古に大洪水があったという伝説が各民族に伝えられています。例えば ギリシャインド、マヤ文明など。また、聖書に記されているノアの箱舟の物語もそうです。

中華民族にも大禹治水の話があります。当時の大洪水の規模と被害の甚大さ、そして、その治水の難度は現代人類の想像を超えるものです。そのため、多くの人はそれが神話伝説だと思い込んでいます。しかし2016年、米科学誌「サイエンス」に掲載されたある研究論文で、その伝説の歴史の存在を証明する有力な証拠が示されています。

論文は南京師範大学地質学者・呉慶龍さんが率いるチームが発表した研究結果です。2007年、彼が中国黄河沿岸で調査を行った際、一部の沈積物の厚さが尋常ではないことを発見しました。大洪水による沈積物は20メートルの厚さで、黄河の位置から50メートルも高くなっていました。

「稀に見る凄まじい破壊力を持つ大洪水であることを示しているのです」共同執筆者の米パデュー大学グランツ博士は言います。「流量は毎秒約30〜50立方メートルで、アマゾン川巨大洪水と同じくらいです」「過去一万年で起きた洪水の中で、人類が知っている最も大きい洪水です」「その規模は黄河地域での最大の降雨量で起きた洪水の500倍です」

研究チームは、この大洪水は紀元前二千年に地震が引き起こしたものであると発表しました。ちょうど中国の伝説の堯舜禹時代の大洪水発生時期と合致しています。面白いことに他の民族の歴史では、大洪水への対応はただ避難することでした。中華民族だけが治水を行っています。

『史記・夏本紀』の中にこの歴史について記されています。堯帝の時代に大洪水が発生し、大禹の父親である鯀が治水を命じられました。鯀は土を埋める方法を取りましたが、9年もの時間を費やしても洪水の災害を止めることはできませんでした。すると、舜は堯帝に大禹を推薦しました。大禹はまず九つの州を巡り、全ての地を巡回し観測し、詳細な記録を取りました。厳密に考察したうえ、大禹は自然の規律に従い、「疎導」の方法で洪水を海へ導くことにしました。

大禹は人々を率い、山を切り拓き水路を作ったりして、13年の年月を経てようやく治水に成功しました。大禹の治水の過程は困難を極めました。それは現代の我々も想像もつかない巨大な工事だったのです。大禹が切り拓いた龍門山を例にしましょう。

龍門山は東西に分かれた二つの山の真ん中に伊河が流れていますが、4千年前に生きていた大禹が山を2つに割ったなどと言うと、あなたはきっと当時の簡単な道具でこんな大きい山を開鑿できるわけがないと思うでしょう。しかし、現代の地質学者らは東西にある二つの山に多くの裂隙があり、西の山と東の山の裂隙はぴったりと合わせることができることを明らかにしました。つまり、分かれたこの二つの山は元は一つの山だったということです。では 果たして大禹はどのようにこの山を二つに開鑿したのでしょうか?実は我々が固定観念を無くして、その歴史をもう一度振り返って見ればその中の秘密が分かるのです。

古書『竹書紀年』によると大禹は治水の時に『河図』と『洛書』という遥か上古の時代から伝わる貴重な2冊の書物を入手しました。大禹はこれらの本から九つの州の山と川の分布や地形を理解し、治水時に何を注意すべきかが分かりました。また、治水の過程において神々の助けもありました。そして、不可能と思われる巨大な工事を完成させることができたのです。

米科学誌『サイエンス』の副編集長は呉慶龍さんらが発表した論文を読んだ後こう言いました。「この研究は我々の古代中華文明に対しての理解を深め、文明の起源と古代文明社会環境の出現を実証しました」。大禹治水が事実であることが有力な証拠によって証明されました。

伝説の「ノアの方舟」も近年トルコで発見されています。ならば古に伝えられた物語の多くも実際にあったのかも知れません。

(エポック・メディアグループ新唐人より転載)

(新唐人スクリーンショット)