Point
■ホーキング博士の予想によると、ブラックホールは何でも吸い込む完全なブラックではなく、極微量の放射を行いながら徐々に蒸発しているという
■このホーキング放射は、事象の地平面に粒子・反粒子のペアが生成された際、反粒子のみがブラックホールに捕らわれた際に起こる
■この現象を、音を利用した擬似的なブラックホールによって再現し、観測しようとする実験が進められている
ブラックホールとか、事象の地平面というのは何ともSF好きの心をくすぐる単語だが、こういった場所で起こっている現象については、あまり聞いたことが無いという人も多いだろう。
ホーキング博士の予想では、ブラックホールは微量の熱的放射(ホーキング放射)を行っており、実は完全なブラックではないという。
ブラック企業の言い訳にも聞こえる予想だが、これを実証することは容易ではない。そのためにはブラックホールの観測が必要になるからだ。
物理学にはホーキング博士のような頭の中で考える理論物理学者と、実際実験や観測によって現象を捉える実験物理学者がおり、両者の同意が得られなければ正式な物理現象とは認められない。
ブラックホールは観測に必要な光(電磁波)を全て吸い込んでしまうことから、観測することは事実上不可能だ。
そんな中、実際のブラックホールを観測するのは無理でも、音を使って擬似的なブラックホールを生み出すことが可能だ、という考え方が登場する。
この方法は実際2014年にイスラエルの研究チームにより実現され、2016年にはその音のブラックホールからホーキング放射に類似する現象が観測されている。そして今回、同じ研究チームより、さらに精度を上げた実験成功の報告が発表された。
どうやら確かにブラックホールからのホーキング放射は存在するらしい。この機会に、ホーキング放射とは何か? 人工的にブラックホールを作るとはどういうことなのか? について解説しよう。
この研究はイスラエルの物理学者チームより発表され、5月29日付けのnatureに掲載されている。
https://www.nature.com/articles/s41586-019-1241-0
事象の地平面? ホーキング放射? 興味をくすぐる難解用語
事象の地平面というのは、ブラックホール周辺で光子さえ脱出不可能になるポイントのことを指す。
光子さえ脱出できないので、事実上これより内側の空間は観測することが不可能になる。この中が空間と呼べる状態なのかどうかも怪しい状態だ。
この事象の地平面は、滝壺に例えられることがある。映画やアニメの絶体絶命なワンシーンとしてよく見かける、激流に流されて滝壺に落ちかける状況。この激流を重力に例えた場合、滝壺が事象の地平面に相当するというのだ。
いくら頑張って激流に耐えようと、滝壺に落ちたらひとたまりもない。流れに逆らうこととはまさに次元の違う問題だ。
事象の地平面に捕らわれるとは、まさにこの滝壺に落ちることに等しいのだ。
そのため、ブラックホールは全てを飲み込み、何者も脱出できない。つまりは何の放射も行わない。というのがこれまでの定説だった。しかしホーキング博士は、そんな定説とは異なり、事象の地平面からも何らかの熱的放射が存在するという予想を述べたのだ。
そしてそれにより、ブラックホールは徐々に蒸発して消えているというのだ。
一体どうやってそんな凄まじい重力の境界から放射が起こるのだろうか? ブラックホールが蒸発するとは何なのか?
これには粒子・反粒子の存在が関係している。何もない真空中では、実は常に粒子と反粒子というペアの物質が生まれ続けている。
真空と粒子・反粒子を考える場合、綺麗に玉の埋まった壁のようなものを想像してもらえばいい。滑らかな平面の壁に何か衝撃が加わると壁にハマった玉がぽろりと外れる。するとそこには落ちた玉と、玉の抜けた窪みが現れる。
滑らかな壁が真空の状態とすると、壁から抜けた玉と穴は、それぞれ粒子と反粒子と言える。実はこのような原理で、真空中では絶えず粒子と反粒子のペアが生まれ続けているのだ。これを対生成という。
宇宙は無から生まれたと言うが、それはこの対生成によるものだと考えられている。ただ、この穴と玉は強く引きつけあっている。粒子・反粒子のペアは生まれた瞬間、すぐにまたくっついて元の真空へと戻ってしまうのだ。これを対消滅という。
ところがこの現象が、ブラックホールの事象の地平面で起こった場合、反粒子だけがブラックホール内へ捕らわれ粒子だけは逃れるような状況が発生することがある。
素粒子の世界では、あまりに構造が基本的なためにそれぞれの粒子に違いがない。吸い込まれた反粒子はブラックホール内にとらわれている粒子とくっつき対消滅を起こして消えてしまう。
すると、見かけ上、ブラックホールは粒子の放射を行いながらゆっくり蒸発しているような状態になる。これがいわゆるホーキング放射だ。
ブラックホールは人工的に作れるのか?
理屈としてのホーキング放射はわかるが、実験物理学者たちはなんとしてもこれを実験で再現し観測したいと考える。
しかし、重力については未だに物理学者たちはその真の正体を明らかに出来てはない。重力の塊であるブラックホールを作り出すことは現在の技術では不可能だ。
そこで、今回報告されたイスラエルのチームは、擬似的なブラックホールを作り出し観測を行った。
その方法が音だというのだ。
よく意味がわからないと思うので、順々に説明していこう。
光(電磁波)は光速度(秒速30万km)で空間を伝わっていく波なのだが、音も音速(秒速340m)で空間を伝わる波である。そして光が光子という素粒子として捉えることができるのと同様に、音も量子論においてはフォノン(音子)という粒子として考えることができる。
え? 音って空気の振動じゃないの? と思うかもしれないが、では原子1つを振動させて出る音とはなんだろう? 禅問答みたいだが、量子論はそういう考え方から原子が振動したときに音子という素粒子が発生するという捉え方をするのだ。
そうした方法によって、光は音へと変換して考えることができる。そうなると光を捕らえて離さない事象の地平面も、何かに置き換えることが可能だろう。
当然フォノンは音速で移動する粒子になる。音は原子間を伝わっていく現象だから、原子が揃って音速を超えて流れ出した場合、フォノンはその流れに逆らって脱出することは不可能になる。これが音を使った擬似的な事象の地平面というわけだ。
揃って原子を音速以上で流すためには、ボーズ・アインシュタイン凝集(BAC)という現象を使う。これは超伝導の原理とも考えられている現象だが、ガスを絶対零度に近い温度まで下げるとボーズ粒子という同じ状態の仲間をたくさん集めて行動する粒子として振る舞い始め、原子がまるでレーザー光線のように揃った動きをするようになる。
この原子の揃った流れを重力に見立てて、流れが音速になるポイントを故意に作り出すと、疑似的なブラックホールと事象の地平面が再現できるのだ。
徐々に明らかになるブラックホール周辺の状況
この音速の事象の地平面で生成されるフォノンの振る舞いを見た場合、一部は事象の地平面の向こうへ捕らえられるが、対で生まれた一方は脱出することが確認出来たという。
これはあくまで擬似的な実験だが、十分にホーキングの理論的予想を支持する証拠だという。
新しい実験では、この粒子反粒子と等価な音波のペアをより強い信号として観測することが出来たという。それにより、事象の地平面に起こる現象について、より有効な検出方法を提供できるという。
ホーキング放射により検出される温度は、高くても60ナノケルビンというとてつもなく小さいエネルギーだ。今回の研究では、そんな非常に小さい事象の地平面の放射を捉えるために、検出方法をかなり更新させたようだ。
擬似的なブラックホールと、そこで起きる現象の測定がだいぶ安定してきたので、研究者たちは次のステップとしてこのホーキング放射という現象が時間と共にどのように変化していくかを今後は実験を繰り返すことで明らかにしたいと語っている。
ブラックホールが作れなくても、擬似的なものなら作れる。実験物理学者の執念は本当にすごいものだ。
ちなみにブラックホールが蒸発すると言ってもそれは非常にゆっくりとしたものだ。太陽と同じような質量のブラックホールが合ったとしても、それが蒸発するには兆や京を超えた桁の年数が掛かるという。
もはやスケールが違いすぎて我々には意味がわからない。
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