鴻海(ホンハイ)精密工業のカリスマ経営者である郭台銘(テリー・ゴウ)氏が、2020年の台湾総統選挙に出馬する。鴻海はiPhoneの製造を一手に引き受ける巨大企業であり、米国にとってなくてはならない存在だが、一方で郭氏は中国政府要人との太いパイプを持つことでも知られている。郭氏が総統に就任した場合には、中台関係や米中関係は微妙な状況となるだろう。(加谷 珪一:経済評論家

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鴻海は従来の台湾企業とは異なる

 鴻海は、電子器機の受託製造サービスの世界最大手で、iPhoneをはじめとするアップル製品の製造を一手に引き受けるほか、経営が傾いたシャープも傘下に収めている。今や鴻海という会社がないと世界の電機業界は回らないというほどの影響力を持つ。

 鴻海は台湾の企業だが、郭氏は中国共産党との関係が深く、従来の台湾企業とは異なると考えた方がよい。

 台湾には外省人と本省人(以前は内省人と呼ぶケースが多かった)という区分があり、外省人というのは主に、蒋介石率いる国民党の関係者だった人たちのことを指している。外省人は、中国共産党との内戦に敗れて台湾に渡ってきたが、本省人はもともと台湾に住んでいた中国人あるいは台湾先住民である。

 台湾では、民主化が実現するまで国民党による独裁政権が続いていたことから、主要ポストは外省人によってほとんど独占されていた。このため本省人は起業などの分野で活躍するほかなく、台湾の著名IT企業の多くは本省人によって設立されている。

 だが、鴻海を創業した郭氏はIT起業家としては珍しく外省人である。国民党中国共産党と敵対していた政党であり、中国と台湾の対立もこれが原因だが、時代の流れは状況を変えた。

 台湾では本省人を中心に独立運動と民主化運動が活発化。1996年から選挙が実施されるようになり、国民党は独裁政党ではなくなった。その後、現与党の民進党国民党は2大政党として政権を争っているが、中国共産党民進党の民主化路線や独立志向を強く警戒し、不倶戴天の敵であった国民党を支援するという奇妙な状況となっている。

台湾における独立運動の雰囲気は大きく変わった

 中国共産党は台湾を本土に取り込むため、国民党を支援すると同時に、国民党に近い財界人の優遇策を実施している。外省人を中心とする一部の台湾財界人は、中国政府の全面的なバックアップを受けて中国本土に進出し、大きな業績を上げているが、郭氏もそうした財界人の1人だ。

 台湾経済はIT企業の躍進で大きな成長を遂げたが、IT産業の成長が一段落してからは成長鈍化に苦しんでいる。このため台湾経済界では中国本土とパイプのある財界人の発言力が増しており、中国と協力して景気を拡大させるべきというスタンスの人が増えてきた。

 台湾では、かつて若年層を中心に独立運動が盛んだったが、彼等も今は中高年となっており、理想主義的な独立運動はあまり盛り上がっていない。むしろ今の若者にとっては、既得権益層が富を独占することや、抑圧的な社会に対する反発の方が強い。

 2014年、当時の馬英九総統(国民党)は中国とのサービス貿易協定を強引に批准させようとしたところ、学生が猛反発し、民主化運動(ひまわり運動)が勃発した。郭氏はこの運動に対して「民主でメシは食えない」と発言し、大きな非難を浴びたが、基本的なスタンスは今も変わっていない。

 では、こうした土壌がある台湾において、中国寄りで民主主義を嫌う郭氏が総統選を戦った場合、苦戦するのかというとそうはならない可能性が高い。その理由は、郭氏は台湾におけるトランプ大統領であり、安倍首相だからである。

郭氏は台湾におけるトランプ氏?

 現在、与党となっている民進党蔡英文総統は、英国や米国の名門大学で学んだエリートであり、中国の非民主的な政策を批判している。2014年にひまわり運動を行った学生の多くはすでに社会人となっているはずだが、蔡氏の支持層とひまわり運動の参加者はかなりの部分で一致しているはずだ。

 だが、台湾が置かれた状況をストレートに受け止めた場合、民主主義の確立と台湾の自立(あるいは独立)を第一に掲げる蔡氏らの主張は、エリートによる理想主義と捉えられる面があることは否定できない。稼いでナンボという実務家からすると、叩き上げで巨大企業を作り上げた郭氏の歯に衣着せぬ発言は魅力的に映る。

 反エリート主義的な郭氏を支持する層は、米国におけるトランプ大統領の支持層と重なっている(安倍首相の一部の支持者も同じカテゴリーに入るだろう)。米国のエリート層は、米国の民主主義を破壊しているとしてトランプ氏を激しく批判しているが、トランプ氏の支持率はなかなか下がらない。郭氏の支持層が同じだとすると、同氏は思ったより多くの得票を得る可能性がある。

 米国や日本においては、民主主義に懐疑的で、反エリート的な立場の人は、自国第一主義に走るケースが多い。中華圏においても基本的な図式は同じだが、中華圏における自国第一主義というのは、共産党による支配を支持することと同じになる(中国本土で保守派というのは、民主主義を否定し中国共産党を強く支持する人のことを指す)。

 つまり、属性的には郭氏の支持者と、トランプ氏の支持者(あるいは安倍首相の一部支持者)は同じカテゴリーに入るかもしれないが、トランプ氏や安倍氏中国共産党と友好的ではなく、郭氏は中国共産党と友好的というちぐはぐな状況になる。

台湾問題が嫌な形で終結する可能性も

 米国は鴻海のような企業がないとIT産業が成り立たないため、親中とされる郭氏にも多くの取引材料がある。持ち前の交渉力を生かして、トランプ氏と渡り合い、それなりの成果を引き出すだろう。実際、郭氏は出馬を表明すると電光石火の早業で米国に飛び、トランプ氏とサシで話をするなど世界中を驚かせた。こうしたパワーゲームがうまく回れば、従来とは違った意味で台湾のプレゼンスは高まるかもしれない。

 だが、郭氏が台湾総統に就任した場合、台湾の民主化プロセスを通じた中国への牽制球という、これまでの枠組みは通用しなくなる可能性が高い。民主主義とグローバル化という戦後社会の王道によって中国を牽制しようとする立場の人にとっては、郭総統の誕生はあまり望ましいことではないだろう。

 郭氏が台湾のトランプ氏なのだとすると選挙では想定外の得票を得る可能性があり、そうなると太平洋を囲んで、中国本土、台湾、米国、ロシアと、パワーゲームを好む指導者が4人も揃うことになる。最終的には力の均衡による秩序が成立する可能性もあるが、日本にとっては非常にやっかいな事態といえるだろう。

 あまり想像したくはないが、郭氏の擁立に中国政府が関与し、中国が郭氏を通じた一体化政策を画策しているのだとすると、これは一種のウルトラCであり、もし実現すれば台湾問題はチェックメイトとなってしまうかもしれない。トランプ氏は思想で動く人物ではなく、交渉で得られる果実を何よりも望んでいる。中国に対する敵対的姿勢を貫いてくれるという保証はどこにもない。

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