(小谷太郎:大学教員・サイエンスライター)

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 2019年5月20日の「世界計量記念日」に、質量の単位「キログラム」の定義が変わりました。

 この日までは、1 kgとは、フランスはパリの「国際度量衡(どりょうこう)局」にある、不活性ガスの満たされた保管容器内に鎮座まします白金・イリジウム製の「国際キログラム原器」の質量、と定義されていました。

 しかし2018年11月16日、国際度量衡総会において、日本を含む世界各国の代表は満場一致で、「プランク定数」という自然の物理定数を基礎とするキログラムの新しい定義を採択しました。同時に、アンペア、ケルビン、モルの定義も改定されました。この日の改定は、2019年5月20日をもって適用されると定められました。

 5月20日までは、1 kgの質量といえば国際キログラム原器の質量、体重50 kgといえば国際キログラム原器50個分の質量、私たちの太陽の質量は2×10^30 kgすなわち国際キログラム原器2×10^30個分の質量だったのですが、今後はそのような単純な定義ではなくなります。新しい定義はもっと高精度で安定で宇宙的で、しかし複雑で抽象的です。

 この改定で何がいったいどう変わるのでしょうか。私たちの生活は明日からどうなるのでしょうか。国際キログラム原器がお役御免になったら体重計の数値はどうにかなるのでしょうか。

 単位系の改定について、この連載では以前からあれこれ予想を述べたりしていましたが、とうとう適用の日を迎えて、今回は物理学的な視点で解説します。

いまさらだけど、キログラムって何?

 キログラムは「国際単位系(SI)」の「基本単位」のひとつです。質量を測るための単位です。

国際単位系(SI)とは?

 国際単位系(SI)とは、「国際度量衡局」によって定められた単位の群れです。

 国際度量衡局は、「国際メートル条約」の批准(ひじゅん)国からなる国際機関で、「物理的な諸測定の世界統一を確保する」という、なんだか目も眩むような高邁(こうまい)な使命を持ちます。(けれども批准国のひとつであるアメリカはいまだにポンドやヤードやインチやフィートといった野蛮な単位を使っています。恥ずかしくないんでしょうか。)

国際単位系」なら英語は「International System of Units」で略称は「IS」になるのでは、と思われるかもしれませんが、国際度量衡局の公式文書はフランス語なので、フランス語「Système International d'Unités」の略「SI」が使われます。(フランスはメートル法を発明した国です。)

 国際単位系にはキログラムの他、メートル/秒、ヘクトパスカル、オーム、ミリシーベルトなど、さまざまな単位が含まれます。単位をかけたり割ったりすると新しい単位が作れるので、単位の数は無限です。

 それらの無限の単位は、基本単位と呼ばれる7個の単位をかけたり割ったりすることで合成されます。この7個の基本単位は単位のおおもとです。

 7個の基本単位と、基本単位から合成される「組立単位」からなる、秩序立った単位の群れが国際単位系です。

じゃあ基本単位とは?

 国際単位系の7個の基本単位は、時間の単位「秒(s)」、長さの「メートル(m)」、質量の「キログラム(kg)」、電流の「アンペア(A)」、熱力学温度の「ケルビ(K)」、物質量の「モル(mol)」、光度の「カンデラ(cd)」と定められています。

 時間と長さと質量の単位を組み合わせると、物理学のうち力学に登場する物理量(速度、加速度、重力定数・・・)を全て測定することができます。(力学は時間と長さと質量についての学問といえるでしょう。)

 そこに電流の単位アンペアを加えると、電磁気関係の物理量(電荷、電気抵抗、誘電率、透磁率・・・)を測定可能になります。以上の4単位は基本単位の中でも(物理学者には)特に重要です。

 熱力学的温度とは聞き慣れない言葉ですが、「絶対温度」という別名なら聞いたことがあるでしょうか。気体の体積が0に縮み、あらゆる物の熱運動が停止する極超低温「絶対0度」を基準とする温度です。ケルビンは絶対0度を0 Kとする熱力学的温度の単位です。

 余談ですが、温度という物理量は、「物体のエントロピーという物理量が増える際に物体のエネルギーがいくら増えるか」を表わしているので、温度の単位は実は他の基本単位から合成することができます。もしもケルビンの使用が何らかの理由で禁止されても、秒とメートルとキログラムから作った組立単位で温度が測定できるでしょう。(むしろ組立単位を使うのが潔いという過激な立場もあります。)

 物質量の単位モルは、主に原子や分子の個数を数えるための単位です。

 これも余談ですが、「1 molの分子」といっても「6.02214076×10^23個(後述)の分子」といっても同じことなので、モルを使わなくても(はなはだ不便にはなりますが)物質量を測ることができます。

 カンデラは光度の単位です。光度はヒトの目という測定装置でどれほど明るく感じられるかを表わす量なので、カンデラはヒトの感覚を基にしている特殊な単位です。

 以上が国際単位系の全ての組立単位の元となる7個の基本単位です。この7個のうちどれかひとつでも変更になれば、無限個の組立単位が全て変更となります。逆に、無限個の単位の定義を変更するには、国際度量衡総会で無限回の採決をとる必要はなく、基本単位をいくつか変更するだけで充分です。国際単位系はたいへんよく考えられた見事なシステムです。

何が変わったの?

 2019年5月20日の改定では、キログラム、アンペア、ケルビン、モルの4基本単位の定義が変更になりました。

 また同時に、「プランク定数」「電気素量」「ボルツマン定数」「アボガドロ数」という4個の自然の物理定数が、定義値とされました。

 表1に定義値となった4個の物理定数を、表2に7個の基本単位の新定義を挙げます。

 プランク定数は、ミクロな物体の物理学である量子力学で活躍する物理定数です。いろいろな場面に登場しますが、例えば光の周波数とプランク定数をかけると、光の粒である光子1個のエネルギーが求められます。

 量子力学は宇宙を支配する法則であり、この宇宙が今あるような姿なのはプランク定数のおかげです。プランク定数は重要な基礎物理定数です。

 電気素量は、「電子」の電荷の絶対値です。「陽子」の電荷ともいえます。電磁気現象のほとんどは電子と陽子によって引き起こされ、電磁気現象は宇宙を形作っています。電気素量もまた重要な基礎物理定数です。

 残念なことに歴史的偶然により、電子の電荷はマイナスと定義されてしまっているので、電気素量は電子の電荷ではなく、電子の電荷の絶対値というなんだか遠回しな定義になってしまっています。

 ボルツマン定数は温度目盛を決めるためにある定数です。

 すでに述べたように、温度という物理量はエネルギーの組立単位を用いて測ることができます。一方、人類の発明した温度計は、膨張する液体が指し示す目盛によって温度を測るので、組立単位で測る温度と、液体の膨張で測る温度目盛とを換算する係数が必要になります。これがボルツマン定数の正体です。

 こういう事情を考えると、ボルツマン定数を定義値とするのは理にかなっているでしょう。

 アボガドロ数は原子や分子を数えるための定数です。大雑把にいって、1 gの水素に含まれる水素原子の個数がアボガドロ数です。

この定義で単位がどう決まるの?

 残念ながら、基本単位の新定義は抽象的で難解です。これらの謎めいた新定義から、単位をどうやって決めるのでしょうか。

 2019年5月20日までは、プランク定数電気素量などの物理定数は実験によって決まるもので、無数の測定実験が行なわれていました。

 しかしこれらの物理定数が定義値となった今、その測定実験は、むしろ測定装置の目盛が正しいかどうかを教えてくれます。

 これまでは、ある測定装置でキログラム原器の質量を測り、もし目盛が1 kgを指したら、その装置の目盛が正しいことの証明になりました。このような測定で、測定装置の目盛を調整する作業を「較正(こうせい)」といいます。(最近は「校正」とも表記します。)

 これからは、ある測定装置でプランク定数を測り、もしも表に挙げるような値が得られたならば、その装置の目盛が正しいことの証明となります。

 プランク定数を測るそういう装置には、例えば「ワットバランス」と呼ばれるものがあります。バランスとは秤(はかり)のことです。ジョセフソン効果だとか量子ホール効果などを応用して、超精密にプランク定数を測定する装置です。

 ワットバランスは、少々の変更を加えると、物体の重量を測定する秤として用いることができます。プランク定数の定義を正確に再現するワットバランスで重量を測れば、キログラムの定義の正確な適用です。

 このような装置でキログラム原器の代用をするのが新しい国際単位系の方針です。

もうちょっと簡単にならないの?

 以上が先端的でハイテクなキログラムの実現なのですが、こう説明されてもやはりピンとこないかもしれません。見たことも聞いたこともない装置を使って重量を測定するといわれても、ピンとくる方が少ないでしょう。

 プランク定数を含む定義を分かりやすく説明するのは難問なのですが、例えば

「1 kgは、波長が1 mの光子1個を吸収すると、静止状態から速度が6.62607015×10^(-34) m/s増加する質量」

という言い換えはどうでしょうか。波長1 mの 光子1個が運動量6.62607015×10^(-34) kg m/sを持つことを利用する言い換えです。これでもやっぱりピンとこないでしょうか。

 ついでに、アンペアとケルビンの新定義も言い換えてみると、

「1 Aは、導線を1 sに1.602176634分の10^19個の電子が通過する電流」

「1 Kは、分子1個からなる理想気体の体積と圧力の積が1.380649×10^(-23) Jとなる熱力学的温度」

などが考えられます。(もっとピンとくる言い換えがありましたら教えてください。)

5月20日から体重計を変えないといけないの?

 こうして得られた新しいキログラムやアンペアやケルビンやモルですが、これまでの値との違いは極めてわずかです。ワットバランスや精密シリコン球などを用いる最先端精密測定でも、旧定義と新定義に矛盾は生じないほどの違いです。

 したがって、5月20日以前に製造されて較正された体重計や温度計が、新定義との違いを示すことはないでしょう。(あったら教えてください。)

 体重計温度計の日本国内の製造や較正や販売は、「計量法」という法律にしたがって行なわれます。単位の定義は計量法の文面に直接書き込まれているのではなく、政令「計量単位令」によって定められています。

 基本単位が定義されているのは、計量単位令の別表第一です。漢数字で書かれた単位の定義なんて、他ではなかなかお目にかかれません。(アラビア数字が便利な記法だということがよく分かります。)

 計量単位令は2019年5月20日に改定され、今回の単位の定義の変更も早々と取り込まれています。政令は内閣によって制定されるので、国会で法律の文面を変更しなくても、単位の改定に対応できるのです。(法律の体系も、国際単位系ほどではありませんが、なかなかよくできているシステムです。)

 これまでに製造された体重計や温度計を使い続けても法律違反にはなりませんが、今後製造や較正をする際には、新しいキログラムやアンペアやケルビンやモルの定義にしたがって行なわないと、厳密には計量法違反になります。

 もっとも、その違反を立証するにはワットバランス以上に高精度の測定器が必要となるでしょう。

[もっと知りたい!続けてお読みください →]  さよならキログラム原器、単位の改革がやってくる

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第26回国際度量衡総会で展示された国際キログラム原器のレプリカ。(写真:ロイター/アフロ)