フェイスブックはフェイクニュースの温床
Attention Economy(アテンション・エコノミー)という言葉をご存知だろうか。
ソーシャルメディア(SNS)ではコンテンツが注目され、利用者のアクセス数が増えれば増えるほど収益も上がる。それをアテンション・エコノミーと呼ぶ。
ネット・メディアではまさにページビュー(PV)がすべてだ。多くの人にアクセスしてもらうことでそのコンテンツの価値が決まる。
コンテンツの中身は二の次三の次だ。それが「フェイクニュース」の温床となる。
だが、アテンション・エコノミーが突き進み、行きつく先には何があるのか――。
新進気鋭の女流ディジタル・デザイナーのジェニー・オデル氏(32)がこの論議に一石を投じている。
処女作『How to Do Nothing:Resisting the Attention Economy』(どうしたら何もしないでいられるか:アテンション・エコノミーへの反逆)を出版した。
先端技術のメッカ、シリコンバレーのど真ん中で育ち、グーグル・アースなどでデジタル・デザイン作品を発表している。その作品は米国にとどまらず、フランスやドイツでも大反響を呼んでいる。
オデル氏の作品はグーグル・アースのイメージを題材に制作したデジタル・デザインだ。彼女自身自分の作品についてこう述べている。
「私の作品は、グーグル・サテライト・ビューがとらえた、疎外された透視図を使って、私たちを取り囲んでいるありふれた環境としか思えない、壊れやすくて、不確実で偶発的な、一風変わった自然の姿を描き出したものだ」
言葉ではなかなかうまくご説明できないので、以下のサイトをクリックしてオデル氏の作品を直接見ていただく方がいいかもしれない。
(http://www.jennyodell.com/satellite.html)
オデル氏は、サンフランシスコ生まれ、カリフォルニア大学バークレイ校で英文学、サンフランシスコ・アート・インスティチュートで美術学で修士号を取得している。
高校生の頃からデッサン力やデザイン力が卓越しており、対象物に対する徹底した眼力と美学が織りなす作品は、タイム誌ライトボックス、「ジ・アトランティック」、独高級紙「ディー・ツァイト」などにも掲載されている。
作品制作の傍ら、スタンフォード大学でデジタル・アートについて講義している。講義には学生が殺到しているという。
グーグルというインターネットの「主役」がとらえた透視図を使いながら壊れやすくて、偶発的で、奇怪な生活環境をデジタル・イメージを作り出すオデル氏。
ネットから恩恵を受けた、そのオデル氏がインターネットに依存する現代社会に疑義を唱え出したのだ。
「私は米西海岸のいわゆるベイエリア(サンフランシスコ近郊のインターネット産業のメッカ的な地域)で生まれ育った。インターネットとともに成長した」
「ネット上で陽気に浮き浮きして生活してきた。すべてが驚くほど素晴らしい。ユートピアだと思っていた」
「ところが今、この生活にいったいどんな意味があるのか考え始めた。この生き方はいったいどこへ私を導いていくのだろうと」
「ソーシャルメディアは、ある意味で私たちの不安や羨望や動揺を解消させてくれる。満足させてくれる状況に私たちを置いておいてくれる」
「だからフェイスブックを手放すことができなくなってしまうのだ」
トランプ当選への怒りで儲けたSNSと広告主
2016年米大統領選挙が行われた。政治経験ゼロの不動産業で財を成した億万長者のドナルド・トランプ氏が大統領に選ばれた。オデル氏は続ける。
「選挙後、私の友人の多くはある種の混乱状況に陥った。彼らは選挙結果についての長い、エモーショナルな痛烈な批判をオンラインに書き込んだ」
「フェイスブックは終日、反トランプの長たらしい退屈な主張のオンパレードだった」
「だが考えてみれば、こんなことをしても実際に起こったことを変えるためには何の役も立たないことが分かった」
「そこは、こうなったことについての要因を論じ合うコミュニケーションの場ではなかった。恐れと怒りからくるエモーションの発露にすぎなかった」
「1人がつけた花火が次々と他の花火を点火していくようなものでしかなかった」
「アクセス数が増えれば増えるほど小躍りして喜ぶのはソーシャルメディアの管理者と広告主たちだった」
「私につき纏い始めたのは『ゾンビ』に見初められたようなフィーリングだった。すべてが瞬間的な恐怖だった」
「すでに起こってしまったことであり、いくら御託を並べ立ててもそれはユースレス(役に立たない)なのだ」
オデル氏はフェイスブックを見るのをやめ、外に出る。バードウォッチングを始める。鳥のさえずりを聞きながら瞑想にふける。
都市圏に住む人間にとっても、自然を労わるために地球の温暖化に注意を払わねばならない。そのことを身をもって感じさせてくれる瞬間だった。
フェイスブックで論じ合う地球温暖化問題は頭で考えるに過ぎない。
それは誰にも邪魔されぬ沈思であり、自分自身を取り囲んだ環境に身を置く「行動主義」だった。
バードウォッチングをすることで、オデル氏が気づいた解決策はスローダウンすることだった。
「どうしたら何もしないことができるか」だった。アテンション・エコノミーに真っ向から反逆することだった。
もっとも、アテンション・エコノミーに逆らうというのは、フェイスブックやツィッターを全面拒否することを意味しない。また反テクノロジー宣言ではない。
インターネット関連企業は、狭義での生産性を高める唯一神聖なものがテクノロジーだとして、テクノロジーを祭り上げるようなデザインを制作・販売している。
アテンション・エコノミーへの反逆とは、彼らのそうしたやり方に真っ向から反発するということだ。
人間一人ひとりが持つ情念を無視してはならない。そう主張しているのだ。
全米科学アカデミー総裁
「フェイスブック情報は疑ってかかれ」
オデル氏の問題提起には、科学者も賛同している。
女性初の全米科学アカデミー(NAS)総裁のマーシャ・マクナット氏は5月19日、ボストン大学卒業式で行った基調演説で以下のように述べている。
同氏は、当時米地質調査所(USGS)所長として2010年、メキシコ湾で起きた史上最大規模の石油流出事故の際に油除作業で陣頭指揮を執った。
「あの石油流出事故の際に政治家たちも石油企業の幹部も科学と科学的根拠を無視し、自分たちの本能的直観と特定利益を優先しようとした」
「それこそが現実社会における帰結だった。科学者の声を聞こうとせず、科学的根拠に目をつぶろうとした」
「卒業生諸君、論理的根拠に乏しいジャンク・サイエンス(似非科学)を見たら追い出しなさい。信用するに値しない情報源を見たら追い出しなさい」
「もし友達がフェイスブックで怪しげな情報を流しているのを読んだなら、事実を掌握するよう促しなさい」
「フェイスブックに登場する情報すべてを信用しないでほしい」
「完璧な科学者などというものはいない。彼らも誤りを犯す。ただ、科学は確かな証拠を何度も何度も精査し、回りくどい作業を経て、辿り着く確実性の高い証拠を生み出してきた」
「卒業生諸君、君たちは大学教育で事実をどう点検・検証するかのスキルを習得したはずだ。専門分野が何であろうともこのことは変わらない」
「ネット社会で拡散するフェイクニュースや意図的な誤報と事実をどう見分けるか、君たちが実践しないで誰がするというのか」
「社会がいかに変わろうとも『The Truth Still Matters』(真実こそ重要なのだ)。他のいかなるものよりも、科学者たちのモチベーション、特別な利益を排除する勇気、透明性こそがいつの時代も最も重要なのだ」
(http://www.bu.edu/today/2019/bu-commencement-marcia-mcnutt/)
「他人のリアリティにどっぷりと漬かるリスク」
ソーシャルメディアが現代人に及ぼす悪影響については、著名な米作家、ウィリアム・デレスウィッツ氏*1も指摘している。
「ソーシャルメディアにあまりにも長い時間没頭しているとどうなるか。ニュース・サイクルの虜になってしまう」
「あなたは自分自身のリアリティではなくほかの人の、その人のためのリアリティにどっぷりと漬かってしまう」
「つまり、他人の他人のための世間一般の通念が自分の通念(常識)に知らず知らずのうちになってしまう」
「あなたは自分の本当の声を聞けなくなるCacophony(不協和音)を作り出してしまうのだ」
「多くの人たちがフェイスブックをやめているのを知っている。良いことだと思う。フェイスブックはすべての事柄をオール・オア・ナッシング(一か八か)で決めつけるリスクがある」
「その一方でフェイスブックを手放せない人たちがいる。もう病みつきになっている。フェイスブックなしでは生きていけなくなってしまったのだ」
*1=デレスウィッツ氏は『Excellent Sheep: The Miseducation of the American Elite
and the Way to a Meaningful Life』(素晴らしき羊:誤ったエリート教育と有意義な人生への道)の著者。現在イエール大特任教授。
「ソーシャルメディアには魔物が潜んでいる」
ソーシャルメディアの持つネガティブなインパクトについては、デザイン・エシスト(倫理学者)でマジシャン(魔術師)のトリスタン・ハリス氏が「ハイテクはあなたのマインドをハイジャックする」というタイトルの論文を書いている。
ハリス氏は、グーグルで3年間、「デザイン倫理学者」としてグーグル使用者のマインドがハイジャックされないための防御対策を立案したという。
同氏によると、マジックでは、魔術師は見る人の知覚の盲点や脆弱性を調べ上げ、それを突くという。
ソーシャルメディアも同じように利用者の盲点を巧みに使って、物事を楽観視させるような「魔物」を潜ませている。
同氏のソーシャルメディア論はかなり複雑怪奇だ。ご関心のある人はかなり長文だが以下をクリックしていただきたい。
トランプ氏が大統領に就任して以降、米国のネット社会化は劇的に進んでいる。何しろ大統領自らが連日のようにツィッターでその瞬間、瞬間、思いついたことを発信しているのだから、米社会もツィッター化が進むわけだ。
大統領のツイッターの中身がすべて事実なのか、フェイクなのか。直ちには分からない。主要紙はその一つひとつの正否をチェックしている。
いずれにしても、かって米国民が一言一言を噛みしめ、味わっていたジョン・F・ケネディ35代大統領の発言のような「重み」はトランプ大統領のツィッターにはない。
オデル氏は、本書の中でこうも指摘している。
「ソーシャルメディアは、私たちの自らを表現しない権利すら蝕んでいる。自分の考え方を表に出さない権利すら奪われてしまっている」
「それは私たちの責任ではない。自分たちでそれを創出したわけではない」
「プロフェショナル(社会的地位のある人たち)は自らの考え、いかなることについても考えを公にしなければならなくなってしまった」
「それは特定の経済的リアリティが存続する限り、それを可能にするプラットフォーム(討論の場)が特定の形式で設計されている限り、なくなることはないだろう」
公的人間には「沈黙は金」は許されないということなのだろう。
このところ、日本では政治家の私的会合での問題発言が相次いでいる。誰かがツィートすれば、待ってましたとばかりにツィッターが四方八方から飛び交う。
「北方領土を奪い返すには戦争しかない」といったニュアンスの(北方領土訪問中での)発言がその政治家の政治生命を危うくさせている。
日本の同和問題に触れて物議を醸した別の政治家の発言が怒りを買っている。
問題発言はネットに乗り、燎原の火のように広がる。ネット以前の時代には考えられなかったことだ。
一連の動きが政治における透明性に役立つのか、あるいはそんなこととは無関係なのか。即断できない。
トランプ大統領が「令和日本」滞在中に何をどうツィートするのか。米国民は不安げに見守っている。
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