(中嶋よしふみ FP・シェアーズカフェ・オンライン編集長) 

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 夫が育休を取得した所、育休明けに突然転勤を命じられた――。

 6月1日の土曜日、ツイッターでこんなつぶやきが話題になった。その夫の妻を名乗る女性のツイートはあっという間に拡散し、執筆時点でリツイートが4万件超、「いいね」は5万件を超えている。女性も育休中で復帰寸前、家も買ったばかりで保育園もやっと決まった状況だという。

 そして少しでも良いから転勤の時期を遅らせることはできないか交渉したものの取りつくしまもなく、夫が退職を決意した後は有給の消化もできなかった・・・。

 社名こそ明記しなかったものの「カガクでネガイをカナエル会社」であると女性がつぶやいたことで、夫の勤務先は大手化学メーカーのカネカであることが判明する。

 この騒動により「カネカはとんでもないブラック企業である」と大炎上したが、一方で転勤を命じて赴任するまで1カ月もかけないことは大企業では日常的に行われている。「育休明けで、しかも家を買った直後に突然転勤させるなんて酷い」というコメントも多数見かけたが、では独身で賃貸住まいならば問題は無いのか? そんな理屈は通らないだろう。

 この問題のキモは「カネカが酷いかどうか」という個別の問題ではなく、「突然の転勤がなぜ多くの企業で当たり前のように行われているのか?」という構造的な問題だ。

 そこには100年近くも前から続く「ある体制」が影響している。

SNSを知らないカネカ

 カネカの話題について、一旦整理しておこう。

 土日の騒動から、月曜日には「日経ビジネス」、「ハフィントンポスト」の両誌がツイートをした女性へのインタビューとカネカへの取材を掲載した。カネカ側は当初、当社に向けたツイートか確認できない、事実関係も含めてコメントしない、と言及を控えた。

 結局はその後、ツイート内容は当社の見解と異なる、といった社内メールや正式なリリースを出すに至る。リリースでは育児や介護など事情を抱える社員は他にも多数いるから特定の社員だけ特別扱いはしない、男性社員が育休を取得したことへの見せしめではない、転勤はむしろ余裕のあるスケジュールだった、という。そして転勤を延期してほしいという希望についても「希望を受け入れるとけじめなく着任が遅れると判断」して拒否し「当社の対応は適切」と締めくくっている。
(参照・当社元社員ご家族によるSNSへの書き込みについて|株式会社カネカ 2019/06/06 リリース

「育休明け直後に転勤は酷い」と炎上したことでカネカの評判は急落した。筆者が確認した限りでは、ヤフー!ニュースで「日経ビジネス」の記事が雑誌カテゴリの総合アクセスランキングで1位となった。「日経ビジネス」や「ハフィントンポスト」本体のサイトも含めれば、アクセス数は合計で数百万から1000万程度のPVを集めたのではないか。マイナスの宣伝効果に換算すれば数十億円に達しかねない。

 会社の対応からその後の広報対応まで、すべてが下手クソの一言に尽きる。一方で、会社側の対応を見ると、社員に辞めて欲しい事情でもあったのか、過剰なほどの強硬な態度は異様に見える。

 ツイートの通りであれば、退職が決まった後にも有給を消化させないなどおかしな対応も目に余る(これは違法行為にあたると指摘されている)。社員と企業間でトラブルでもあったのかと邪推したくなる状況だが、会社側として個人情報や業務に関する詳細な事情を詳しく出すことは無いだろう。今後真相が明らかになることは無いと思うが、炎上トラブルまで発展した時点で企業側の負けは確定している。

 最近の事例ではセブンイレブンの炎上を見ても分かるように、法的な正しさよりも消費者や従業員、取引先に対して「誠実かどうか」が炎上する・しないの境目となる。確かに転勤を命じること自体は決して違法ではなく、育児や介護の事情は配慮するようにという定めもあるが、これもサービス残業最低賃金のように法律でキッチリと決められた決まりではない。

 しかしこのような対応が外部に漏れた時にどれだけマイナスの影響を与えるか、ネットやSNSを多少でも理解していれば素人でも分かる話だ。わざわざリリースで強調するような話でもない。

なぜ突然の転勤は発生するのか?

 カネカが酷いという話を一旦横に置けば、このような転勤は大企業では決して珍しくない。大手企業ならば入社の時点で転勤があることは社員も納得の上で入社する。内示から1カ月もかけず転勤させることや、小さい子どもがいたり家を買ったばかりだったりといった事情が考慮されないことも、表沙汰にならないだけでごく日常的に行われている。

 表沙汰にならない理由は、当たり前すぎてわざわざ報じる程のニュースバリューが無いからだ。筆者の父親も、兄が生まれた直後に東京から金沢に転勤があったと聞く。今回の件がニュースになった理由はツイッターで炎上という目新しさがあったからだ。

 転勤の無い企業でも社員に滅私奉公を要求することは何ら珍しくも無い。つまり「日本の企業は多かれ少なかれカネカ的である」ことは紛れもない事実だ。

 そして転勤の拒否は解雇の理由にもなりうる。通常、解雇四要件といって解雇をする際は強い制約が加わり実質的に倒産寸前にでもならない限り解雇はできない。企業が行うリストラはあくまで退職者の募集、自主的な退職という体裁を取る。その実態が退職の勧奨であってもだ。しかしその一方で転勤の拒否で解雇可能というのはあまりにアンバランスに見える。なぜそんな仕組みになっているのか。

 もはや珍しくなくなったリストラ部屋や、外資系企業で話題となった自主的な退職に追い詰める退職マニュアル、そして社員をうつ病に追い込んで辞めるように仕向けろとブログに書いたブラック社労士など、解雇ができないことで自主的な退職に追い込むやり口はいくつもある。

 問題社員はうつ病にして辞めさせればいい、とブログに書いたブラック社労士は特に大きな話題となった。ブログの内容は「敬語を使えない問題社員を辞めさせるにはどうしたらいいか?」という内容で、就業規則の変更、指導の繰り返し、注意や処分内容を書面にして渡すなど、うつ病になるように仕向けろという部分を除けば様々な手順を踏むように書いてある。

 これは後から社員に解雇無効で訴えられないために必要な手順だ。「問題行動を起こして改善の余地がまったく無い社員をクビにするにはどうしたらいいか?」と真っ当な弁護士や社労士に相談しても同じアドバイスをするだろう。ここまでやらないと解雇をしても裁判になれば不当解雇で負けてしまう。

解雇以外の雇用調整が働きにくさを助長する

「ブラック社労士とカネカが一体何の関係があるんだ?」と思ったかもしれないが、解雇ができない状況で、それでもなお雇用調整をするために仕方なく転勤が行われている。それがもっと酷くなれば無理やり、なおかつ表面上は合法的に追い出すためにリストラ部屋やブラック社労士になる。これらは無関係の話ではなく、それどころか密接に関係のある地続きの話だ。つまりいずれも雇用に関する構造的な問題と言える。

 カネカが「けじめ」という攻撃的な言葉を使ったように「会社の命令に従わない人は辞めてくれて結構、場合によっては解雇もいとわない、なぜなら解雇をしない代わりにそれ以外の無理は受け入れる約束で雇用は成り立っている、ワガママは許さない」というのがカネカ側のスタンスで、これも多くの企業にとっては説明するまでも無い常識となっている。そして転勤の拒否が解雇の理由になりうるように、一定程度の法的根拠もある。

 現在では女性が産休・育休・時短勤務を取得することは以前と比べてかなり容易になったが、なぜ昔は出産をきっかけに退職することが当たり前だったのか。それは社員が一時的に休んで復帰したり、時短で既定の勤務時間すら働けなくなったりする状況は企業の労務管理上、極めて面倒臭いからだ。

 解雇ができないから残業時間で雇用調整を行うほか無い。忙しい時は長時間の残業、平常時は残業が少ない、不況の時は定時で帰るといった形ならば、不況になってもギリギリまで解雇をしないで済む。そして東京で人が余って大阪で人が足りなければ、転勤で調整すれば解雇を避けられる。

 女性が敬遠されていた理由は、このような会社にとって都合の良い働かせ方ができないから、という理由による。男女雇用機会均等法ができて女性差別が表面上は禁止されて以降は、補助的な業務に限定して低い給料で雇う一般職ができた。かつて短大卒の女性が好まれた理由が、結婚や出産による退職までの期間が四年制の大学卒より二年長い、というから呆れてしまう。

終身雇用が終わった背景

 独立・起業をしている筆者からすると、このような状況は異常に見えるが、「社員は人生を会社に捧げて当然」という発想は日本企業で長らく常識だった。

 先日、「終身雇用は今後維持できない」と経団連会長やトヨタ自動車の社長がコメントしたことが報じられ強い反発があった。終身雇用は簡単に説明すれば新卒で入社した会社に定年まで勤めることを意味する。反発があったということは終身雇用をまだ多くの人が望んでいるのだろう。

 終身雇用の実態は、景気が長期間にわたって拡大していた時代に、ごく一部の企業で、そして男性だけに生まれた偶然の産物でしかないが、確かにクビにされず安心して働けることは大きなメリットと言える。一方で付随するデメリット・負の側面として、解雇の代わりに行われる長時間労働、突然の転勤、女性の排除といった深刻な問題が発生する。

 しかし現在では、長時間労働は良くない、女性が(男性も)子どもを産み育てながら働くのは当たり前、そして突然転勤なんて命令をされたらさっさと辞めますという働く側の意識変化と、これら雇用調整の手段が企業側にとって極めて使いにくくなっている。たとえ大企業であっても、人生を捧げるに値しないほど不安定な存在であることは多くの人がすでに知っている。

 終身雇用のオワリについては、入社した時点の事業が何十年も続かない、経済環境の変化が昔よりも早くなっている、だからトヨタのような大企業でも終身雇用は続けられない・・・と報じられている。間違いではないが、終身雇用の裏側にあるデメリットを受け入れたくない人が多数派になってきたことも、強い影響を与えている。これはカネカ騒動で社員側に共感した人がこれだけ多数にのぼっていることからも明白だ。

 現在は男性の育休義務化の話も出ているが、これが法律で定められれば終身雇用の維持は経営側からすれば「絶望的」と考えても無理はない。

 終身雇用のメリットと、長時間労働・転勤・女性排除のデメリットは表裏一体だ。なぜなら経済も企業経営もリスクを除外することはかなわず、どこかでリスクを吸収する必要があるからだ。景気や業績が良くなったり悪くなったりを完璧にコントロールすることはできない。そのリスクを引き受けるのが価格変動でリスクを引き受けるマーケット、市場だ。株式、為替、債券、商品、そして人材(労働)と、いずれも市場による取引がリスクを吸収させる。

 景気悪化や業績悪化のリスクを、解雇無しで乗り切るのか、解雇で乗り切るのか(労働市場で解消するか)。解雇が嫌ならば長時間労働や転勤を受け入れる必要があり、解雇を甘受するのであれば長時間労働や転勤はなくても会社は成り立つ。つまり「終身雇用が良いか悪いか?」という話は「雇用リスクをどのような形で受けとめるか?」とイコールだ。

 結局、「解雇は無いけど働きにくい社会」と「解雇はあるけど働きやすい社会」、どっちが良いですか? という選択になる。解雇の有無と働きやすさは両立ができないトレードオフの関係だ。残念ながら「働きやすくて解雇の無い社会」は、経済や企業経営のリスクの大きさを考えれば、トヨタのように大儲けしている超大企業ですら無理ということだ。

日本はいまだに戦時体制

 終身雇用や社員を家族のように扱う日本型経営は日本の伝統である、というトンチンカンな言説を時おり目にするが、これは近代になってから人為的に作られたものだ。その土台には判例と法律が存在している。

 一つは判例で、解雇を極めて難しくしている「解雇四要件」、そしてもう一つが「1940年体制」と呼ばれるものだ。

 経済学者として有名な野口悠紀雄氏は著書『1940年体制 さらば戦時経済』(東洋経済新報社)において、日本の近代・現代の経済体制は戦時中に作られ、それが現在も継続していると指摘する。あらゆる資源・リソースを戦争へ注ぎ込むため1938年に作られた「国家総動員法」が、その目的を戦争から経済成長へと変えて継続しているという。

 これは戦前と戦後で大きな分断がある、敗戦をきっかけに日本は違う国へ生まれ変わった、という従来の常識とまったく異なる説明だ。

戦時中に出来上がった日本の経済システム

 本書では企業、金融、土地改革、官僚制度とあらゆる分野で1940年体制が影響を残しており、現在と戦中は地続きであると説く。

 企業や雇用に話題を限定すると、日本人は貯蓄率が高く、株による資金調達の直接金融よりも銀行の融資による間接金融が主流であるという状況も、戦前はそうではなかったという。直接金融から間接金融に変化した理由は、株主への配当が企業の内部留保を阻害し生産力の増強を阻害しているため、国家総動員法で配当に制限が加わり、株主の権利も制限された。そして貯蓄が奨励されて軍需産業へ資金を傾斜配分することで戦時体制をより強化した。

 その結果起きたことは、企業本来の姿である「株主のための企業経営」から「従業員の共同体としての企業経営」への変化、俗論として言われる日本型経営の誕生だ。日本の伝統は大昔から続くものではなく戦中に作られたことが分かる。

 そもそも戦前の従業員は一部を除いて月給ではなく日給で働く工員が多数派だった。短期間で職場を転々とすることが当たり前で、それが経済へ悪影響を与えていた。これを改善するために長期雇用、月給制、年功的賃金に変えることで安定を図った。これが職能や生産性、つまり能力に応じた賃金体制から、勤続年数を重視した生活給的なものへと変質をもたらしたという。多くの企業が終身雇用へ舵を切った瞬間だ。

 そしてなんと、1939年には初任給が公定されることになる。これは現在も多くの企業で初任給がほとんど変わらない状況として残っている。さらには賃上げも建前として抑制され、例外として認められたのが従業員一律の賃上げ、つまり定期昇給だ。

 素晴らしい制度変更だと思う人もいるかもしれないが、これらは従業員のために行われたわけではなく、お金を持っている株主だろうと優秀な従業員であろうと抜け駆けして儲けることを許さず、すべてのリソースを戦争へと配分するための仕組みだ。

 最近の話題として、ファーウェイは新卒で月給40万円とか、グーグルは新卒で年収1800万円など日本人の感覚では腰を抜かしそうな話をたびたび聞くが、給料は本来能力や成果に応じて払われると考えれば年齢や勤続年数で決まる方が異常だ。

 欧米は狩猟民族で競争が好き、日本人は農耕民族で和を重視するといった俗説を企業経営や働き方にあてはめる考え方も、日本は世界初の米の先物取引が江戸時代に成立しており、俗説とは真逆で極めて市場原理主義的な民族であるともいえる。

カネカ問題は日本の問題である

 これ以上は実際に同書を読んで頂ければと思うが、日本の高度経済成長期を支えた戦時体制は、一方でその後の平成に訪れた景気低迷の原因にもなっていると野口氏は指摘する。

終身雇用は日本の伝統」という間違った言説については、良い仕組みだから変えない方が良いという意味に加えて、伝統に基づいているから変えられないというあきらめ、二つの意味を含んでいる。

 しかし終身雇用は長時間労働、転勤、女性(例外)の排除と、多数の問題をはらんでいる。今さら後生大事に抱えて守るようなものではない。大きなデメリットがありながら終身雇用が戦後定着した理由は、高度経済成長という成功体験のみならず、五千円札の肖像にもなった新渡戸稲造が「武士道」で書いたように、我慢・忍耐を美徳とする日本人の伝統と偶然結びついたことが原因なのか、一時的とは言え根付いてしまっている。

 しかし現在、1940年体制はメリットよりもデメリットの方が大きく誰も得をしていない。長時間労働、転勤、女性排除と、一体何のために続けているのか、どんなメリットがあるのか、誰もまともに答えられない。

 野口氏は日本の経済体制はあくまで戦時体制がベースにあり、決して日本古来の伝統に基づくものではなく、人為的に近代になって作ったものなら自ら変えることができると指摘している。

 冒頭に書いた通り、カネカのやり方や制度が良いか悪いかという話はカネカの従業員とその家族以外にはほとんど関係の無い話だ。カネカを酷いと批判するより、なぜこのような問題が日本企業では当たり前のように起きているのか? という部分こそが最も重要な論点である。

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