電車やスーパー、飲食店などで泣き続けていたり走り回っていたりする子どもに遭遇することは少なくないでしょう。そのそばにいる親が、子どもに対して何もしていない場面も見かけます。

そんな風景を見た時、無意識に「どうして親がちゃんと怒らないのだろうか」「親は一体何をしている?」と疑問や怒りを覚えることもあるかもしれません。しかし、その親は決して「理由もなく何もしていない」わけではないこともあるのです。

「あの親、虐待しているのでは?」と疑われるのではないか

電車に乗ると特に感じることですが、子連れでいるととにかく他者からの視線が気になります。子どもに対して「お願いだから静かにしていて」と願うあまり、子どもが少しでも声を出そうものなら口をふさいでしまいたくなるほど。

そんな緊迫した心理状態の中、筆者が9か月の息子を抱っこ紐で抱っこして電車に乗った時のこと。息子が抱っこ紐から腕を伸ばし、隣の席に座った女性のバッグを触りだしたのです。

思わず「こら!やめなさい」と大きめな声とともに息子の手を払いのけ、女性に謝罪した筆者。幸いなことにその女性は笑顔で「大丈夫ですよ」と言ってくれましたが、筆者の心臓の動きはバクバクと早くなっていました。女性だけでなく、周囲からの視線もすごく気になっていたからです。

一連の出来事が終わってから、まだ赤ちゃんなのにキツく叱りすぎたかもしれない、手を払いのけた時に叩いたように見えたかも、とぐるぐると思考を巡らせてしまいました。その時、筆者は周囲から「あの親、虐待しているのでは?」と、疑いを持たれることに恐怖を感じている自分自身に気付きました。

「泣き止まない赤ちゃんやベビーカーそのものは仕方ないけれども、その親が周囲に申し訳なさそうにしていないのがムカつく」という声は少なくありません。子連れは、周囲への“申し訳ありません”パフォーマンスを常に求められるほど、他人からの視線にさらされています。

街中で子どもを怒らない親の中には、筆者のように「あの親、虐待していない?」という他人からの視線を気にしすぎるあまり怒れない人もいるのではないかと思うのです。

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何をやってもどうしようもできないことも

筆者は出産前、スーパーのお菓子コーナーで激しく駄々をこねている3歳くらいの男の子に対して、無表情で見つめるお母さんを見たことがありました。そのあまりにも子どもに対して無関心とも思えるお母さんの姿は、当時強いインパクトと大きな疑問を筆者に残しました。

しかし、子育てをしている今はあの時のお母さんの気持ちがわかります。あの時のお母さんは、怒る気力がなく、子育てにおいて限界にきていたのではないかと。

子どもを「泣き止ませる」「怒る」「叱る」というのは、とてもエネルギーが必要です。しかし、何をどうやっても泣き止まない、いくら言っても言うことを聞いてくれないというのは決して珍しくありません。

何をしても状況がどうにもならない時、人は、心を無にすることで自分を保つことができます。そうしないと、最悪の場合手をあげてしまったりすべて投げ出したりしそうになるからです。

子どもをしっかり叱ってしつけをし、自分の言う通りに行動させる。そうするのが親の務めだという意見は確かに正論です。しかし、24時間365日の子育てはそんな正論が常にまかり通るものでもありません。

筆者が見たあの男の子は、いつもあの時のように駄々をこね、お母さんの言うことを一切聞かない盛りだったのでしょう。そして怒る気力を失ったお母さんは、「あーまたか」という思いで、ただただ男の子の駄々が終わるのを耐えて待っていたのだと、今になって理解できます。

もう少しだけ、あたたかい心で見守ってほしい

言うまでもなく、他人に迷惑をかけてはいけないことを、家でも外でも子どもに教えることは親の義務であり責任です。「最近の親はちゃんとしていない」という見方がされていることも、当事者としては理解しています。

ただ、怒っていない親の中には、子どもを甘やかせようとしているわけでも自分が楽をしようとしているわけでもなく、上記のような事情の場合もあります。子どもが泣いていたり言うことを聞かないでいたりする際に「ちゃんと親が怒れ!」と憤る前に、もう少しだけあたたかい心で子連れを見守ってもらえたらと思います。