食」
※『江戸高点附句集』

【意】春になると、雪解けの街道に参拝者目当ての乞食が湧き出してくる。

伊勢商人の心意気

……とまぁ、これだけなら単なる悪口あるいは僻みで話も終わるのですが、この「伊勢乞食」という言葉には、また違った意味合いもあるようです。

言うまでもなく、伊勢国は神宮すなわちそこにお祀りされている日本の至高神である天照大神(あまてらすおおみかみ)のお膝元。伊勢に住まう人々は、少なからずそのことを誇りに思い、神様に恥じないよう心がけると聞き及びます。

天照大神(中央)。Wikipediaより。

普段は乞食のようににがめつい(と言われる)伊勢商人も、人の道に外れることは決してしない(そうです)。

「お天道様が見てござる

たとえどんなに食い詰めようと、悪事に手を染めるくらいなら、いっそ乞食を選ぶのが、伊勢商人の心意気……むしろそんな事にならないよう、日ごろから商売に励んでいたのかも知れません。

終わりに

何かと世知辛い昨今、「勝ち組」「負け組」なんてさもしい言葉が流行り出したのはおよそ20年ばかり前と記憶していますが、勝ち負けにこだわり過ぎるあまり、いつも助け合って生きてきた日本人らしさが失われつつあるように感じられてなりません。

もちろん人生、時には「負けられない戦い」もありますし、乞食になるのも御免こうむりたいところではありますが、人間誰もが裸で生まれ、この世で得たすべてを遺して死んでいくのは、誰一人として逃れ得ない摂理です。

確かにお金は大切だけど、お金のためだけに生きている訳じゃない。まして悪事を働く価値なんてない。

悪事に走るくらいなら、乞食の方が、よっぽどマシ(イメージWikipediaより)。

まっとうに人事を尽くした上で、乞食になるならなったでいいさ。お天道様は見てござる悪いことさえしていなければ、悪いようにゃぁなさるめぇ……そんなある種の開き直りが、私たちの人生を少しばかり気楽にしてくれるかも知れません。

※参考文献:
松村明 編『大辞林 第三版』三省堂、2006年10月27日
もぐら『県民性マンガ うちのトコでは』飛鳥新社、2010年1月23日

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