この春、『記者たち 衝撃と畏怖の真実』と『バイス』という、イラク戦争関連のアメリカ映画が公開されたことをご存知でしょうか? なぜ、いまこの時期に? その背景には何があるのか? 日本では珍しい女性の中東研究家として活躍する岩永尚子先生がわかりやすく説明します。

 日本で今年3月下旬から4月にかけて、イラク戦争(2003年ブッシュ(息子)政権下)関連のアメリカ映画が2本、立てつづけに公開となりました。この2本の映画がどちらも「実話」にもとづいて作られているとのことでしたので、この時期になぜ2本も続くのかな? 開戦後16年というある程度の時間が経過したからかな?などと疑問に思いながらも、あわてて映画館に足を運んでみました。

 1本だけでももちろん勉強になりますが、できれば両方ともご覧になることをお勧めしたいところです(この2本ともを観ようと思っている方は、そうそういないとは思いますが)。2本観ることによって、イラク開戦に向けてのアメリカの指導部の動きを、政権の内側と外側の両方から理解できると思ったためです。

『記者たち 衝撃と畏怖の真実』(アメリカでの公開は2018年9月)は当時のアメリカ社会が、どのような状況で戦争へと向かっていったのかを理解させてくれます。一方、『バイス』(アメリカでの公開は2018年12月)は当時のアメリカ大統領であったチェイニーたちを中心に、戦端を開くために、権力者たちがどのように動いていたのか、政権内部のやり取りを教えてくれます。

 まだご覧になっていない方で、2本とも観てみたいと思われる方は、公開順のとおり、『記者たち』ののちに『バイス』を観たほうがよいでしょう。1本だけ観てみたいという方には、ここで紹介する、私の感想などを参考にしていただければ幸いです。

 率直な感想としては、『記者たち』はいわゆる「アメリカの良心」を感じさせるような清涼感が残ります。『バイス』は映画自体のシニカルな手法も相まって、何事も一筋縄ではいかないというか、何とも言えない後味を残してくれます。ネタバレはできるだけ避けるつもりですが、簡単にこれらの映画について解説し、その背景に何があるのかを考えてみたいと思います。

当時のニュース映像が効果的な『記者たち』

 まずは『記者たち 衝撃と畏怖の真実』から。副題の「衝撃と畏怖」はイラク攻撃の際のアメリカ軍の軍事戦略が「衝撃と畏怖」と名づけられていたことからきています。言い換えると、副題は「イラク攻撃の真実」という意味になります。題名のとおり、この映画は9・11事件からイラク戦争開戦に至るまでの、アメリカ政治の内側を追った新聞記者たちの物語です。

 彼らはアメリカイラク開戦の大義名分であった、サッダーム・フセイン政権による「大量破壊兵器の保有」に疑問を持ち取材を重ねていきます。そして、取材をすればするほど、この大義名分が政府によるねつ造ではないかという思いを強くしていきます。彼らは政府内の内部告発などから、大量破壊兵器イラクが保有していないことを明らかにします。
 
 けれども、その頃にはすでにニューヨークタイムズなどの大手の新聞社による、大義名分にもとづいた「政府広報」のような記事に押され、彼らの記事はないがしろにされます。彼らの記事だけでなく、多くの中東研究者たちによって表明されていた見解、つまり、9・11事件の首謀者であるとされたビン・ラーディンイラクのサッダーム・フセインとでは、思想が異なりすぎて共闘はあり得ない、という意見もかき消されていきました。
 
 彼らが明らかにした「真実」に基づく記事も顧みられないまま、アメリカは国連を巻き込んでイラク開戦へと突き進んでいきます。
 
 記者たちの執念の取材もこの映画の見ごたえの一つですが、脇をかためる周囲の人々もまた印象的です。たとえば、記者の妻は旧ユーゴスラビア出身ですが、9・11事件以降のアメリカで愛国主義が高まっていくさまを見て、「(祖国の人々も)みんな愛国主義だったわ、でも、だから国はなくなってしまった」と漏らします(セリフについては記憶によるもので、字幕どおりではありませんのでご了承ください)。
 
 また、志願してイラクに赴こうとする黒人の青年を思いとどまらせようと、彼の母は地図を手に「どこがアフガニスタンなのか言ってみなさい! 知りもしないところに戦争をしに行くの?」と息子に詰め寄ります。これに対して、息子は「じゃ、父さんベトナムがどこにあるか知っていたのか?」と反発します。こうした脇役陣たちが作品に深みを与え、若干盛り上がりに欠けるストーリーを補ってくれています。
 
『記者たち』では、ブッシュ大統領やパウエル国務大臣のスピーチなど、当時のニュース映像がそのまま使われています。その当時ニュースをかじりつくように見ていた私にとっては「あぁ、この映像は記憶にある!」とか、「たしかに、この人の記事を読んで憤ったわ!」と当時の記憶がよみがえってきました。

 一方の『バイス』はアメリカの指導者たちはすべて、いわゆる「そっくりさん」によって演じられているため、「似てるわ」と感心しつつも若干、違和感がぬぐえないかもしれません。

アメリカ大統領ディック・チェイニーの半生を描いた『バイス

アメリカ副大統領ディック・チェイニーの半生を描いた『バイス』

バイス』はブッシュ大統領(息子)の政権下で副大統領をつとめた、ディック・チェイニーの半生を描いた映画です。『バイス』には副大統領バイスプレジデント)の「副」という意味と、バイスという形容詞の「邪悪な」とか「悪徳」という意味もあり、この2つの意味がタイトルにこめられています。

 この映画によれば、チェイニーはそもそも弁舌さわやかな秀才タイプではなく、大学を中退し、飲んだくれて喧嘩をしては警察にやっかいになる「やんちゃな落ちこぼれ」だったようです。

 こんなダメ男のお尻を思いっきりひっぱたいて更生させたのが、後に彼の妻となる女性でした。彼女は美人で優秀、演説もチェイニー本人よりもずっと上手だったようです。彼女は「別れ話」をチラつかせてチェイニーを奮起させ、彼をホワイトハウスでのインターンから、最終的には政界入りさせたと映画では描かれています。
 
 チェイニーはラムズフェルド(後に彼はブッシュ政権下の国防長官となる)に気に入られて順調に出世し、フォード政権では若くして大統領補佐官に抜擢されました。その後も下院議員に当選、そののちのブッシュ(父)政権でも国防長官を務めました。

 残るポジション大統領のみというところまで出世しましたが、彼は心臓病を患っていることが明らかとなり、さらには家庭の事情から、共和党大統領候補者選への出馬を断念せざるをえませんでした。ブッシュ(父)以後の民主党政権下では、彼は石油掘削機会社のCEOを務め、このまま政界から引退するかに見えました。
 
 ところが、ブッシュ(息子)から副大統領候補としての誘いを受けます。この提案に対して、チェイニーの妻は「副大統領なんて大統領が死ぬのを待つだけの仕事でしょう?」と否定的でした。
 
 しかし、彼自身はこの提案を受け、みごとに選挙戦を乗りきって副大統領に就任しました。就任後、彼は法律を都合の良いように解釈させながら、副大統領の権限を最大限にまで拡大することを試みます。チェイニーにとって、大統領ワシントンを離れていたときに発生した9・11事件は、まさに権力拡大の好機でしかなかったのです。
 
 9・11事件以降、チェイニーやラムズフェルドは愛国心のたかまりと、テロに対する憤りという国民感情をどうおさめていくべきなのか考えます。一般市民へのヒヤリング調査などを行なった結果、国民が戸惑いを覚えている点は、標的のさだまらないテロリストとの戦いという未曽有の状態にあることだという結論に達します。

 彼らが考え出した秘策は、敵をテロリストから「国家」に限定して明確化させ、以前と同じ状態に戻し、わかりやすく「報復」という国民感情を煽ることでした。この映画によれば、そのスケープゴートの「国家」に選ばれたのが、ブッシュ大統領と因縁の深いイラクであったというのです。こうして、政府の指導者たちの指示によって、「大量破壊兵器の保持」という戦争開始のための大義名分と、それに基づく「証拠」がねつ造されていったのでした。

イラク戦争への「アメリカの良心」が際立つ2本

イラク戦争への「アメリカの良心」が際立つ2本

 この2本の映画で描かれていたイラク戦争開始の背景については、すでにほぼ明らかにされています。それにもかかわらず、戦争開始から16年が経過したイラク戦争を、なぜ、今「映画」という形で再構築する必要があったのでしょうか?
 
 おそらく、その背景には現在のアメリカ共和党政権下にあること、しかも過激な行動をとりがちなトランプ政権下にあることが挙げられます。つまり、イラク戦争のような状況に再び陥ってはいけないという「リベラル」の危機感の高まりがあると考えられるのです。
 
 実際、当時のイラクの事情とは異なっていますが、アメリカは現在、イランと一触即発の事態に陥っています。

バイス』の後半部で「この映画はあまりにもリベラルすぎる?」と観客に対して疑問が投げかけられていました。アメリカでこれらの映画に対してお金を払ってまで観るのは、「リベラル」な人々だけのような気もします。本当に観てほしいアンチリベラルな人々は、まったく観ないかも……と思わないでもありませんが、それでも映画を作らずにはいられない状況なのかもしれません。
 
 同時に、イラク戦争に関する醜悪な裏話が明らかになればなるほど、逆にこの2本の映画は「アメリカの良心」を際立たせているとも言えます。

『記者たち』の中でも何度も指摘されていたように、取材中に記者たちが不当に拘束されたりすることはありませんでした。また、『バイス』のように現在存命中の政治家のいわば「悪事」について映画にできるという点については、言論の自由を重んじるアメリカの状況にはとても感心させられます。

アメリカによるイラク攻撃後の日本の動き

 このようにアメリカでは「蒸し返す」かのごとく、イラク戦争について語られているようですが、アメリカイラク攻撃について、日本ではどのように扱われたのでしょうか?
 
 まず、攻撃決定時についてですが、当時の小泉政権は「大量破壊兵器保持の真偽」を見極めるべきとするよりは、むしろ「日米同盟の重要性」を説き、ブッシュ政権を強力に後押ししていました。そして、開戦以後の議論としては、日本がいかに「国際貢献」していくのかに重きが置かれていました。「日本はカネだけしか出さなくてよいのか?」と。こうした動きが、イラク戦争後の自衛隊のサマーワ派遣へとつながっていきました。
 
 では、「大量破壊兵器」が存在していなかったことが判明し、アブ・グレイ刑務所での囚人虐待事件などから、開戦支持派であったラムズフェルド国防長官が辞任に追い込まれたことは、日本政府の見解にどのような影響を与えたのでしょうか?
 
 答えとしては、ほぼ影響はなかったと言えるでしょう。というのも、日本政府が開戦時点では「大量破壊兵器」保持の真偽はわからず、国連安保理の決議に従っただけであるという立場を一貫して続けているためです。

 国会答弁が公開となっていますので、参考まで。

「日本政府のイラク戦争についての見解に関する質問主意書」
衆議院議員辻元清美君提出日本政府のイラク戦争についての見解に関する質問に対する答弁書」

 こうした日本政府の姿勢は、政府の参戦が妥当であったのかを、3回も異なる調査委員会を作って調べ上げたイギリスの姿勢とは、まったく異なっています。最終的にはチルコット委員会(20092016年)と呼ばれる調査委員会が、7年に及ぶ調査のすえに報告書を作成しました。
 
 この報告書はトルストイの『戦争と平和』の4倍もの量の260万語に達するほど膨大でしたが、諜報活動から戦後処理に至るまで「何から何まで失敗だった」という厳しい評価を下していました。
 
 2015年、ブレア首相は「イラクの脅威を強調して開戦に持ち込んだ」ことを謝罪し、イラクの治安の悪化がその後のISなどの過激派の温床となる一因を作ったことを認めました。
 
 もちろん、アメリカと結託した形で強力に開戦を主張したイギリスと、支持はしたものの参戦してはいない日本では、根本的にイラク戦争への関与の度合いが異なっていることは確かです。ですが、2009年にはオランダでも検証が行なわれています。オランダイラク戦争が国際法に反するものであったと結論づけ、改めてイラク戦争支持を撤回しました。
 
 誤った情報に基づいた開戦であったことが明らかになった後でも、日本政府は当時の判断は「妥当性を失うものではなく」、国際社会が与えた平和的解決の真摯な努力にイラクがこたえようとしなかったとの姿勢を取り続けています。

「日本政府のイラク戦争への協力の検証に関する質問主意書」
衆議院議員逢坂誠二君提出日本政府のイラク戦争への協力の検証に関する質問に対する答弁書」

 また、2012年には外務省イラク戦争の検証を行なったものの、概要しか公開されていません(全文は非公開のまま)。

 その後も自衛隊イラク派遣の際の活動報告書(日報)や、南スーダンのPKOの日報の隠ぺい疑惑が生じるなど、日本政府は情報(公開も含む)の重要性について、驚くほどの無頓着さを示しつづけています。映画を作れるようになるにはまだまだ遠そうです。

(文:岩永尚子)