(藤井 聡:京都大学大学院教授)

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 今、話題を集めているMMT現代貨幣理論)。その具体的な主張は、自国通貨建ての国債で政府が破綻(デフォルト)することはないのだから、デフレが脱却できるまでは、政府は消費増税を凍結すると同時に、国債で財源を調達して政府支出を拡大していくことが必要だ、というものだ。

 しかしこれまで政府は、国債は政府の「借金」なのだから望ましくない、だから国債はできるだけ抑制すべきだ、というスタンスを取り続けてきたし、多くの経済学者達もその見解を支持し続けてきた。だから、政府や学者達にとっては、これまでの政府見解と正反対の主張をするMMTは、トンでもない不当な理論に過ぎない、と激しく反発した。

変わってきたMMT批判の視点

 彼らは当初、「無制限の財政支出の拡大を主張するMMTはトンデモない」というタイプの批判を繰り返した。しかし、こうした批判は全く間違った批判だった。なぜならMMTは「少なすぎる支出」を問題視すると同時に、過剰なインフレになれば今度は逆に支出を抑制すべきである、という形で「多過ぎる支出」をも問題視するものだからである。

 つまりMMTは両者を考慮しながら政府支出額を調整すべきだというタイプの新たな「財政規律」を主張するなのだ(詳細は例えば、こちらの拙稿を参照されたい。『経済論争の的「MMT」は「トンデモ理論」に非ず』、「JBpress」2019年5月21日、https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/56429)。

 MMTに対するこうした初期的な批判に対する反論が様々に展開されたせいか、「無制限に支出を許容するMMTはトンデモない」というタイプの批判は徐々に少なくなっていった。しかし、それとともにこれまでとは少し違った、次のようなタイプの批判が繰り返されるようになっていった。

MMTの提唱者は「インフレにならない限り、財政赤字は問題ない」と主張するが、増税や歳出削減には法律改正や政府予算の議決が必要で、それほど機動的に変更できるわけではないから、インフレ加速の危険性が明らかになってから財政赤字を削減しようとしても間に合わない可能性が大きい』(「東洋経済ONLINE」2019年04月28日、櫨浩一 : ニッセイ基礎研究所 専務理事)https://toyokeizai.net/articles/-/278558

『予算というものは、一度それを作ったら、それを前提とした様々な社会構造が出来上がり、変更するには多大な経済的社会的コストを要するうえ、民主主義社会においては政治的コストも膨大で、インフレ率を見て突然変えるなどと言うことは到底出来っこないものなのです』(「論座」2019年5月16日米山隆一 前新潟県知事。弁護士・医学博士)
https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019051500003.html

『日銀の原田泰審議委員は・・・「現代貨幣理論MMT)」に否定的な考えを示した。「必ずインフレが起きる。(提唱者は)インフレになれば増税や政府支出を減らしてコントロールできると言っているが、現実問題としてできるかというと非常に怪しい」との認識を示した』(「日本経済新聞」2019年5月22日)https://www.nikkei.com/article/DGXMZO45118610S9A520C1000000/

 こうした批判は一言で言うなら「インフレ抑制不能」批判と言えるだろうが、これらは皆、不当極まりないものでしかない。それについては例えばMMT論者の一人である中野剛志氏が、MMTインフレ制御不能」批判がありえない理由』(「東洋経済ONLINE」2019年05月29日、https://toyokeizai.net/articles/-/283186)の中で的確に論じているが、筆者もまた、別の角度から改めて「インフレ制御不能」批判の不当性、不条理性を徹底的に指摘することとしたい

インフレ制御不能」批判は不当な言いがかりである

 そもそも、彼らは「一旦、財政政策を拡大すれば、抑制できなくなる」と心配しているようだが、これはあからさまな杞憂(無用の心配)だ。

 そもそも「政府予算」というものは、補正予算と当初予算とで構成されている。ここ最近の日本政府の予算を振り返れば、確かに当初予算は急激に増えたり減ったりしてはいないが、補正予算は多い時には15兆円程度の水準に達していた一方、ほとんどゼロである場合もあった。つまり、今の現実の予算は、15兆円程度の「泳ぎしろ」があって運用されているのであって、補正予算を効果的に活用すれば、一旦予算が増えれば縮小が難しくなる、ということなど絶対あり得ない。

 しかも、過去20年間、我が国は高いインフレ率ではなく、低すぎるインフレ率に苦しめられてきたわけだが、そうなっているのはもちろん、国会で決められる予算の総額が、適正な水準よりも遙かに低く水準に抑制されてきたからだ。その中で例えば公共投資について言うなら、実にかつての「半分」程度にまで削減されてきた。つまり我が国は(その是非はさておき)、「当初予算」についても現実に「削減してきた」という実績を持つのである。

 つまり、政府支出の量をアクセルで例えるなら、我が国は確かにアクセルを踏み込んだり弱めたりする能力を明確に持っているのであり、かつ、現実にそのように調整してきているのである。だから「インフレ制御不能」批判は、アクセルを調整しながら日常的にクルマを運転しているドライバーに対して、「おまえはアクセルを一旦踏み込めば緩めなくなってしまうかもしれない。だからクルマの運転なんてもうやめなさい」と批難するようなものだ。これは単なる不当な言いがかりと言うほか無かろう。

MMTを知らずに濡れ衣だけを着せるMMT批判論者

 しかも、「インフレ抑制不能」批判論者達は、MMTは財政を引き締めることだけでインフレを抑制しようとする論理だと考えているようだが、これもまた単なる誤解だ。そもそもMMTは財政政策「だけ」で、インフレを抑制しようとしているのではなく、財政政策と金融政策をあわせて、インフレ率を抑制すべきだと主張するものだ。

 例えば、現在のアベノミクスに重大な影響を及ぼした「リフレ理論」と呼ばれる経済理論を主張する人々もまた、MMTと同様に過度に高いインフレ率は抑制すべきだ主張しているが、その際に彼らが主張しているのが金融政策だ。つまり彼らは、金融引き締めでインフレ率を抑制すべきだと論じているわけだが、その点はMMTにおいても全く同じなのである。むしろ、財政政策をあまり強調しないリフレ派よりも、金融政策に加えて財政政策も政策オプションとして提案するMMTの方が、金融政策をとりわけ強調するリフレ理論よりもインフレ率をより強力に抑制できると言えよう。

 つまり彼らの批判は、MMTとは何かについて十分に知らないままに展開されている、実にいい加減なものに過ぎないのである。

それは、デフレの恐怖について無知過ぎる破壊的な批判

 さらに言うなら、「確かに財政を出せばインフレになるが、インフレが抑制できなくなるのは良くないから、財政拡大はすべきではない」という彼ら見解は、よくよく考えてみれば、「インフレになるくらいなら、今のままのデフレの方がましだ」と主張しているに等しいものだ。

 しかし、デフレ日本国民の豊かな暮らしを蝕み、日本国家の国力を衰弱させる極めて恐ろしい深刻な病だ。1998年からデフレに突入した日本は、貧困が蔓延し、格差が拡大し、平均世帯収入は135万円も下落した。政府の収入も縮小し、赤字国債発行額も年々拡大し、財政論者達が四六時中心配している「財政」もまた悪化していった。

 上記のMMT批判論者達は、そんなデフレの凄まじい恐怖を全て度外視し、インフレになることを過剰に恐れて、今のままのデフレでいいのだと考えているわけだ。つまり彼らのメンタリティは、「ガリガリにやせ細った栄養失調状況にあり、あらゆる体調不良が顕在化しているにも関わらず、肥満になってしまうことに過度に怯えて、ほとんど何も食べられなくなっている拒食症患者」のそれと全く同じなのだ。このまま彼らの言いなりになっていては、早晩、そんな拒食症の人間が命を落としてしまうように、我が国はもう取り返しのつかない状態にまで衰退していくことは避けられないだろう。

日本MMTで「制御できないインフレ」にはならない

 しかも、その「制御できないようなインフレになるかもしれない」という話自体もまた、文字通りの杞憂に過ぎない代物だ。

 そもそも、上記に紹介した記事中で中野氏が指摘しているように、制御不能なインフレになるのは、戦争や大地震によって生産能力が著しく破壊されるといった、極端なケースの場合に限られる。そういう極端ケースでは激しいモノ不足が生じ、モノの値段が激しく上昇するのだが、そうでもない限り、そんな極端なモノ不足が、十分な生産能力を持った先進諸国の一翼を担うこの日本で起こることなどあり得ない。実際、制御不能なインフレに陥ったのは、ジンバブエザイールベネズエラなどの、生産能力が十分存在しないいわゆる発展途上国に限られているわけだ。

 この点を考えると、「制御不能なインフレが怖いから、何もしない方がよい」というMMT批判のメンタリティは、「あらゆる食べモノには毒が入っているかもしれない――という絶対にあり得ない病理的な思い込みが頭から離れず、何もモノが食べられなくなってしまった神経症患者」の様なものなのだ。

「有りもしない亡霊」におびえ続ける愚を避けよ

 この様に、現時点で、最も典型的なMMT批判である「インフレ制御不能」批判なるものは、

 第一に、日本は財政を拡大したり縮小したりする能力を実際に持っていると言う点で、MMTに対する不当な言いがかりに過ぎないのであり、

 第二に、MMTは別に財政政策だけでインフレ率を制御すべしなどとは一切言っていないに関わらず、MMTはさもそう主張しているかのような印象操作を図っていると言う点において、MMTに対して不当な濡れ衣を着せるものであり、

 第三に、制御不能なインフレになど、十分な生産能力を持つ先進経済大国である日本が陥る筈等あり得ない、と言う点で、単なる「妄想」にとりつかれた、著しく不条理な批判に過ぎないのであり、

 そして第四に、何もせずにデフレを放置し続けることは、現在、そして将来の日本国民に激しい被害をもたらすという現状認識を一切忘れていると言う点で、甚大なる被害をもたらす恐るべき無責任発言に過ぎないのである。

 つまりMMTに対する「インフレ制御不能」批判は、これだけ多面的に完全論破される批判も少ないのでは無いかと思えてしまうほどに、お粗末極まりない代物なのである。

 だから政府は今、何を恐れることも無く、合理的な支出項目とは何かをしっかりと考えながら、デフレ脱却までは粛々と政府支出を拡大すればそれで良いのである。わが国はもうそろそろ、過剰インフレというありもしない亡霊に怯えて政府支出を抑制し続ける愚をやめねば、取り返しのつかない最悪の状態に立ち至ることになろう。

 一日も早く、為政者達による賢明なる政治判断が実現されんことを、心から祈念したい。

[もっと知りたい!続けてお読みください →]  経済論争の的「MMT」は「トンデモ理論」に非ず

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