東京湾の島」と聞かれて、思い浮かぶのはどこだろうか。お台場や夢の島のような地続きになった埋め立て地ばかりで、広大な湾内に島があるというイメージはあまりないのではないだろうか。だが実は、東京湾の真ん中と言える場所にとある島が存在する。その名も「第二海堡(だいにかいほう)」。明治から大正にかけて建造された人工島だ。これまで一般の上陸が禁止されてきた第二海堡だが、2019年5月から上陸ツアーが本格的にスタートした。東京に残された知られざる秘境の全貌をリポートする。

【貴重写真】初公開の「第二海堡」島内を一挙撮影

■ 人工の島「第二海堡」とは?

「海堡」とは、海上に建設された要塞のこと。今回上陸ツアーが解禁された第二海堡は、明治時代から大正時代にかけて建造された3つの人工島のうちの1つだ。

東京湾を守る砲台として当時の土木技術を駆使し建設され、1914年(大正3年)に完成した第二海堡。だが、1923年(大正12年)の関東大震災で大きな被害を受け、砲台としてはほとんど機能しなかった。第二次世界大戦中は対空砲潜水艦の侵入を防ぐ設備が設置されたが、終戦後、要塞として使用できないよう主要設備が爆破処理された。難工事の末造り出されたにもかかわらず、約30年で軍事施設としての役目を終えた悲運の人工島なのだ。その後、釣り人や遺構ファンのみが知る忘れられた島として今日に至る。

■ 砲台跡とソーラーパネルが同居する光景

今回上陸が解禁されたのは、各旅行会社が主催する第二海堡上陸ツアーのみ。本取材も、クラブツーリズムが主催する上陸ツアーに同行した。

横須賀の三笠公園に隣接する三笠桟橋から船で約30分ほどで第二海堡に到着する。

北側の桟橋から上陸すると、桟橋近くにはレンガコンクリートで作られた倉庫が目に入る。その左奥には、海上災害防止センターの訓練施設が見える。ここでは、陸上では危険な消火訓練などを行っているため、第二海堡の東側に立ち入ることはできない。島内での撮影は許可されているが、施設部分の撮影はNGだ。

桟橋付近では、間知石と呼ばれる石で組まれた遺構が見られる。関東大震災でも崩壊しなかったことから、当時の土木技術の高さがうかがえる。その奥には、海に面するようにレンガ造りの防御施設・掩蔽壕(えんぺいごう)が続く。掩蔽壕の入り口はアーチ状になっているが、現在では危険防止のために埋められ、入り口は地面から上部がわずかに除く程度。中に立ち入ることはできないようになっている。

高台に登るように進む道中には、サボテンやランの仲間など、関東ではなかなか見かけない植物が生い茂っている。これらの植物の多くが、第二海堡建設時に外部から持ち込まれたものだといい、人の立ち入りがほとんどないこともあり独自の植生を形作っている。

第二海堡でもっとも高い建築物である第二海堡灯台は、現在も航路の安全のために稼働している現役の施設だ。表示板には初点灯が明治27年(1894年)9月と記されているが、それは初代の灯台の点灯日。現在の灯台は4代目で、昭和58年(1983年)に改築されたものだ。灯台付近には、浦賀水路の航行を監視する設備も設けられており、その先には「国有地につき立入禁止」の看板が立つ。通常立ち入れない場所であることを示すこともあり、早くも撮影スポットとして定着しているという。

島の西側にあるのが、15cmカノン砲の砲台跡。ほとんどが崩壊しているものの、台座部分にはアスファルトで覆われたコンクリートレンガの残骸が残っている。アスファルトは当時最先端の防水技術だったという。また、付近に散乱するレンガには、桜の刻印が残るものもある。この刻印は、小菅集治監(現在の刑務所のような施設)で製造されたものを示すという。

また、第二海堡のコンクリート部分は亀裂が入り内部が露出しているものが多い。当時はまだ鉄筋が用いられず、強度補強のために大小の砂利が埋め込まれていることが確認できる。南側のコンクリート壁には英数字で「FORT NO2」、すなわち第二海堡と記されているが、これがいつ、だれによって書かれたものかは分かっていない。

島の中央付近にある防空指揮所跡は、松田優作主演の映画『蘇る金狼』のロケ地として使われた場所でもある。島内でもっとも高い場所で、ここから東京湾を一望することができる(防空指揮所の構造物には立ち入りできず)。東側には第一海堡、さらにその奥には富津の陸地が広がる。さらに、第二海堡は浦賀水道航路に面しているため、タイミングによっては東京湾を行き交う大型船や、横須賀港の軍艦・護衛艦が目の前の海上を通り過ぎていく。

島内ツアーの時間は1時間程度。その規模感から忘れがちだが、自分の足元がすべて約100年に人の手で作られた土地だということを考えると、当時の技術力の高さに驚嘆する。

■ 第二海堡は“東の軍艦島”になるか?

第二海堡の観光方式は、長崎県の端島、通称「軍艦島」と類似している。個人での上陸はできず、船会社・旅行会社が催行する上陸ツアーに参加する必要があるためだ。天候条件などで船が出せず、ツアーが中止になる恐れがあるのも共通している。

だが、観光の見どころはずいぶんと異なる。軍艦島にはかつて住民が生活していた住居や施設が今なお残されており、構造物の多さでは第二海堡をしのぐ。一方、第二海堡には完成当初から今に至るまで、基本的には民間人が立ち入ることができなかった施設であること、100年ほど前の土木技術を結集して作られた人工島という由来がある。さらに、破壊され施設のほとんどが朽ち果てている一方で、灯台やソーラーパネルなど、現在活用されている施設が島内に点在する光景は、第二海堡ならではの非日常感と言える。

■ 滑り出しは好調、課題は催行スケジュール

今回同行したツアーには、平日にもかかわらず20名以上が参加した。船の定員や島内のガイドの都合上、一度の催行で動員できるのは約30名ほど。クラブツーリズムによれば、ツアー申込者は好調な滑り出しを見せているという。

だが、課題がないわけではない。一番の課題は、催行スケジュールが不確実ではない点だ。東京湾海堡ツーリズム機構の公式サイトでは、各旅行会社の第二海堡上陸見学ツアーのスケジュールを掲載している。だが、6月14日時点で掲載されている予定は7月末まで。観光地ではない第二海堡の場所柄、旅行会社のツアースケジュールが承認されるまでに時間がかかり、先々の予定を発表できないためだ。ツアー参加者にとっては、ツアー参加までの準備期間が短く、予定が立てづらいというデメリットに繋がる。

また、ツアーの催行は天候などの影響にも左右される。海が大荒れなら船が出せないため、第二海堡に上陸することができない。また、島内には屋根のある場所が存在しないため、気温の上がる夏には熱中症などのリスクも伴う。

クラブツーリズムによれば、ツアー催行までのスパンについては国土交通省などと調整を続けているという。また、夏場のツアーについては気温が比較的低い早朝ツアーを検討している。

軍艦島や、「監獄ホテル」として生まれ変わろうとしている奈良監獄など、明治から昭和にかけての遺構や廃墟はいまや観光の定番ジャンルとして認知されている。そうした廃墟観光のオールドルーキーと呼べる第二海堡。クラブツーリズムでは、横須賀・猿島も合わせて巡るツアーも催行している。もともと軍港として観光人気のある横須賀の街や猿島と第二海堡を組み合わせたプランが今後増えていく可能性もある。都心から日帰りで行けるというアクセス性の高さがあるだけに、ツアースケジュールの課題がクリアされれば、東京湾の新たな観光名所となるだろう。(東京ウォーカー(全国版)・国分洋平)

掩蔽壕のフックには輸入された鉄が使用されている