今年のゴールデンウィークといえば、「アベンジャーズエンドゲーム」に尽きる。西田はすでに、公開初日の夜(4月26日金曜)にIMAX 3D・字幕版を見て、翌日に2D・吹き替え版を「おかわり」している。そのくらい衝撃を受けたし、素晴らしい作品だったと思う。

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 今回は、「アベンジャーズエンドゲーム」、そして、マーベル・シネマティック・ユニバース(以下MCU)がどうすごかったのかを語ってみたい。

 といっても、筆者は映画評論家でもアメリカンコミックの専門家でもない。多少なりとも「映画ビジネスを知っている」くらいのものだ。その立場から、あまりストーリーには触れずに、MCUがいかに画期的なビジネスであったか、そして、それがいかに困難なことであったかを分析してみよう。

●連ドラ的「ナラティブの物量作戦」がMCUの秘密

 「エンドゲーム」は、なかなか大変な映画だ。1本の映画としてみるといびつな存在である。出てくる人物の背景や関係は、エンドゲームだけをみてもよく分からない。エンドゲーム以外のMCU作品を見ていないとついていけない部分があるはずだ。

 映画自身は、長いものの構造が複雑な作品ではない。ビジュアルの力もあり、MCUを見たことのない人でも、ストーリーがわからなくなる、まったくつまらない、ということはあるまい。そこはさすがに配慮されている。

 だが、MCU21作品(エンドゲームを入れて22だ)+中核となるドラマシリーズをすべて見ていて、細かなシーンキャラクターエピソードをすべて憶えている人ほど、より味わい深くなる。ひとつひとつの要素は、ファン同士なら「こうして欲しいよね」「こうだといいなあ」と思うような、ちょっとしたことだ。だが、それらをあますところなく盛り込んで、量と質の上で「ファンの期待にすべて答えた」のが、エンドゲームのひとつの本質、といえる。

 それは別の言い方をすれば、「MCUという物語世界がそこにある、ということへの納得感を高める要素を突き詰める」作業、といってもいい。

 物語やゲームなどでは、こうした要素を「ナラティブ」ということが増えているが、MCUエンドゲームは、作品をつなげることで、ナラティブの物量展開を徹底した作品群、という言い方もできるだろう。

 物量から生まれるナラティブ、という要素は、実は珍しいものではない。シリーズもののドラマアニメコミックなど、特に長寿なものは、積み重ねによるナラティブが必然的に生まれる。

 そもそもこうした構造は、連続ドラマにおいて生まれやすい。ヒットすれば数年にわたって視聴され、ファンも増える。アメリカドラマ、特にヒットして何シーズンも続いているものは、こうした「物量によるナラティブ」が生まれやすく、ファンの強化につながっている。特に「スタートレック」や「ゲーム・オブ・スローンズ」のような、いわゆるSF/ファンタジーもの(英語ではSci-Fiとも呼ばれる)ものは、こうした特徴を持つ。

 だが、物量によるナラティブは、消費する側が「大量の作品につきあっている」ことを前提とする。そのため、新作としてはリスクがある。そして、そのシリーズコンテンツ全体の人気が落ちると、リスクはどんどん大きくなる。

 だから、映画ではこの種の手法はあまり採られていない。毎回新しい顧客を集めるべきだからだ。「スターウォーズ」はかなり積み重ねが多い作品だが、それでも、各作品の間で積み重ねる情報は意外とシンプルで、それ以外の要素は「ファンが知っていれば楽しい」レベルに、自制的に抑えられている。

 だが、MCUは初期からそうした積み重ねを積極的に行った。もちろん、作品によって「積み重ねる量」は違う。だが、もっともヒットが期待されており、「いちげんさん」も引き入れたいはずの基幹作品である「アベンジャーズシリーズに向けて積み重ね、「エンドゲーム」では、積み重ねを生かすがゆえに3時間という上映時間にまでなった。

 映画としては禁じ手のようなやり方だが、結果として、22作品+αについてきたファンの心をわしづかみにした。そういうファン(筆者もその一人だ)は、涙なしには見られない大団円ドラマシリーズ最終回のような構造の映画であることが、MCUの特徴であり、特別な点なのである。

●自社でやるから「意識統一」ができる

 こうしたことは、当然ビジネスリスクを伴う。すべての作品が一定以上支持されていて、世界観を守っていて、きちんと次にバトンを受け渡している状態でないと、成功し続けることができないからだ。

 事実、MCUの成功後、同じような「ユニバースもの」の構想が多数生まれた。しかし、MCUのような成功はどこも生み出せていない。スターウォーズですら、スピンオフの評価はまちまちであり、MCUほどの積極展開はしていない。それぞれの映画でクリエイティビティを発揮していくと、平行する作品でつながりを作るのは難しくなる。結局、「1本の線」のように構成するしかない。だが、MCUは枝葉のように構成されていて、構造がまったく異なる。今のところ、「ユニバース化による物量ナラティブでのビジネス成功」は、マーベルスタジオしか成功できていない。

 そもそも、マーベルスタジオも、MCUスタートした11年前、きちんとこの構想をもっていたか、というと、そこまででもなかったように思う。

 マーベルスタジオ1990年代に設立されたが、いまのような態勢になったのは2000年代後半からである。マーベルキャラクターのことを一番知る同社は、「自分達が映画を作れば、映画同士の整合性をとって一体的なビジネスができる」と考えていた。パートナーとしてライセンスを「貸し出す」形では、結局映画会社側の思惑が強くなり、原作の持っている強烈な「物量ナラティブ」を生かすことができないからだ。

 とはいえ、お金がなければ制作はできない。マーベルスタジオ2005年、メリルリンチから5億ドル2500万ドルの資金調達を受け、自社制作に乗り出した。この資金により10作品の映画が作られることになったが、2009年ディズニーマーベルを買収し、ディズニー配給による制作体制になることで、「作っている最中の別の作品とつなぐ」というやり方が要素として定着していった感がある。

 ディズニーは強い会社だが、1990年代まで、「ハイティーンに弱い」と言われてきた。ローティーン以下と大人をカバーするコンテンツは持っているが、ハイティーンが好むものをもっていなかったわけだ。結果として、スターウォーズを擁するルーカスフィルムマーベルを買収することで、ハイティーン(+ハイティーンコンテンツを好む大人)向けコンテンツを得た、という部分がある。

 マーベルスタジオ側に確固たる意思と方針があったこと、それをディスニー側が理解して手綱を預けたことが、他の映画会社の「ユニバース展開」とは違ったのだろう。

 とはいえ、マーベルスタジオが手がけたすべての作品が、ちゃんと「MCU」になっているか、というとそうでもない。

 例えば、Netflixが出資して作った「アイアンフィスト」「ジェシカジョーンズ」「デアデビル」などの作品は、MCUの冠はついているが、ちょっとした台詞以外にMCUとの関連は薄い。Netflixでの取材中、「これらのドラマMCUだが、MCUに出てきたキャラクターなどは出る予定はなく、強い関連をつけることもない」と、マーベル側のプロデューサーコメントするのも聞いている。

 一方で、ディズニーが配給に関わった(放送局がディズニーABCドメスティックテレビジョンである)「エージェント・オブ・シールド」「エージェント・カーター」は、MCUとの関連がとても強い。

 どこが制作に関わり、どれだけMCUの中核スタッフが関われるかによって、ユニバースの一体感が大きく変わる。今秋にアメリカスタートする「Disney+」で配信予定のオリジナルドラマは、かなりMCUに密着した作りになると言われているのだが、これはやはり、自分達のコントロールの下で作っているから、という要素が大きいのだろう。

●次も当たるかは分からず、今後のカギは「ドラマ」か?

 作品がつながり合うという要素は、作品の消費形態が変化したからこそ成り立つものだ。

 劇場はシネコンになって作品の回転が早くなり、劇場公開後はすみやかに映像配信などに流れる。自社傘下のサブスクリプション・ビジネスがあり、何回も見たいファンはそこに集まる。「エンドゲーム」のような作品を作るのは極めて困難なことだが、その結果として、大量の作品の商品価値が高まっているのは間違いない。

 エンドゲームは、5月4日(米国時間)に世界興収21億8869万8638ドルを達成し、「タイタニック」の21億8,746万ドルを超えて歴代第2位となった。公開日からわずか11日間という最速での快挙だ。

 これは、エンドゲームの評価が高いことはもちろんだが、IMAX 3D上映やMX4D上映など、過去になかった「付加価値型上映」の比率が高まったからである。興行収益トップは「アバター」だが、こちらも3D映画の皮切りであり、3D上映館に多くの人が殺到したからでもある。上映単価が上がっていることで、全体の収益が押し上げられている状況なのだ。

 そうした部分も含め、ここからはすぐに「付加価値」が生まれる状況にない。なので、興行収益の話は少し割り引いて考えた方がいいだろう。

 一方で、最大のリスクは、すでに述べたように「連携に失敗した時のリカバリー」である。制作体制にも負担がかかる。

 今回「エンドゲーム」で一つの終わりを迎えたが、ビジネスである以上ふたたび同じ構造を構築していく必要がある。それが成功するかどうかはまだ分からない。

 なんらかの構造を変えないと、同じパターンでは消費者も飽きる、というか「また同じように付き合わねばいけないのか」と思う可能性がある。

 MCUが今後一段落し、「大河ドラマ的構造の映画に顧客を巻き込んだ希有なヒット」という風に、MCUエンドゲームが位置づけられる可能性もあるだろう。

 個人的には、カギは「ドラマ」ではないか、と思っている。ドラマは映画よりも「物量によるナラティブ」を積み上げやすい構造にある。そして、ヒットすれば長期的なビジネスとなり、リターンも大きい。映画会社のドラマ部門は、どこも成長を続けている。MCUについても、回転と連携の難易度を減らすため、いままで以上に「オリジナルドラマ」へ傾斜していくのではないだろうか。

 日本の場合、「顧客を縛ってどうする。幅広く、入り口のハードルは低く」という意識が映画会社やテレビ局には根強い。そこでMCU的な展開を許すには、長期的な活動を支える柔軟なファンディングこそが必要だ。

 「マーベルスタジオを真似ろ」とはいわないが、低リスクな制作を強いることのないファンディング施策が、日本国内にも必要とされるのではないか。

 そんな風に考えてしまう。

(西田宗千佳)

アベンジャーズ/エンドゲーム