【日本ラグビー“世紀の番狂わせ”に学ぶ|後編】エディー氏と選手&スタッフの間に存在していた緊張関係

 日本スポーツ界で近年、世界を相手に「番狂わせ」を起こしたのは2015年のラグビーワールドカップ(W杯)での日本代表だろう。エディー・ジョーンズ監督が率いるチームは、W杯を過去2度制し、当時の世界ランキング3位だった南アフリカと対戦。W杯で16連敗中だった日本は大方の予想を覆し、34-32で競り勝った。

 この“奇跡”を引き起こした人物として、エディー監督は一躍、時の人となった。体格面で劣るなかで、いかに世界の強豪と伍して戦うのか。日本人らしさを追求し、他スポーツの指導者と交流したり、ビジネスの世界など他分野からもヒントを得て、チーム作りに落とし込んでいった。

 2015年の世紀の番狂わせから4年が経った今、改めてサッカー界がエディー氏から学べることはなんだろうか。エディー氏が日本で指揮を執るきっかけを作り、サントリーラグビー部時代、そして日本代表チームのダイレクターとして最も近くで彼を支え、日本代表の成功の一翼を担った稲垣純一氏から話を聞くことができた。そこで得られた日本サッカーへのヒントとして、以下の3項目が挙げられる。

[1]世界と日本を知る指導者と長い関係をキープする
[2]監督を越えていく選手とスタッフを育てる
[3]「ジャパンウェイ」の具体性

 [1]を紹介した前編に続き、今回の後編では[2]と[3]を取り上げてみたい。

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[2]監督を越えていく選手とスタッフを育てる

 南アフリカ戦の最後のシーンはすでに語り尽くされている。残り時間わずかで、ペナルティーゴールが決まれば同点に追いつくというあのシーン。ゴールを狙え、というエディー氏の指示に反し、選手たちは逆転のトライを取りにいって、見事に歴史的快挙を完遂する。

 エディー氏に主体的判断の欠如を指摘されてきた日本人選手たちが、最後に見せた“監督を越えていくシーン”だ。稲垣に言わせると、我々が知るこのシーンだけではなく、この大会中に同様の出来事が続けて起こっていたらしい。

「外国人コーチは意外とイエスマンが多かった」

「スタッフたちに対しても厳しかったですからね。面白かったのは、外国人コーチは意外とイエスマンが多かったです。反対に、一番逆らったのは沢木(敬介/コーチングコーディネーター)ですよ。ワールドカップ中にも、途中で『帰れ』って言われたくらいですから(笑)。

 南アフリカ戦で面白いプレーがありました。ラインアウトからサインプレー五郎丸(歩)がトライしたシーンがあったんです。このサインプレーというのは沢木が考えたものですが、実はエディーは駄目だって言ったんです。使えない、試合では成功しないと。でも沢木は練習で成功しないのはディフェンスが分かっているから。分からないチームには絶対効くと主張していました。それで見事に成功したんです。

 あと面白いのは、立川(理道)が(アマナキ・レレイ・)マフィにすごい長いパスを放ったシーンがあるんです。日本人の長いパスは山なりになってしまって、インターセプトされやすかったから、エディーは長いパスを禁止してたんですよ。ですけど、その時は見事なパスでトライにつながりました。これはエディーに逆らったというより、選手やコーチたちも含めて、みんながエディー・ジョーンズを超えてきたんですよ。それがチームの強さだったと思います。4年間やってきて、コーチの言いなりばかりではなくて、コーチをさらに超えて先に進んでいったと」

 他の本などで多くが語られているため、ここでは繰り返さないが、エディーと選手たちの間には相当な緊張関係があった。サッカーの日本代表で、2018年ロシアW杯直前にバヒド・ハリルホジッチ氏の解任に至るプロセスと、エディーと選手の緊張関係が同質のものかどうかは分からない。そして、エディーと最後まで一緒に戦ったラグビーも、監督を解任して挑んだサッカーも、結果を残しているので、どちらも成功だったと言える。

 しかし、共通するのは、普段は主体性に欠けていた日本人選手たちが、自身の判断に自信を持ち目覚めた時の可能性を示していることだ。そして同時に、それを引き出すには日本の場合、相当な緊張関係を覚悟しなければならないのではないか、ということだ。

オシム氏が掲げた「日本サッカーの日本化」に近い概念

[3]「ジャパンウェイ」の具体性

 エディー氏もラグビー日本代表監督の就任にあたって、日本サッカーと同じ「ジャパンウェイ」というキャッチコピーを掲げている。

ジャパンウェイというのは日本人らしい、日本にしかない独特のラグビーということ。要はそれまで日本のラグビーというのは、体が小さいと言われても、体の大きなヨーロッパやオーストラリア、ニュージランドなどのラグビーを模倣しようとしていたんです。そうじゃなくて、日本人にしかできない、日本人らしいラグビーをやらせる。それがジャパンウェイだ、と」

 元日本代表監督のイビチャ・オシム氏が、「日本サッカーの日本化」という言葉で語ったことに、イメージは近いものを感じる。

 エディー氏は日本代表監督の在任中、ジョゼップ・グアルディオラ監督(現マンチェスター・シティ監督)を当時率いていたバイエルン・ミュンヘンまで訪ね、彼のサッカーのコンセプト、それを実践できるためのトレーニングの工夫などの話を聞きに行っている。グアルディオラサッカーのどのあたりが、「日本ラグビーの日本化」に役立ったのか興味深いところだ。

 彼が持っている日本ラグビーのビジョンを実現するためには、フィジカルに劣る日本人が、逆説的だが「その特長を生かすためのフィジカル」を徹底的に鍛える必要があった。

 稲垣氏は次のように証言する。

「相撲を見てみなさい、小さな力士が大きな力士に勝っているじゃないか、と。例えばエディーは、千代の富士なんかを例にしていました。それがラグビーでもできるはずだと。日本人の素早さを生かした、速いラグビーをやろうということですよね。そのためには強靭な体が必要になってくるということで、そのための厳しい練習をして、ファンダメンタルなスキルに対するこだわりもありましたね。スクラム、ラインアウトというラグビーの大事なファクターでは、体の小さな日本人は不利だと言われますが、そこも世界で伍するようにならなくちゃいけないと。求めていたのはスクラム、ラインアウトの強化と、ジャパンウェイを実現するためのスピード、低く鋭い相手の足もとを狙うタックル。それを実現するために世界一のフィットネスを身につけようとすると、当然練習はきつくなるわけです。そのきつい練習をしなかったら世界では勝てないし、そこでめげていたら当然勝てない。でもそれをやったら、強くなるんだということを盛んに言っていた。それがエディーの信念。4年間、それは変わらなかったですね」

ジャパンウェイ」を実現するためのフィジカルトレーニン

 日本人の特長を生かすためのハイレベルなフィジカルトレーニングを実現するために、エディー氏はしっかりと体制を整えた。

「S&C(ストレングス&コンディショニングコーディネーター)においても、エディーとはサントリー時代からずっと一緒だったジョン・プライヤーというコーチを招聘しました。そういったスペシャリストはもちろん、(フラン・)ボッシュという陸上選手のスピードトレーニングの世界的大家も採用していました。ラグビーの場合、100メートルを10秒で走るよりも、50メートルを5秒で走る選手、10メートルを世界一速く走る選手が欲しいんです。そのためのトレーニングをしていました。オランダ人のボッシュは、そういうトレーニングができるコーチでした。エディーさんが彼を見つけてきた。五郎丸には、かなり効果があったみたいで、もともと足が遅かったですが、短い距離はかなり速くなりました」

 このエピソードを聞いて思い出したのは、リヌス・ミケルスとヨハン・クライフが作り上げたオランダの「トータルフットボール」だ。その陰では、徹底的なフィジカルトレーニングが行われていたという。クライフ曰く「あのフットボールをするのに、一番必要だったのは強靭なフィジカルだった」と。

 日本人の特徴を生かすために、彼は前出の相撲以外にも多くの世界で成功した日本人指導者の話を収集したという。

「エディーさんは他の競技のコーチの元へ、勉強にすごく行ってましたね。特に世界で勝った日本人のコーチ。たとえば野球の原(辰徳)さん、サッカーで言えば佐々木(則夫)さんと岡田(武史)さん、バレーボールの眞鍋(政義)さん。そういった人たちに話を聞いていた。みんな共通して言うのが“日本人らしい”ということ。野球で言えば原さんの言っていた『スモーベースボール』は、ホームランを狙うのではなくて相手が嫌がるような細かいバントやヒットエンドランを使って進めていく野球。佐々木さんは素早いパスでつないでいく。岡田さんなんかもそうですよね。眞鍋さんはデータに基づいて選手を指導して、とにかくボールを拾うバレー。共通することは“日本人らしい”という言葉は使うので、エディーさんも確信を得たんじゃないかと思います。『俺の言ったことは間違いないだろう』と」

 本当の「ジャパンウェイ」の道は容易ではない。その定義と解釈でさえ難しい。ただ、ここでヒントになるのは「インサイドアウト」と「アウトサイドイン」という発想だ。

インサイドアウト」というのは、飛行機のコックピットから外を見る視点のことで、「アウトサイドイン」とはGPSで見た自分の位置、つまり鳥の目で見た自分たちということだ。

 エディー氏は外国人として日本人を見る「アウトサイドイン」の視点と、ラグビーという視点から日本ラグビー界のために他から学ぶという「インサイドアウト」の発想を、何度も行き来していたように思う。「ジャパンウェイ」を追求するには、この「アウトサイドイン」と「インサイドアウト」を、何度も繰り返しながら輪郭を明確にしていくことが必要だろう。

 南アフリカ戦の歴史的勝利は、エディー氏と選手の間に緊張関係があっても、逃げずに戦ってきた稲垣氏の勝利でもある。ここでは紹介しきれないエピソードもたくさん披露してくれた。

 稲垣氏はサントリーサンゴリアスのGMとして多くの実績を残し、エディー氏を招聘した。トップリーグ改革の先頭に立ち、多くのチームをまとめ上げるリーグのリーダーとしてのマネジメント経験を持ち、代表チームの強化ダイレクターとして南アフリカ戦の勝利に貢献した。クラブ、リーグ、代表とすべての立場を理解しつつ、成功に導いた功労者だ。

 今後稲垣氏が、ラグビー界にとどまらず、日本のスポーツ界にそのレガシーを伝えることを期待したい。その大きな身体と柔和な表情には、それだけのものがたくさん詰まっているように見える。(Football ZONE web 編集部 / Sports Business Team)

強豪南アフリカ相手に歴史的勝利を挙げた日本【写真:Getty Images】