前回は動力性能試験の聖地である谷田部(JARI)でのレポートをお届けしたが、もうひとつモト・ライダー誌では操縦性能を厳しくチェックする上で、メインのテストステージとして筑波サーキットを使っていた。当然、ロードボンバーもその真価を問うべく筑波サーキットに持ち込んで走り込んだのである。テクニカルなショートコースで、いかなる走りを発揮したのか。ついにそのポテンシャルが明らかになる。 テキスト⚫️山田 純(YAMADA Jun) 編集⚫️近田 茂(CHIKATA Shigeru)

h2◼️当時の記事、カラー&モノクログラビアから抜粋(1977年6月号)
ポルシェとの対決企画は1977年6月号。表紙モデルは山田 純
見開き始まり3ページの特集企画。左頁のみがカラーグラビアだ。
見開き始まりの右頁はモノクログラビア。
個人オーナーのご協力を得て拝借したポルシェをドライビングする津々見友彦さん。

筑波サ—キットで対決!!
ロードボンバー vs ポルシェ930ターボ
ポルシェ930ターボ1分18秒40 ロードボンバー1分22秒09

⚫️タイヤの数と幅に負けてしまった!?

ポルシェ930ターボ・ドライバー:津々見友彦
ロードボンバーライダー:山田純
協力:ポルシェ930ターボオーナー:笹塚久元氏
Photo:矢崎孝一(MPS)

 サーキットで2輪と4輪を闘わせるというのは、“双方”にとって非常に興味のあるテーマなので、4輪誌、2輪誌ともよく企画する。これまでも、ドライバー誌で「ギャランラムダvsカワサキZ650」を企画してねらいどおり「ラムダ」を勝たせている。
 当方もやる以上は、2輪が勝たなきゃおもしろくない、ということで2輪はロードボンバーに決めて、さて相手となる4輪は……と、まわりを見わたしたのだが、適当なクルマが見当らない。いくら2輪が勝たなきゃならない、といっても遅い4輪では“八百長”がバレる、それでは4輪では最強のポルシェ930ターボをぶっつけてみようかということになった。
 ロードボンバーは、すでに筑波サーキットで1分17秒2をマークしているし、ファイナルを変えて“マジメ”に走れば16秒台は楽だ。一方ポルシェ930ターボが何秒で走るかわからないが、せいぜい15秒台ぐらいだろう、という甘い読みで筑波サーキットを舞台に、ロードボンバーポルシェ930ターボの対決が始まったのだが……。

⚫️無情の雨で戦意喪失

 当日は前夜来の雨が残り、午後になってようやく雨がやんだが、コースはびっしょり濡れている、という最悪のコンディション。
 どちらかというと、ウエット路面では4輪より2輪のほうが不利な条件だ。
 まあこの条件では、まともな勝負はできない、双方ともあまり無理をせずにトライしよう、ということで対決ランが始まった。
 まず、ポルシェ930ターボが単独でタイム・アタック。ドライバーはベテランの津々見友彦だ。
 巨大なテール・スポイラーを威圧的につきだした、シルバー・メタリックのポルシェ930ターボは、最高出力260ps/5500rpm、最高速250km/h、0→100km/h 5.2秒、0→1000m 24.4秒という性能を誇る。それでいて、実にフレキシブルで扱いやすい、との定評があり、また、ターボは1600rpmあたりから効きはじめトルクの発生回転数である4000rpmからの加速は、まるでロケットのような加速力を発揮するという。
 ただ、今回のポルシェ930ターボには、排出ガスの51年規制が施されており、オーナーの言によると「ちょっとかったるい」とのことだ。
 それに対し、ロードボンバーパワーユニットは、XT500のOHC単気筒そのままの30ps/5800rpmという“非力”なパワーをもち、0→400m14.2秒、最高速174.8km/hという性能にすぎない。
 津々見友彦が操るポルシェ930ターボははじめの数周、ゆっくりと筑波を周回している。マシンに慣れるのと、濡れた路面でマシンの挙動がどう変わるか、といったことをチェックしているわけだ。
 やがて、ホームストレッチから一段とスピード・アップしたポルシェ930ターボは、鋭く第1コーナーへつっこんでいった。かなりはげしいブレーキングと同時に、シフト・ダウン。排気ターボのせいか非常に静かな排気音となった930ターボの排気音が、それでもグォウと高まる。激しくロールしながら第1コーナーをクリア。が、やはりウェット路面のせいかコーナリング・スピードをかなりセーブしている。しかし、なんといっても、その立上がりの加速がすごい。一瞬テールを沈めて力をためるかのような感じの930ターボは、グッグーッと2段ロケットのような加速を見せる。明らかにターボの効き始めているのが、見ていてもわかる。
 第1ヘアピンもやはり慎重にまわり、ダンロップ・ブリッジの下をくぐり、第2ヘアピンへ。
 第2ヘアピンから立ち上がってくる様は実に豪快だ。アッという間に最終コーナーに達する。最終コーナーは、ドイツピレリの50%プロフィールの16インチタイヤでグッと大地にふんばるような安定感のあるコーナリング・スタイルを見せながらホーム・ストレッチに戻ってきた。ラップタイムは1分19秒74だ。
 津々見友彦ドライバーは「すべって、すべって」と後で語っていたが、エンジンを全開にすることもなく、コーナリングもゆっくりというのに、はじめから20秒を切ったタイムをたたきだしてしまった。
 「なにしろターボが効きだすのにタイム・ラグがあるからコーナーでグッと踏んでも実際に効きだすのはコーナーをでてからだ」というぐらい、ポルシェ930ターボの実力の半分も発揮しないで、このタイムだ。
 この後3、4周してポルシェ930ターボはピットイン。タイムは1分18秒〜19秒台だ。

⚫️まったく歯がたたず

 次いでロードボンバーがコースイン。やはり数周のウォーミング・アップ・ランの後タイム・アタックを開始した。
 タタタタタ……となんとなくたよりない感じの排気音を響かせながらスタートしていく。
 濡れた路面にもかかわらず山田純は、スムーズにロードボンバーを操る。が、いかんせんタイムがでない。1分26秒台からスタートし25秒3、25秒05、24秒75というタイムだ。
 そこで再びポルシェ930ターボがコースイン。ロードボンバーと競うことになった。
 1周目、ポルシェ930ターボは1分18秒72。ロードボンバーは1分22秒8。ロードボンバーは山田純の必死のライディングで、タイムを向上したが、それでもポルシェ930ターボにはまったくおよびもつかないタイムだ。
 2周目、ポルシェ930ターボは1分18秒87、ロードボンバーは1分22秒09。
 3周目、ポルシェ930ターボは1分18秒40、ロードボンバー1分22秒84、と4秒ものタイム差がある。これ以上やってもムダ、というわけで、ロードボンバーポルシェ930ターボの対決ランはこれをもって終った。
 こともあろうに、こんなに速い相手をもってきてしまったことを悔んでも“後のまつり”。だが、ウエットで、しかも“ゆっくり”走って1分18秒台をマークするポルシェ930ターボは、ドライでめ一杯の走りをしたらどんなタイムをたたきだすか、実に空おそろしい。
 当方としても、MR4月号で大きなことをいった手前、今回の結果を正直にレポートすることは、大いにつらいのだが、今回はあまりにも相手が強すぎた、といことでごカンベン願いたい。
 次のチャンスには、五分に渡りあえる相手にするつもりである。

◼️末尾キャプション
ソフトな足まわり、静かな排気音と快適な乗用車ポルシェ930ターボの強烈な加速には脱帽。
 右はその怪物を巧みに操った津々見友彦。

1977年6月号の特集企画。『タイヤの数と幅に負けてしまった !?』
h2山田純、当時を振り返って。

 茨城県下妻市にある全長約2km(正確には当時2045mだったかな)の筑波サーキットは、関東のライダーには通い慣れたところだ。1周の距離は短いし、スピードもそれほど高くはないけれど、それだけに走りやすいし、逆にごまかしも効かないのが特徴。モト・ライダーの徹底比較企画等では、まさにテストのメインステージだった。

 早朝からスタートする事も多く、前の晩には隣接する越山(ご夫婦で切り盛りされていたレストラン)の大広間に取材スタッフ全員で雑魚寝。サーキットもレストランもまだ利用者が少なかった頃だけに、当時モト・ライダーは「お得意様」として歓迎された。
 
 さて、谷田部(JARI)のテストでも分かったようにロードボンバーは、トップスピードこそ大したことはないけれど、身軽さを活かしたその走りは、おそらく筑波サーキットには向いているだろうと考えていた。
 
 ところが、ポルシェとの対決当日は、あいにくの雨となった。このときは、他の特集の撮影も兼ねていてたので、1時間だったかの貸切の中で慌ただしい試乗対決となる。撮影は、ロードボンバーポルシェとバトルするシーンの絵を撮るというものだった。
 ポルシェは当時最速の930ターボだった。ドライバーは大御所の津々見友彦さん。相手に不足はない。それどころか、手強い相手だ。
 だが、雨ではさすが大パワーのポルシェも簡単にホイールスピンしてしまい、津々見さんをもってしても、開けられない。(※:スロットルを)

 ロードボンバーは、スロットル開け始めのグイッと路面を蹴っ飛ばす特性を注意すれば、結構走れてしまう。(※:パワーはそれほど強力ではないから)

 ポルシェに合わせる感じで、抑え気味の走りで撮影を終えた。

 雨でアタックは不十分の中、タイムは、930ターボが1分18秒40、ボンバーは1分22秒09で負けてしまった。

 ドライ路面では既に1分17秒ぐらいはマークしていただけに残念。しかし、走りの気持ち良さは「ハンパじゃない」レベルだった。撮影後、津々見さんが「そのバイク速いねー、こんな滑りやすい路面なのに?!」とビックリしていた。

 「津々見さん、本領はこんなもんじゃないんですよ!」と僕は心の中で叫んだのを覚えている。
 
 その後、ドライ路面で走らせたいとの思いはすぐ叶った。このころは筑波も空いていて、わりと簡単に専有走行時間を確保できたので、日を改めて走らせることになった。
 
 ドルンッ、スタタタッ、長さんが暖気しておいてくれたロードボンバーを、1コーナーに向けて上り勾配になっている短いピットロードをスタートさせた。
 
 同じ時間帯に違う企画で走らせていた4気筒マルチの400、500、650のモトと比較して、あっけないほど軽快。好きなラインで走れるロードボンバーは、その音やスタイルからは考えられないほど速かった。
 
 筑波サーキットは、第一ヘアピンと第二ヘアピンの二つのヘアピンコーナーにはカント(傾斜)が結構強く付いている。なので、この二つのコーナーは小さなバンクに飛び込む感じとなり、コーナリングというより小さく回り込むタイミングで速さが決まる。
 
 だが、ダンロップアーチ手前にある右90度コーナーと最終コーナーは、バイクの性格やポテンシャルが、後に続くストレートやコーナーのスピードを大きく左右する。
 
 ロードボンバーは、前後サスペンションもタイヤもブレーキも市販ロードスポーツCJ360のままだから、お世辞にもサーキット向きとはいえない。にも関わらず、大きなアールを描くことでコーナリングスピードを落とさないようにしてやると、驚くほど良く走る。
 
 長さんが言っていた「フィーリングとしては、125のレーシングマシンとあまり変わらないポテンシャルはあるはず」という言葉は、ピタリと当てはまる。走らせている僕は、あまりの楽しさににやけっぱなしだった。どれだけ頑張ってコーナーに飛び込んでも、車体はビタッと安定していて、速い。
 
 こんな市販スポーツがあったら、ワインディングロードが待ち遠しくなるに違いない、と確信させる出来事になった。
  
 決して無理はしないタイムアタックでも、結果は予測を超える1分14秒7をマークした。

h2⚫️対決ドライバーは津々見 友彦さん
h2⚫️著者プロフィール(モト・ライダー誌への参画)

 アメリカから帰国後、少しかじったレースは止めて普通の仕事をしようとしていたところにやって来たのが、ビッグバイク誌で一緒に仕事をしていた小野里 眞くんだった。「これから僕のいる会社でバイク雑誌を作るんで、一緒にやらない?どうせ暇してんだろうから」と連れて行かれたのが、三栄書房だった。編集長は、鈴木脩巳社長が兼任していた。
 それがモト・ライダー誌と関わるキッカケになった。

山田 純(ヤマダ ジュン
東京都在住
1950年1月生まれ 69歳
20歳の時単身渡米 AMAロードレースに参戦。
帰国後MCFAJジュニア350チャンピオン獲得。
その後バイク雑誌の編集、編集長歴任後、フリーランスへ。
現在BMW Japan公認ライダートレーニング・インストラクター 兼ツーリングライダー

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