5月19日に放送された「ちびまる子ちゃん」で、エンディング曲として西城秀樹(以下、ヒデキ)の「走れ正直者!」が突然流れた。

同曲は1991年から92年まで使用されたエンディング曲。16日がヒデキの一周忌であり、制作側の粋な計らいがファンを喜ばせた。また、17日はヒデキの大ファンという設定のまる子の姉・さきこを演じていた水谷優子の命日でもあった。

現在は昨年8月に亡くなった原作者・さくらももこの人気原作をリメイクした「10週連続さくらももこ原作祭り」を行っており、そのさなかのサプライズだった。

ヒデキの大ファンだったまる子のお姉ちゃん
あらためて「ちびまる子ちゃん」とヒデキのかかわりを振り返ってみよう。

さくらももこが小学生の頃、ヒデキのファンだったというのは有名な話。さくら1965年生まれで、まる子も同じ年生まれという設定。ヒデキは1972年にデビューし、翌73年には「情熱の嵐」がヒットしている。

ちびまる子ちゃん」の舞台は、まる子が9歳になった1974年。この年のヒデキは「傷だらけのローラ」をリリースし、ドラマ「寺内貫太郎一家」にも出演、お茶の間の人気者としての地位を不動にしていた。小学生の女の子が夢中になってもおかしくない。

作中では、姉・さきこがヒデキの熱烈なファンだった。もともとは、にしきのあきらのファンだったがあっさり転向。「どうしてもヒデキのスペシャル番組が見たい」と野球を見ている父・ヒロシ土下座するほどに。

「シークレットラブ」と書かれたノートに「私の名前は西城さきこ。でも、誰にも言えない名前なの。だって、あなたはみんなのアイドル、ちょっぴり寂しけど、我慢するね(以下略)」などと妄想を書き連ねていたり、やはり秘密の日記に「私がヒデキと結婚しても芸能人の奥さんとしてやっていく自信がないの」と書いたりしていたが、ことごとくまる子に見つかって笑われてしまった。

「フェスタしずおか」にやってきたヒデキを見に行ったが人混みで見られずに帰ってきたり、自分の誕生日に開かれるヒデキの野外コンサートにお小遣いを貯めて行こうとしたが雨で中止になってしまったりと、なかなかヒデキを見られなかったお姉ちゃん。街にヒデキそっくりの人がいると聞いて探し回ったが、実は高橋英樹のそっくりさんだったというエピソードもあった。

ヒデキが逝去した直後の2018年5月27日に放送された「まる子、早めに衣替えをしたい」(予告)では、まる子がさきこにヒデキの缶バッジをあげるというシーンが登場。これは以前から用意されていたシーンだったが、番組の最後に「秀樹さん、ありがとう」という追悼テロップを出して故人を悼んだ。

ヒデキの「発想の転換」
「走れ正直者!」は、「ちびまる子ちゃん」の人気が絶頂だった1991年にエンディング曲として使用された。さくらももこからの熱烈オファーをヒデキが快諾したという形だ。

さくらはオファーの理由を次のように語っている。

「私は小学生の時からヒデキの大ファンなんです。ちびまる子のエンディング・テーマ『走れ正直者!』を歌ってくれるのはヒデキしかいません。大人になっても、『ヤング・マン』の頃とまったく変わっていないし、元気な正直者を表現する迫力はヒデキの歌唱力でしか出せないと思います」(「週刊現代」1991年5月18日号)

この年はヒデキのデビュー20周年だったが、実は仕事的には今ひとつの状態だった。所属事務所であるアースコーポレーションの天下井隆二氏(「YOUNG MAN」の訳詞を手がけた方)は「この数年、テレビ、ラジオの出演回数がかなり減っているのは事実です」と認めつつ、「ただ、今年になってから状況がよくなっています。その流れの中のちびまる子ちゃん。秀樹ブームが起きつつあると思います」と「走れ正直者!」が一種の起爆剤になったと語っている(同上)。

当時36歳だったヒデキはどう感じていたのだろうか。

「20年も芸能界をやってくれば山も谷もあります。ボクも、その起伏を経験してきた。でも、どん底の時だからこそ、発想の転換、新しい考え方が必要なんだと分かりました。ちびまる子ちゃんの歌は、オイっ子、メイっ子が喜んでくれるだろうと引き受けました。歌い方もデビュー当時のエネルギッシュな歌い方ですよ」(同上)

「走れ正直者!」はヒデキにとって「発想の転換、新しい考え方」だったのだ。

また、ヒデキは「昔、こういう歌をうたうと俗っぽいと受け取られたんですが、いまはね、むしろ時代的と言うか、けっこう、格好いいんですよ」とも語っている(「週刊読売」1991年9月8日)。

時代はバブルの絶頂期であり、さまざまなノベルティソングが人々に広く受け入れられていた。その最たるものが190万枚を売り上げた「おどるポンポコリン」なのは言うまでもない。

NTTキャッチホンのCMソング
作詞はさくらももこ、作曲と編曲は「おどるポンポコリン」に続いて織田哲郎が手がけた。織田はこの出会いから、同年にリリースされたヒデキのオリジナルアルバム「MAD DOG」をプロデュースする。これがヒデキにとって最後のオリジナルアルバムとなった。

「走れ正直者!」は「リンリンランラン ソーセージ」という歌詞が印象的だが、これについてはさくら自身が「ちびまる子ちゃん」単行本8巻で意味を明かしている。あれは電話のベルの音なのだ。

「さいしょ、あの曲はNTTのキャッチホンのCM用につくられた曲だったのです。NTTは『でんわ』だから、曲の中に『リンリン』という音があった方がいいってことで『リンリン』をどうやって入れようかと考えたあげく、『リンリンランラン』が出てきたわけです」

リンリンランランとは74年にデビューした双子姉妹のデュオの名前(だから「双生児ソーセージ」)。デビュー曲が「恋のインディアン人形」だったせいか、CMでは「リンリンランラン インディアン」という歌詞になっていた。

CMは「走れ正直者!」にあわせてラスタカラーの帽子にドレッドヘアのまる子が電話をかけながら踊るという映像で、ジャマイカ生まれのスカビートと合っている。織田哲郎は日本で最初のスカを取り入れたヒット曲だったと振り返っているが、87年リリースのゆうゆ「25セントの満月」がオリコン最高6位という中ヒットを飛ばしていた(「走れ正直者!」はオリコン最高17位。ただし、売上は11万枚だった「走れ正直者!」のほうが多い)。

ヒデキにとっては88年の「Blue Sky」以来のCMソングとなるが、同曲はオリコン最高60位とヒットには至らず。スランプ気味だったヒデキが、NTTと人気絶頂だった「ちびまる子ちゃん」とのコラボCMのオファーを受けない理由はない。そこに原作者のさくらの熱意とヒデキ自身の「発想の転換」が合わさって異色かつ会心の一曲が生まれたのだ。


「で、CM用につくったのに、ヒデキさんがとても上手にうたってくれて、よかったなぁ、と思ったので『まる子』のエンディングテーマにしたのでした」とさくらは振り返っている。

最近では、ヒデキのことを「走れ正直者!」から知る人も少なくないという。これからも毎年5月のどこかで「走れ正直者!」が「ちびまる子ちゃん」のエンディングを飾ってくれるといいと思う。
(大山くまお

集英社