Point
■ブリストル大学の言語学者が世界最大の奇書「ヴォイニッチ手稿」の言語ルールを解読
■手稿に用いられていたのは、すでに絶滅した言語「ロマンス祖語」だった
■さらに手稿はアラゴン王国の王妃マリア・デ・カスティーリャのための参考資料として編纂されたものと判明
例のアイツがまた解読された。
世界最大の奇書「ヴォイニッチ手稿」。1912年にイタリアで発見されて以来、数多くの天才たちが手稿の解読を試みるも次々と失敗してきた。その中には、「史上最高の頭脳」と謳われたアラン・チューリングもいたそうだ。
ところが発見からおよそ100年、イギリス・ブリストル大学の言語学者ジェラルド・チェシャー教授がなんとたったの2週間で解読に成功したというのだ。
チェシャー教授が解読したのは、手稿に用いられている言語・表記ルールおよび書かれた年代や場所であるとのこと。数百ページにわたる内容全体の解読はこの成果をもとに進められる予定だ。
研究の詳細は、4月29日付けで「Romance Studies」上に掲載されている。
https://www.tandfonline.com/doi/full/10.1080/02639904.2019.1599566
「絶滅した言語」が使われていた
チェシャー教授はまず、手稿のアルファベットが現在でも馴染みのある文字と見たことのない文字の組み合わせで出来ていることに着目した。文字はすべて小文字で書かれており、二重子音(sh,ks,kyなど)は見られなかった。
いくつかの文字には発音アクセントを示す記号が使われており、また発音表記の簡略化を図るために二重母音(ai,ou)や三重母音(fire,tire)も使用されていた。さらにラテン語表記の文字も数カ所だが見つかっている。
こうした特徴からチェシャー教授は「すでに絶滅しているロマンス祖語(Proto-Romance)ではないか」と推測した。
これは今日のポルトガル語やスペイン語、フランス語、イタリア語などの母語であり、現在のところロマンス祖語の記録文書は確認されていない。
というのもロマンス祖語は中世の地中海地域で普遍的に使われていたものの、公式に記録する重要な文書には用いられなかったのだ。王室や教会、政府などが使う言語は主にラテン語だったため、ロマンス祖語が文書として残ることがなかったという。
王妃のための参考資料だった!?
さらに炭素年代測定によると手稿が書かれたのは15世紀中頃のことだと判明。こうした年代や表記ルールの解明から、手稿の驚くべき内容が徐々に明らかとなってきた。
チェシャー教授によると、手稿はアラゴン王国の王妃マリア・デ・カスティーリャのための参考資料としてドミニカ修道女が編纂したものだという。マリア(1401〜1458年)は時のアラゴン王兼ナポリ王アルフォンソ5世の王妃で、夫に代わりアラゴン・カタルーニャを統治していた。
手稿には王妃マリアとその臣下が貿易交渉をしている図が描かれたページがある。
アラゴン王国はイベリア半島北東部、現在のスペインに位置する国で地中海に属していた。つまり手稿の文字が「ロマンス祖語」という推測はかなり妥当性が高いのだ。
しかしなぜラテン語ではなくロマンス祖語が使われたのだろうか。
おそらく「参考資料」程度なら、わざわざ公式記録用の「ラテン語」を使う必要がないと判断したのかもしれない。王妃が気軽に読めるよう、堅苦しいラテン語をあえて避けたとも考えられる。
また、手稿内にある見開き型の地図が時代・場所の特定に大いに役立ったそうだ。
地図には1444年にイタリア西海岸のティレニア海で起きた火山噴火および王妃主導で行われた救助活動の様子が記されている。
Aは噴火する火山図、Bはナポリ湾に浮かぶイスキア島の火山、Cはイスキア島の東側に位置するカステロ・アラゴネーズ小島、Dはシチリア州のリーパリ島。
他にも裸の女たちが入浴する図や流産や死産、占星術や女性心理といった、王妃向けの内容が多数見られた。またハーブ治療や入浴療法などまだまだ解読すべきページが残されている。
チェシャー教授は「今回解明された言語表記ルールを活用して、専門家たちと内容の解読作業を進めていく予定だ」と話した。
「こいつ…いつも解読されてんな」といった趣きだが、前回のトルコ語説と引き続き、今回も中々筋は通っているのではないだろうか。個人的には「誰かの黒歴史ノート」説も捨てがたいところだ。
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