「新卒一括採用には違和感がある」経団連・中西宏明会長による“就活ルール廃止”の真意 から続く

#1では「就活ルール廃止」発言の真意を語った経団連・中西宏明会長。 大学教育についてを問われ「今の日本の学生や若い人たちを見ていて、ちょっとまずいんじゃないか」と感じることがあるという。東大京大の人気就活ランキング10位のコンサル会社・経営共創基盤(IGPI)のCEOの冨山和彦氏と共に“就活生に求めたい能力”を語る。(初の著書となる『社長の条件』より転載)

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今の日本の学生にこれだけは求めたいこと

冨山 大学教育については、言いたいことはありますか。

中西 いや、極めて多様な人材を求める、というのが正直なところですから、こういう鋳型にはめた人をください、というのはないですね。

 ただ、最低限はやっぱりあります。今の日本の学生や若い人たちを見ていて、これはちょっとまずいんじゃないか、と思っていることがあるんです。それは言いたいですね。 例えば、最低限のITリテラシーということになると、数学はちゃんとできていてほしい。

冨山 基礎能力系ですね。

中西 それから、やっぱり外国語。大学を出たんだから、得意でなくてもいいから、外国語が嫌い、というのはやめてよね、と。

冨山 英語は小学校から十数年やっていますからね。

中西 でも、大学の人と話をすると、最近は高校から入ってくる人のレベルがそうなっていない、という。それはまじめに入試をやっていないからじゃないですか、と返すんですけど。

冨山 数学も英語もそうなんですが、ものを考えたり、ものを分析したりするときの、ある種の言語能力ですよね。その基礎的な言語能力というのは、別にどこに行こうが共通マターです。だから、高等教育までで、ちゃんとやっておくべきことは、そっちだと思うんです。

 いわゆるウンチク学問っぽい教養は、その後でいいんじゃないか、と私は思っていまして。シェイクスピアがこう言ったとか、それもいいんだけど、英語もちゃんとできないのにシェイクスピアを語っている場合か、と思うわけです。

 ところが、日本の大学というのは、そういうウンチク教養学校になってしまっている。特に文系学科は。それが生きる力だ、なんていう評論家もいるんですが、言語能力がないんですから、生きる力はない。

冨山 実際、グローバルな世界であろうと、もっとローカルであろうと、それぞれの分野の基礎的な言語能力というのは、やっぱりある。先ほどふれたように当社にはグループにバス会社もあるんですが、地域の観光業をやるにしても、いろんな分野での基礎的な言語能力がいるんです。

 そこをとにかく学校では確実にちゃんと教わっていて、ちゃんとクリアしている状況で大学が世に出してあげないと、中途半端なウンチク学問は語れるけど、一番基礎的なことが抜けているという子が増えてしまう。

 それが今、教育に私が感じている矛盾なんです。

大学入試の易化で、いまや“中学3年生が学力ピーク説”も

中西 その意味でいうと、ゆとり教育とか、それがとても歪んだ形で卒業生たちの水準の全体レベルを下げている面がありますよね。そのことに対する危機感は、かなり強烈にあります。

冨山 日本のほうが、そういう基礎能力について、欧米よりも低くなってしまいましたから。

中西 アメリカも地域によって違うんですが、小学校からの数学教育というのは、かなりやっているんです。小学校で算数の基本ができていないと許されない、とか。

冨山 日本では、大学で因数分解を補習でやっているそうですから。これは問題です。おそらくあるのは、高校教育が危機なんじゃないかと思うんです。小学校教育、中学校教育は、良くも悪くも役所は頑張るんです。

 高校って、さっきも言われたように大学入試で担保されていたんですね。今、入試がどんどんなくなっているので、高校3年間、何もしなくても大学生になれちゃうようなことが起きている。

 昔は高校3年のときに学力がピークになるという説がありました。入試のおかげで。そのあと4年間の大学でバカになって社会人になる、なんて言われましたが、今は中学3年で学力ピーク説というのがある。

 いろんな意味で人間が成熟して、いろんなものを学ばなきゃいけない高校3年間、大学4年間の7年間が空白になってしまうのでは、中西さんが言われたように、そのあとはきついですね。

中西 きついですよ。そこからもう1回、再教育って、本人も相当、辛い。

冨山 年を取ると教育効果が下がりますからね。本人も困るでしょうけど、産業界はもちろん、社会全体が困る。

中西 会社はできないやつは採らないだけだから、いいんだけど。

冨山 いや、海外で採ればいいだけですしね。

中西 だから、基礎をちゃんとしてくれ、と大学には言っているんです。

法律や経済を学ぶには、じつは数学の能力が必須だ

中西 そもそも私は、まず理系・文系という境をやめようと言っています。法律や経済でも、最低限の数学はできないと。

冨山 いちおう私、法律家なんですが、法律って実は数学的なんです。ある要件事実をあてはめたら、一つの結論に行く。これは完全にAIの世界なんです。だから、裁判官が真っ先にいらなくなるという説もあります。要するにAIなことをやっているわけですから。

 経済学はもう理数系の学問ですよね。経営学も、簿記会計とかファイナンスとか、基礎言語は数字です。だから、ITも含めて、実はどの分野に行くにしても、統計学も含めた最低限のいくつかの言語能力って、やや理数系的ですよね。

 そこはちゃんとマスターしておいてくれないとあとで困る。すごく頭がいいのに、その言語がないために行き詰まってしまうようなことになりかねない。

中西 20、30年前にアメリカの初等教育で悩んだことを、今の日本の大学教育で悩んでいるんじゃないのかな。

冨山 かもしれないですね、たしかに。

中西 それは、いい算数の先生がいない、ということです。やっぱり社会が、「あ、これ教えなくていいや」と思った瞬間から、先生もトレーニングされなくなる。そうすると、改めてやるべきだと言われたって、さてどうやって教えたらいいんだ、ということになる。自分で一所懸命、勉強したことのない人が教えられないよね。

なぜアメリカでは「産学連携」と「基礎研究力」が両立するのか?

冨山 私がビジネススクールに行っていたのは、30年前です。スタンフォードはわりに理系的、ハイテクの学校だったこともありますが、ファイナンスとか統計学とかコンピュータとか、理数系科目が多かった。

中西 マネジメントサイエンスはみんなそうでしょう。

冨山 いっぱい数学が出てくるんですよ。あと、ちょっとした微分なんかも出てくる。財務理論なんて、ちょっとした高等数学を使っています。ただ、私は文系でしたけど、数学はできたんです。東大の文系は数学ができると、かなり楽に入れますから。

 アメリカ人には驚かれました。どうして法学部なのに数学ができるんだ、と。当時のアメリカの学生は、算数できなかったですから。

中西 それが変わったんです。大学のコースの取り方自体も、推奨もずいぶん変わっていて、先にエンジニアリングを出てからMBAを取るとか、クロスオーバーの人が多くなってきて、それがまた就職上、有利になる。

 アメリカの場合はもろに初任給に効きますからね。どこそこの大学のどのマスターを持っている、となったら、それだけで年収ベースで2、3割は違いますから。

 だから、大学院などのグラデュエート・スクールって、結婚してから入る人も多くて、妻にお尻を叩かれて、マスター取ろうとしてる、なんて男性もいますよね。

冨山 逆もありますね。夫が働いて、妻がマスターを目指す。博士号を持っている上に、MBAを目指したり。

中西 門戸が開かれているので、何度学んでも、また行ける。そのほうがグラデュエート・スクールウエルカムです。学費が高くても、入ってきますからね。

冨山 そして、出ればまた稼げる。

中西 投資と回収のサイクルがあるんですね。

冨山 そして大金持ちになったら、莫大な寄付をしてくれる。それが、スタンフォード大学なんかでノーベル賞が出てくる本当の理由です。やっぱり基礎研究資金が潤沢。それは、卒業生のコミュニティから入ってくるからです。私立なので、運営交付金はもらっていませんので。

中西 学費は高いけどね。

冨山 高いんですが、所得の低い人はほとんど奨学金で行けるんです。普通に行っちゃうと高いんですけど。

 でも、経済的にちゃんと投資と回収が成り立つから維持されている。奨学基金にも大学発ベンチャーで大成功した卒業生などから莫大な金が入っているのです。産学連携と基礎研究力は二律背反ではない。むしろ相互依存的なエコシステムをこの30年くらいで作り上げたわけです。

中西 アメリカ流が全面的にいいわけではないけれど、今の日本のボトルネックはかなり明確に見えているんですよね。

 それに対して、大学側がどう答えるのかというと、いやいや一斉採用で期限決めてください、と。それはどうなんでしょう。今後、協議会を組織して議論しますけどね。

(「文春オンライン」編集部)

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