前方の「方」は方形のこと

ユネスコ世界文化遺産に、「百舌鳥・古市古墳群」が登録されることがほぼ確実になりましたね。

大仙陵古墳もしくは仁徳天皇陵といったほうがピンと来る人も多いのではないでしょうか。

仁徳~というのは通称で、宮内庁による正式な呼称は「百舌鳥耳原中陵(もずのみみはらのなかのみささぎ)」といいます。仁徳~といいつつ、被葬者は誰なのか不明で、未だミステリーに包まれています。ですので現在では大仙陵古墳と表すことが多くなっています。

ところで、仁徳陵といえば「前方後円墳」ですよね。小学生の頃から教わっているので違和感なく定着している「前方後円墳」という言葉。字をそのまま受け取ると、前の方が後ろの円墳・・・ん?どういうこと?となりません?

実は筆者は長い間その疑問をなおざりにしてきました。

そもそも方というのは「前方(ぜんぽう)」という方角の意味ではなく、方形=四角形という意味でした!

なので、「前方後円墳」は「前が方形で後ろが円形の古墳」ということになります。
知ったときは気分すっきり。方形と円形がつながっているので、空から見ると鍵穴の形のように見えます。

結局前はどちらなのか

そもそもこの通称、江戸時代後期の蒲生君平という学者が用いた名称。彼の古墳の研究書『山陵志』に初めて記され、定着しました。「必象宮車而使前方後円」と書かれており、陵墓の形を宮車と見立てて、円を人が乗る台座、四角い部分を車を引く輈(ながえ)として捉えたので方形が手前だと仮定したとのこと。

しかし本当はどちらが前なのか長い間不明でした。
近年の研究では、やはり円形の部分に死者が葬むられ、方形の部分は通路または祭祀を行う場所だと定義づけられています。なので、方形部分が手前と捉えて問題なさそうです。

また、墳墓が円形なのは古代中国の思想によるもので天を表し、方形は四角い地を表す「天円地方」の考えによる、という推理も。亡くなった王は円い天に葬られることにより神格化され、後の王は先代を祀り地上の支配者として君臨するという意味です。ちなみに貨幣にもそれが用いられ、丸い円に四角い穴が穿たれているのはその理由からといわれています。

蒲生君平(Wikipediaより)

 

山陵志』蒲生秀実(君平)(国立国会図書館蔵)

こんなにあった、古墳のカタチ

日本の古墳は大きく分けて前方後円墳、前方後方墳、円墳、方墳の4つに分類されます。

なかでも高いランクに位置付けられていたのが前方後円墳。各地の同古墳には、王(おおきみ)やその一族、大和政権と密接な関係をもった地方の首長が埋葬されているといわれています。

前方後方墳=舌を噛みそうですが、前も後ろも方形の古墳。仁徳陵と同じように前方が末広がりで、古墳前期(3~4世紀)に広く造られました。代表は徳川光圀に保全された栃木県の下侍村古墳
帆立貝型古墳=字のそのまま、ホタテの形です。一説には前方後円墳を作る許可を政権からもらえなかった首長の墓ともいわれています。
双円墳=大きい円と小さい円のつながった古墳。大阪の金山古墳しか存在しません。
双方墳=四角が二つ並んでいます。なぜ長方墳と呼ばないかはわかりません。二つの意図が違ったのでしょう。代表は大阪の二子塚古墳
双方中円墳=古墳時代前期に多く作られる。上から見ると中央が円で上下が方形。櫛山古墳(奈良県天理市)など。
双方中方墳=上から見ると中央が円で上下が方形。非常に珍しい墳形で、代表は三重の明合古墳群。
上円下方墳=下が四角で上が円という立体構造。近代以降の皇室陵墓に採用されています。全国で6基しかありません。東京の武蔵府中熊野神社古墳など。

武蔵府中熊野神社古墳(Wikipediaより)

八角墳=その名の通り八角形。古墳時代の末期から飛鳥時代にかけてつくられる。代表は奈良県のや奈良県の野口王墓古墳。
六角墳=その名の通り六角形。全国に2基しかありません。代表は奈良県マルコ山古墳。
上八角下方墳=上八角下方墳は上に八角形、下に四角の2段構成。代表的なのは奈良県の舒明天皇古墳
横穴墳・地下式横穴墳=古墳時代末期。代表的なのは熊本県の鍋田横穴群。

他にもまだ種類はあります。世界遺産になりブームになりそう?な古墳。意外と身近なところにありますので、地元の古墳を調べてみてはいかがでしょうか。

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