教育再生実行会議と言う胡散臭い組織が、「いじめ対策、体罰問題に関する報告書」に「児童・生徒の『心の教育』を充実させるため、道徳を学習指導要領で正規の教科と位置づけることを政府に求める」ことになった。2月16日付の読売新聞が報じている。

まず、いじめや体罰の防止対策として、「道徳」を持ち出してくる安直さには呆れる。子どもにどれだけ「道徳」を教育しても、いじめはなくならない。また、体罰に関しては、主に教師という大人の側の問題なのだから、教師に対して「道徳」を教育しなければ意味がない。

そもそも、「道徳」を学校で子どもに教えるということ自体が、筆者には薄気味悪いことのように思える。理由は簡単で、「道徳」を教えるということが、子どもにある種の価値を押しつけたり、植え付けようとする試みに見えるからだ。

中学校学習指導要領の「第三章 道徳」に書かれている「道徳」教育の目標は、「道徳的な心情、判断力、実践意欲と態度などの道徳性を養う」ことだと言う。つまり、道徳性という価値を子どもに押しつけ、植え付けることが、「道徳」教育の目標であるように思える。

ここでは、価値の意味を「何かに対して、こうあるべきだという望ましい基準」にしておく。筆者は、価値というものは、誰かから押しつけられたり、植え付けられたするものではなく、多くの選択肢の中から、自分の頭で考えた上で選んでいくものだと考えている。

もちろん、自分で選んだ場合、時には適さない価値を選んでしまったりもするが、他の選択肢があることを知っていれば、軌道修正は可能だ。一方、誰かに価値を押しつけられたり、植え付けられるとどうなるのか。

極端な事例だが、各国の紛争地で活動する少年兵が筆者には思い浮かぶ。組織によって人を殺すことの正当性を価値として叩き込まれた子どもは、殺人マシンとして武器を手に取り、無感情に人を殺すようになる。

子どもには、まだ価値を選択できないから、誰かが教える必要があるとも言える。しかし、教えるのは、せいぜい家庭とか地域社会といった小さな単位の組織にしておいたほうがいい。教える側が国家などの大きな組織になればなるほど、一歩間違えると国家に都合のよい価値を、一気に、大規模に広めることになってしまう。

(谷川 茂)