平成の時代を振り返り、もっとも活躍し、人気のあった料理研究家をあげてと言えば、大半の人が「小林カツ代」と答えるだろう。出版した著書は二百数十冊、テレビでもおなじみの顔だった。

 

『小林カツ代伝 私が死んでもレシピは残る』(中原一歩・著/文言春秋・刊)は、2017年に刊行された本だが、この春に文庫本となり、再び注目を集めている。

 

 

懐かしの”ぶん回しおにぎり!”

私がはじめてカツ代先生にお目にかかったのは、先生が大ブレイクするずっと前、当時小林一家が住んでおられた東久留米のお宅に伺ったときだ。5~6歳の子どもの母親を対象としたお母さん雑誌の取材で、子どもに楽しく台所仕事を手伝わせる方法を聞きだすというものだった。その時、カツ代先生は子育て真っ最中で、長女のまりこさんは小学生、健太郎さんはまだ幼稚園児だった。

 

さまざまなアイデアが飛び出したが、今でも鮮明に覚えているのが”ぶん回しおにぎりなるものだ。

 

長~く切ったラップの中央にご飯をおき、真ん中に具を入れて茶巾絞りにし、ラップの先端を持って、空中でブンブンと振り回すのだ。ラップだからちぎれてしまうこともなく、遊びながらまん丸のキレイなおにぎりが出来上がるというカツ代先生ならではのアイデアだった。ワンパク盛りだった健太郎さんは撮影中にもかかわらず大喜びで、おにぎりを次々とつくり上げていった。そして、この記事が読者に大いにうけたのは言うまでもない。

 

 

出世作の「わが道をゆくワンタン」

小林カツ代のユーモアセンスは抜群だった。

 

ケンタッローフライドチキン」、「空飛ぶぺぺラーメン」、「なまけものシチュー」、「主食もおかずも一緒鍋」、「すき焼き的肉うどん」など、思わず笑ってしまうレシピがいくつもある。

 

中でも「わが道をゆくワンタン」は出世作となった一品だ。沸かした鶏がらスープの中に、種と皮を別々に入れるという技で、わざわざ時間をかけてワンタンを作る必要がないのだ。

 

これを「ワンタン」と言って出されると正直、がっかりしてしまう。けれども「わが道をゆくワンタン」と言って出されると、なるほどなぁと納得するだけでなく、食べる側も思わずクスッと笑ってしまうのだ。そして、ここにもカツ代の料理の哲学がみてとれる。

「手を抜いたから早いのではなく、早く作ったからおいしい、じゃないとおかしい」

(『小林カツ代伝 私が死んでもレシピは残る』から引用)

 

合理的で、楽チンな手法が、毎日毎日、家庭料理を作り続ける多くの主婦たちに支持されたのだ。

 

①おいしくて、早くて、安い

②特別な材料は使わない

③食卓にはユーモアがないといけない

 

この3つは小林カツ代のレシピの約束事だったそうだ。

 

 

『料理の鉄人』で勝利した「常識破りの肉じゃが」

小林カツ代を語る上で忘れてはならないのが、90年代グルメブームを牽引した料理エンターテイメント番組『料理の鉄人』だろう。和の道場六三郎、中華の陳建一フレンチの坂井宏行という3人の鉄人に、国内外のシェフたちが挑戦者となり、勝負するというもの。番組が選んだテーマ食材を使って1時間内で作り上げた何品かの料理を審査員が味わい、勝敗を決めるという構成で、私もこの番組が大好きで毎週ワクワクして観たものだ。

 

小林カツ代の登場は、家庭料理vsレストランの味ということで注目された。このときのテーマ食材は”じゃがいも”。わずか1時間で彼女は7品ものじゃがいも料理を作り上げ、そして見事に鉄人に勝ったのだ。中でも審査員の心を掴んだのが”肉じゃが”で、その作り方が常識破りだったのだ。煮物は「出し汁」で煮るのが常識だが、なんとカツ代流は「水」で煮るというから皆が驚いた。

 

本書には、このレシピが紹介されているので引用してみよう。

 

材料(4人分)

牛薄切り肉…200g

タマネギ…1個(200g)

ジャガイモ…4個(600g)

サラダ油…大さじ1

【A】砂糖…大さじ1、みりん…大さじ1、醤油…大さじ2と2分の1

水…1と2分の1カップ300ml)

 

作り方

1 タマネギは半分に切ってから、繊維に沿って縦1センチ幅に切る。牛肉は2つ~3つに切る。

2 ジャガイモは皮をむいたら、まるごと水につけておく。作る直前に、大きめの一口大に切る。

3 サラダ油を入れて鍋を熱し、タマネギを強めの中火で熱々になるまで炒める。

4 鍋の真ん中をあけて肉を置き、肉めがけてAの調味料を加える。

5 肉をほぐしながら強火で味をからめる

6 全体にコテッと味がついたら、水気を切ったジャガイモを加えてひと混ぜし、分量の水を注いで 表面を平らにする。

7 蓋をして、強めの中火で十分前後煮る。途中で一度上下を返すように混ぜる。ジャガイモがやわらかくなったら火を止める。

 

このレシピは牛肉をこよなく愛する大阪人のものだそうだ。

 

 

小林カツ代を育てたミナミの味

本書には、彼女の生い立ち、幼い頃のエピソードの数々も書かれていて、これがとても興味深い。

 

カツ代は大阪の商家に生まれ、幼いころから食の「英才教育」を受けていたようだ。生粋の大阪人で料理上手な母、食べることが好きだった父のもとで、日々美味しいものを食べていたのだ。また、大阪のミナミで育ち、当時は贅沢と呼ばれていた外食を幼いころから体験し、フランス料理、中国料理、日本料理韓国料理などを味わっていたことが、のちに料理研究家として花開いたのだと著者は分析している。

 

もっともずっと食べるのが専門で、自ら料理をはじめたのは結婚後だそう。知られざる新婚生活初日の失敗エピソードは、あの小林カツ代が! と驚いてしまう。なんと、味噌汁の作り方がわからず、水を入れ火をかけた鍋の中に塩わかめをそのまま適当に切って、そこに味噌を溶かしたというのだ。きっと味噌汁は絶望的な味だっただろう。それからというもの、すがる思いで大阪の母親に電話をかけ続け、手帳にはレシピが次々と走り書きされるようになったという。

 

その後、プロの料理研究家になってからも、八宝菜、焼肉、天ぷらビーフシチュー。これだけは母には絶対にかなわない、と言っていたそうだ。

 

 

カツ代レシピは永遠に

小林カツ代は、人気絶頂の最中にくも膜下出血で倒れた。その後、9年の闘病生活の末、2014年にこの世を去った。

 

生前、カツ代は折に触れ、周囲の人に「私が死んじゃっても、美味しい私のレシピ永遠にそこの家の家庭料理として残るのが嬉しいわね」と話していた。その意味では、まさにカツ代の願いは現実となり、その味は次世代にも継承されている。

(『小林カツ代伝 私が死んでもレシピは残る』から引用)

 

令和になった今も、数々のレシピは多くの家庭で愛され続けているのだ。

 

【書籍紹介】

小林カツ代伝 私が死んでもレシピは残る

著者:中原一歩
発行:文藝春秋

家庭料理の世界に「カツ代前・カツ代後」と言ってもおかしくない旋風を巻き起こした料理研究家・小林カツ代。没後五年経っても、そのレシピは忘れられることなく各家庭で生き続けている。「家庭料理のカリスマ」と称される天性の舌は、一体どのように培われたのか。TV番組「料理の鉄人」で勝利をおさめ、日本中に知れわたった「肉じゃが」を始め、時代を超えて愛される伝説のレシピとともに描く決定版評伝。

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小林カツ代の伝説の”肉じゃが”は、令和の時代になっても愛され続けている