(舛添 要一:国際政治学者)

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 金融庁の金融審議会が公表した報告書、「高齢社会における資産形成・管理」が大きな政治問題となっている。この報告書は認知症の増加なども含めた高齢化社会の問題点を指摘し、必要な資産を投資などによって確保すべきことを主張したものである。金融庁のワーキンググループらしい提案であるが、報告書は、夫65歳以上、妻60歳以上の夫婦は、年金だけだと毎月約5万円の赤字で、死ぬまでに1300万円〜2000万円が不足すると記されている。

 このような事実は、何年も前から指摘されていたことであり、何ら目新しい発見ではない。ところが、参議院選を前にして、野党はこれを争点化しようと目論んで、批判の大合唱を始め、これにメディアも追随して「炎上」状態になってしまった。

日本人は年金問題を自分の頭で考えていない

 6月10日参議院決算委員会でも、政府は防戦に努め、結局、翌11日に、麻生財務相は、この報告者を公式のものでないとして受け取りを拒否した。自らが諮問した内容を記した報告書を受け取らないというのは前代未聞であるが、12年前の年金記録問題、いわゆる「消えた年金」の悪夢が脳裏を横切ったのであろう。

 年金は老後の命綱であり、それだけに皆の関心をひき、容易に政治争点化するのである。しかし、実は、日本人は年金問題について常日頃から自分の頭で考えることをしない。驚くべきことだが、厚労大臣として年金記録問題に対応して、そのことを実感させられたのである。

 年金記録にミスが生じたのには、記録管理システムが紙台帳から紙テープ、磁気テープ、オンライン化と変遷してきたことなど様々な理由がある。そして、基本的には社保庁の杜撰な対応が原因であるが、その背景には国民の無関心があった。現役の若いサラリーマンに30年後、35年後のことを考えろと言っても無理かもしれないが、そのような国民の姿勢が社会保険庁のいい加減な手抜き作業を許してきたのである。

 しかも、日本国民は政府が無謬だと信じている。したがって、政府に任せておけば大丈夫だという「お上(おかみ)信仰」が強すぎて、その信仰の対象である政府・官僚機構を批判しない。

 私は、自民党が惨敗した12年前の参院選の後に、厚労大臣として年金記録問題の対応に当たったが、国民一人ひとりに自分の年金をチェックする習慣をつけてもらうために、「ねんきん定期便」を各人に誕生日に送る制度を作った。年に一度くらいは自分の将来がかかる年金のことをチェックしてもらおうという試みであった。しかし、そこまでしても届いた定期便を開封もしない人もいて呆れたものである。

 金融審議会の報告書も、「人生100年時代」に備えて、ライフステージに応じて自分の資産を形成し、管理する必要性について述べたものである。年金制度が不十分なものであることを説くのが目的ではないのである。

「年金100年安心」は嘘だと野党は訴えるが、この言葉は、所得代替率が50%以上、つまり、現役時代の少なくとも半分は受給できる今の年金を今後も続けていくという意味であり、それもかねてから説明してきている。

「老後は年金だけでは足りない」というのは、総務省の家計調査で公表しており、厚労省もいつも使っている資料である。今回の金融審議会の報告書が野党やマスコミの餌食になったのは、毎月5万円の「赤字」という言葉を使ったことと、95歳まで長生きすることを強調して、「赤字」を30年間続ければ約2000万円になるという掛け算の結果を出したことが理由である。「赤字」という言葉も、「2000万円」という数字も、世間の注目を引く。それを「政治音痴」だと批判されても、大学教授などのワーキンググループのメンバーも困ってしまうであろう。

「天からカネが降ってくる」のが社会保障ではない

 2017年の日本人の平均寿命は、男性が81.09歳、女性が87.26歳である。第二次大戦直後は、「人生50年時代」であり、実際に1947年の平均寿命を見ると、男性50.06歳、女性53.96歳である。過去70年間に男性が31.03歳、女性が33.30歳も平均寿命が伸びている。

 戦後、日本人がいかに長生きするようになったかがよく分かる。平和が続き、経済発展で豊かになり、医療水準の向上したからであり、実にありがたいことで、日本人は自らの国を誇りに思うべきである。問題は、社会保障を含め、戦後に構築された日本の諸制度が、この長寿化を前提にしたものではないことである。

 たとえば、国民年金1961年4月に開始されたが、この年の平均寿命は男性66.03歳、女性70.79歳である。男性は、60歳で仕事を辞めた後、年金のお世話になるのは5~6年にすぎない。今ところが、今現在は65歳で定年退職して、15年以上年金に頼ることになるのであり、これでは年金財政が逼迫するのは当然である。

 そこで、年金に依存するのは10年間という基準にすると、男性は70歳まで働き、その後に年金を受給するということである。健康寿命は、男性が72.14歳、女性が74.79歳なので、70歳まで働けるはずである。

「老後に2000万円不足」と大騒ぎしたり、報告書を撤回させたりする非生産的なことを与野党ともやめて、70歳まで働く制度の導入を早急に進めるべきである。これが実現すれば、年金保険料を支払う人が増え、年金を受給する人が減る。年金財政にとっては大きなプラスである。

 社会保障制度というのは、カネが天から降ってくるわけではないので、保険料などの負担を増やすか、医療費や年金などの給付を減らすしかない。70歳まで働き、70歳からの年金支給にすれば、保険料は増収し、年金支給は減る。また、パート労働者も公的年金の対象にすれば、支える側の裾野が広がる。

 もう一つ提案したいのは、在職老齢年金制度の廃止である。これは、働いて収入が増えると年金額が減らされる制度である。大企業の役員などで100万円を超える月給の高齢者にまで年金を支払う必要はないというのは一理ある。しかし、多くの場合は、「定年退職後、現役時代より報酬は少なくても仕事を続けたいが、そのために年金が減額されるのなら、働かずに年金を満額受け取ったほうがよい」と考える高齢者である。

報告書を「無かったもの」にするのは惜しすぎる

 働いても減額しないようにすると、約1兆円の財源が必要であり、それを理由に在職老齢年金制度は継続されてきた。しかし、先述したように、70歳まで働くことのメリットを考えれば、1兆円を遙かに超えると思う。そもそも働いて収入があれば、所得税を払う。収入が増えれば、夫婦そろって外食するなど消費も増えて、その分消費税も支払う。また、生き生きと仕事をし、社会との接点を保ち続ければ、心身ともに健康になる。

 2015年度の国民医療費は42兆3644億円(1人当たり33万3300円)であるが、そのうち65歳以上の医療費は25兆1276億円(59.3%)である。70歳以上で統計をとると20兆2512億円(47.8%)、75歳以上だと15兆1629億円(35.8%)である。70歳以上の医療費が全医療費の実に半分であるが、働くことによってこれが1割減れば、それだけで2兆円、つまり在職老齢年金制度廃止の財源は十分に賄えるということである。

 以上のような議論を展開して、持続可能社会保障制度を構築することこそ、国会議員の仕事ではなかろうか。金融審議会の報告書は優れた問題提起であり、「もう無くなったもの」にするのは、あまりにももったいないと言える。

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