皆さん、バスは好きですか?

筆者も好きでちょくちょく利用しますが、バスは遠距離間を一気に結ぶ電車や、目的地へピンポイントで直行するタクシーなど他の交通機関と比べて地域に対する密着度が高く、色々なバス停を巡れる点が魅力だと思っています。

そしてバス停には古くからの地名がそのまま残っていることも多く、珍しい地名に接することが出来るのも、バスに乗る楽しみとなっています。

今回は、バス停に残された地名から郷土の歴史を発見したエピソードを紹介。皆さんの身の回りに隠された郷土の歴史に興味を持っていただくきっかけとなりましたら幸いです。

「山王」様はどこにいる?

そのバス停「山王(さんのう)」という名前です。

山王と呼ばれるからには近くに山王様(大山咋神・おおやまくいのかみ)をお祀りする日枝神社がある筈……と、ちょうどその日は時間に余裕があったため、バス停の周辺を隈なく探し回りました。

……が、いくら探してもお社も祠も見つからないまま両隣のバス停まで着き当たってしまったため、日を改めようとやむなく撤退したのでした。

それからの数年間、このバス停に通りがかる度に「いったい山王様はどこに祀られているんだ問題」が脳裏をよぎる日々が続いたのですが、つい先日の朝、通りすがりにふと気まぐれに山王バス停近くの御霊神社(旧鎌倉郡・田谷村の鎮守)に立ち寄った時のこと。

田谷の御霊神社

鳥居をくぐって参拝すると、その社殿の脇に鎮座している二基の石碑が目につき、そこには「天照皇大神(神明社)」と共に「日枝社(神社)」の文字が刻まれているではありませんか。

おや?境内の奥に石碑が……

(そうだった、合祀されていた可能性を忘れていた!)

ここには過去何度か参拝しているのに、今日まで石碑の存在に気づかなかったとは、実に迂闊でした。

合祀された神明社と日枝社。

社殿に置いてあった由緒書きのチラシによれば、神明社と日枝社は大正十二1923年に御霊神社が村社に昇格した際に近郷から合祀されたそうです。

しかし、神社が移転した後も古くから親しまれてきた山王様は地名として残り、今でもバス停の名前として暮らしの中に息づいているのでした。

まとめ

日本全国、名前のついていない土地は(たぶん)存在しませんが、土地の名前をそこにいる誰もがはっきりと眼にできる機会は、バス停や電柱など、意外に少ないもの。

地名はその土地を示す記号のみならず、土地の記憶≒歴史が込められた符号であるとも言えます。

時代と共に古い地名がどんどん姿を消していく中で、少しでも郷土の歴史に興味関心を示してもらえたら嬉しく思います。

参考文献
間宮士信 等編『新編相模国風土記稿 第4輯 鎌倉郡』鳥跡蟹行社、明治二十一1888年
中嶋富之助『戸塚郷土誌』大和学芸図書、昭和五十三1978年

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