ジョージ・ポットマンの平成史」をご記憶だろうか。テレビ東京イギリスCBBの共同制作のドキュメンタリー番組で、ヨークシャー州立大学の歴史学部教授ジョージ・ポットマンが日本の文化を考察していくというもの。

 たとえば「ファミコン史」の回では、“裏技”に「本来ならば、『バグ』でありリコール対象ともいうべき現象」をも楽しむ日本人の精神を見てとり、そこには「欠けたり歪んだりしている器にこそ美を見いだす、茶の湯における『破調の美』」に通じるものがあると考察する……という具合(注1)。

 もちろんイギリスにCBBという放送局はなく、ジョージ・ポットマンという歴史学者も実在するものではなく、役者が演じているのである。この番組は架空の外国人を狂言回しに仕立てることで、ゲームの「バグ」と「茶の湯」をつなげるなどといった知的エンターテイメントを成り立たせたのであった。

SNSで盛り上がった「神学者カール・レーフラー」事件

 この番組を持ち出したのは「神学者カール・レーフラー」事件があったからだ。もっとも、こちらはアカデミズムの世界の出来事であるのだが。

 ことのあらましはこうだ。東洋英和女学院・前学長の深井智朗の2012年に著した学術書に、カール・レーフラーなる神学者による論文「今日の神学にとってのニーチェ」(1924年)が4ページにわたって紹介される。それに疑問をもった研究者が検証を重ね、公開質問をしたのをきっかけに、同大学は調査委員会を発足し、そういった人物も論文も実在しないと結論づける。そして著書を出版した岩波書店は絶版・回収する事態に発展するのであった。

 事件が報じられるなり、SNS内では「神学者カール・レーフラー」はたちまち人気者となる。なにしろ字面もいいし、語感もいい。そのうえ架空の論文まで用意し、それを著書で引用までするとあっては、まるでメタフィクション小説のようで、カール・レーフラーの存在自体がひとつの作品であるかのようだ。SNSで盛りあがりついでに、カール・レーフラーを名乗るツイッターアカウントが出来る始末であった。

 前述の歴史学者ジョージ・ポットマンならば、イザヤ・ベンダサン(山本七平)、ポール・ボネ(メリー喜多川の夫・藤島泰輔)、ヤン・デンマン(斎藤十一)を引き合いにして、「昭和時代に出版界ではニセ外国人御三家が人気を博したように、日本人には非実在外国人を楽しむ精神性を持っているのです」と評するところだろう。

わたしたちが外国人に求めるもの

 非実在外国人に限らず、日本にあっては、外国人コンテンツとして強い。なにしろ「外タレ」なる言葉もあるくらいだ。その根源は欧米に対する劣等感だろう。「フランスでは~」「英国では~」に弱く、『フランス人は10着しか服を持たない』なる書名のベストセラーもある。

 日本近現代史にくわしいジョージ・ポットマン教授ならば、明治時代に陸軍の教官として来日して貢献し、影響を残したメッケルは、じつはドイツ本国ではたいした業績も残さぬ二流の軍人であった(注2)、との逸話をひっぱり出してくるかもしれない。

 その一方でアジアの者には自国を非難させ日本を称賛させる。そういえば朴泰赫(訳・加瀬英明)『醜い韓国人』(光文社1993年)というのもあった。著者の「朴泰赫」は実在せず、実体は加瀬英明だろうとの指摘があって論争となる。

「ニセ外国人御三家」から、「ギルバート現象」へ

 このような「外国人に言ってほしいことを言わせる」出版物は今日、花盛りである。安田峰俊が「ニューウィーク」(2018年10月30日号)の特集で命名した「ギルバート現象」もそれだ。ケント・ギルバートは50万部以上のベストセラーをはじめ、ここのところ年に10冊以上を著している。それらではGHQによって徹底的に日本人は洗脳され、左傾化した結果、「反日」と化したなどといった主張がなされている。

 なかでもよく売れたのが『儒教に支配された中国人韓国人の悲劇』(講談社2017年)なのだが、安田の取材によれば、これは担当編集者日本人スタッフがほとんどを作ったもので、愛国心の本だといって口述させたのを中国・韓国批判のものに作り変えたという。その編集者は「日本人は白人から言われるのに弱い。ギルバートさんが言うほうが説得力が増すと考えた」と言っていたといい、当のケント・ギルバートも安田のインタビューで「僕の本が売れたのは、やはり部外者(アメリカ人)だからでしょう」と述べている。

 そんな欧米礼賛の風潮に、精一杯の努力で乗っかろうと挑んだのが「ショーンK」ことショーン・マクアードル川上だったろう。アイリッシュ系の父と日本人の母のあいだにNYで生まれ、ハーバードでMBAを取得した経営コンサルタント、という建て付けであった。実際は文春記者いわく父親は火野正平似の日本人であったりするなど、「週刊文春」によって偽りの経歴が暴かれてしまい(注3)、「クヒオ大佐」と同類に堕ちてしまうのだが。

自説の仮託が「捏造」になるまで

 かくのごとく、自説の仮託や成り上がるために「外国人」は使われる。それは世間が抱える欲望や劣等感と合わせ鏡かのようだ。

 またそうした欲望や劣等感が過度に振れるとき、捏造を生む。森口尚史によるiPS細胞事件などはそれだろう。千葉県アパートで暮らし、大家さんに「東大教授になりました」と嘘(注4)を話した男は、やがて新聞記者にハーバード大の研究者を名乗って、iPS細胞を移植する治療に成功し、近く科学誌「ネイチャー・プロトコルズ」に掲載されると偽り、自分を売り込んだ。

 そうした系譜に「神学者カール・レーフラー」もいる。そこの核心には権威を作り出してでも、それにすがりたい性根がある。それは大衆娯楽の世界であれ、アカデミズムの世界であれ、変わりはないようだ。これをジョージ・ポットマン教授ならば……。

 

(注1)『ジョージ・ポットマンの平成史』大和書房2012年
(注2)別宮暖朗『帝国陸軍の栄光と転落』文藝春秋2010年
(注3)週刊文春2016年3月31日
(注4)朝日新聞デジタル2012年10月13日

(urbansea)

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