明治維新を経て近代化を目指していた時代、あるいは戦後の復興から高度成長期のころ、日本の目標は欧米に追いつくことであり、情報の輸入に大きな価値が置かれていた。その後、高度成長期を経て先進国化してからは、多くの分野で海外からの情報を再現することの価値は低下している。

現代の日本は技術や産業ばかりではなく、世界に先駆けて加速する少子高齢化など課題についても先進国。海外にモデルとすべき事例は少なくなり、何事にも開拓者としての取り組みが求められている。

そのために必要なのは「教養」。それも、かつてとは様相がすっかり変わった現代にふさわしい「あたらしい教養」という。

「東大教授が考えるあたらしい教養」(藤垣裕子、柳川範之著)幻冬舎

「教養=知識量」ではない

「日本はさまざまな課題に関して、好むと好まざるとにかかわらずフロントランナーにならざるを得ない状況にある。日本企業や日本人が直接、課題に向き合う必要性が高まっていることを認識する必要があるでしょう」

本書「東大教授が考えるあたらしい教養」では、そのように強調されている。

「教養」というと、知識を豊富に持っているとか、あるいは、披露できる雑学的な小ネタを備えているイメージを持つ人は多い。「教養=知識量」という理解が優勢なのは「おそらく、昔の日本において、知識の輸入に高い価値があったことが理由の一つではないか」と著者らはみる。いまではインターネットがあり、知識はすぐに調べられる。わたしたちが「開拓者」として課題に取り組むべき現代で必要とされる「あたらしい教養」では、まず「思考習慣を持つ」ことが重要という。

「教養」を表す英語は「culture(カルチャー)」。この語にはほかに「文化」とか「土地の耕作」という意味があり、それが合わせて「教養」を意味するということは、教養が知識を積み上げるようなことではなく、思考を耕すようにして考え方を柔軟にするようなことというような感じが伝わってくる。

本書の2人はいずれも東京大学教授。藤垣裕子さんは大学院総合文化研究科・教養学部で、柳川範之さんは大学院経済学研究科・経済学部で研究や指導を行っている。

柳川教授は経済学が専門であり、ビジネスパーソン向けに1章を割き「教養がない人は生き残れない」(第3章)と、警告にも似たタイトルを冠している。「ビジネスのために必要な教養がいままでとは大きく異なってきており、方向転換が必要になっている」という。

ビジネスの世界では、これからの時代に成長を託せるものとして「オープンイノベーション」がしばしば話題になる。「会社の壁を取り払い、場合によっては産業の壁も取り払い、相互協力することでイノベーションを生む」こと。トヨタ自動車ソフトバンクの提携、LINE(ライン)とみずほフィナンシャルグループの協業などが代表例だ。

「これまでのところ、日本でオープンイノベーションの好事例が次々と現れるような状況にはなっていない」と柳川教授。「日本では『異なる専門を持つ人同士がぶつかり合って化学反応を起こす』経験が不足していることが要因ではないか」。その解決のためには、「思考習慣」をもって、頭の中を耕しながら考える訓練を重ねる「あたらしい教養」が必要という。

『東大教授が考えるあたらしい教養』
藤垣裕子、柳川範之著
幻冬舎
税別780円

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