も~もたろうさん、ももたろうさん~♪

昭和世代ならこのフレーズ口ずさめる人が多いはず。
桃太郎といえば桃から生まれてきた男の子で、お婆さん爺さんから黍団子をもらって、イヌ、サル、キジとともに鬼ヶ島の鬼を退治しに行く物語ですよね。

山東庵京伝(山東京伝)著『絵本宝七種』(蔦屋重三郎刊、1804年)より

筆者はよく山梨方面に出ることが多く、都心からですと乗り換え大月駅を使う頻度が高いのですが、たまたま大月で時間潰しをしていると桃太郎伝説なる文字が浮上・・・。

ん?桃太郎って岡山の伝説じゃないの?お土産の吉備団子、名物ですよね?

岡山=桃太郎は昭和以降

あれあれ~と思い調べてみると、桃太郎伝説が岡山と深く結びついたのはなんと昭和以降のこと!割と最近なんですね。

桃太郎が岡山発祥説は、難波金之助という塑像家が提唱した説で、当時は注目されていなかったそうです。しかし昭和37年岡山県で開かれた国民体育大会で、県のシンボルとして使われ爆発的に定着したとのこと。

この説は「崇神天皇の時代に大和朝廷から吉備(岡山県)へ征討におもむいた四道将軍の一人、吉備津彦が桃太郎モデル」とするもの。具体性があり何やら説得力も感じることから広く定着したのでしょうね。

しかし崇神天皇の伝説の拠り所となる『日本書紀』や『古事記』には、「四道将軍の一人として吉備津彦命を任命」という記録はあるものの、吉備地方への侵略や征服の記述はないそうです。

確かに吉備と黍(きび)の音も一緒だから、結びつけたくなるのもわかりますねぇ・・・。

桃太郎伝承はいつから?

物語としての成立年代は正確には分かっていません。口承文学として室町時代末期から江戸初期に確立し、その後は草双紙(絵入りの娯楽本)などの読み物として定着していきました。現存最古の文献は享保8年の『もゝ太郎』とされています。

岡山から東北まで全国各地で同じような伝説が語られており、どこが発祥かははっきりとは判明していません。

大月の桃太郎伝説

さて話は戻り、大月市

ここの桃太郎伝説は「お婆さんが〈桂川〉で洗濯をしていると、桃がなることで知られている桃倉山(現在の百蔵山)から大きな桃が流れてきた。お婆さんが桃を持ち帰ると中から男の子が生まれ、その子を桃太郎と名付けた(お婆さん・お爺さんが桃倉山の巨大な桃を持ち帰って開けたら桃太郎が生まれ、二人は桃を食べたら若返ったというバリエーションもあります)。

成長した桃太郎は、岩殿山に住む悪い鬼を退治に出かけ、途中で犬と雉と猿を家来にして鬼を退治し、かくして里に平和が戻った」というもの。

現在も犬の出た所が「犬目」、きじの出た所が「鳥沢」、猿の出た所が「猿橋」という地名として残っています。

地名になっているとなんだか説得力がありますねー。

他にも赤鬼が住んでいたといわれる「鬼の隠れ岩」(正式名:新宮洞窟)という巨大な岩窟や、鬼を斬りつけたときに血が滴ったとされる「鬼の血」、鬼が桃太郎一行に投げつけた石柱の「鬼の杖」などなど、たくさんの由来や地名が残っています。ちなみに石が刺さった時、地面が大きく揺れたのでこの辺りを石動(いしどう)と呼ぶそうです。
「鬼の隠れ岩」は岩殿山の登山口にあります。

なかでも猿橋は「岩国の錦帯橋」「木曽の棧(かけはし)」と並ぶ日本三奇橋のひとつと呼ばれており、橋脚を全く使わない特殊な構造だそうです。歌川広重の「甲陽猿橋之図」や十返舎一九の「諸国道中金之草鞋」などにその珍しい構造が描かれています。

「甲陽猿橋之図」歌川広重

猿橋の伝説は、西暦600年ごろ百済からやって来た志羅呼(しらこ)という造園博士が橋の建設の苦心していたところ、猿が体をつなげあって対岸に渡っていく姿をみて、着想を得て造ったといわれています。

大正時代には猿橋駅で「桃太郎もち」が売られており、そのことから大月では桃太郎伝説発祥の地を自認していことがうかがえますね。この桃太郎もちは一度販売終了していたものの、2017年になり再販売されています。

世間に大月桃太郎説が広く行き渡っていた裏付けとして、背景に富士山が描かれている菱川春宣の『夜伽桃太郎』(明治23年〈1890〉)=写真上=などの錦絵もあります。
知る人ぞ知るディープな桃太郎スポット、一度訪れてみてはいかがでょうか。

参考:大月市観光協会

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