便利はいいけど、不便はダメなのか?

JBpressですべての写真や図表を見る

 これまではそんなことに疑問を抱いた京大教授・川上浩司氏による「不便益」の論考を実例とともに紹介してきた。

【「甘栗」「ねるね」、ロングセラーの矛盾する秘密】(第1回)
【京大教授が考察、遠足のお菓子が300円じゃなかったら?】(第2回)

 今回は、その最終稿。

※本稿は『京大変人講座 常識を飛び越えると、何かが見えてくる』(酒井敏、川上浩司ほか著、三笠書房)より一部抜粋・編集したものです。

不便なものを人は信頼する

 これまで(第1回・第2回)説明してきたように、「便利」とは手間がかからない一方で、モチベーションの低下とスキルの低下が相乗効果を起こす場合があります。ひと言でまとめるなら、「楽(ラク)だけど、楽しくない」。

 プロフェッショナルが育ちにくい一面もあります。

 一方、「不便」であることは、便利とは逆に、モチベーションの上昇とスキルの上昇が相乗効果を起こす場合があります。「楽(ラク)じゃないけど、楽しい」のです。

 この「不便」の中身をきちんと整理すれば、あわよくば自動化の問題は解決できるのではないか。そういう予想で整理してみた結果が、下の図(不便益関連図)になります。

 この図でまず注目してほしいのは、左側の4つの要因です。

◎操作と挙動のつながりが見えている
◎しくみが見えている→想像できる
◎対象系理解を許す→うながす
◎物理を介してフィードバックする

 この4点、実は安全工学の分野において非常に有名なJ・リーとN・モレーが提唱した「人がシステムを信頼する四つの要件」とほぼ合致します。

 これらが意味するのは、「不便なものを人は信頼するのではないか」ということ。

 さらに、残りの右側の部分についても同様のことを指摘している人がいます。著書『誰のためのデザイン?』(新曜社)で一躍有名になった認知科学者ドナルド・A・ノーマンです。

 彼はこの本で、デザイナーはやみくもに高機能を追求するのではなく、ユーザーにとって使いやすく理解しやすいことを重視しながらデザインすべきだと主張し、これを「ユーザー中心設計」と名づけました。

「ユーザー中心設計」のカギとなるのが「アフォーダンス」という考え方です。ものが人に対して「こんなふうに使えますよ」という行為の可能性をアフォード(提供)していると考えれば、いろいろなことがうまく説明できるのだといいます。

 たとえば次ページの水筒。飲みたいときどうすればいいかは簡単に予測できますよね。ボタンの部分を押せば、ぴょこっと注ぎ口が出てきます。ここまでは、ノーマン的にはOKです。ボタンを押すことを、水筒はユーザーにアフォードしています。

 次に、コップにお茶を注ぎたいわけですが、注ぎ口はAとB、どちらでしょう? この質問をすると票が割れるのです。割れるということは、行為の可能性(アフォーダンス)が複数あるということ。使い方を間違える人もいるでしょう。これはノーマンにいわせれば「よくないデザイン」ということになります。

 ちなみに、正解はB。Aはカップを閉めたときここに引っかかることで、注ぎ口も一緒に閉まり、中の漏れをふせぐ装置なのだそうです。

 次に、ノーマンのいうアフォーダンスを逆手にとったデザインを見てみましょう。

 私は息子が小さいころはバイク通勤でしたが、雨の日は電車に乗ります。電車通勤の日だけは『週刊少年サンデー』を息子に買って帰る約束をしていました。

 ある雨の日、『少年サンデー』を心待ちにしていた息子は、帰宅した私のカバンを自分で開けようとしたのです。しかし、なかなか開きません。カバンには、下の図のような形の金具がついています。息子は真ん中の丸いボタンを何度も押しましたが、そのやり方では開かないのです。

 この金具はもともとはスリよけのデザインだったそうで、金具をスライドさせれば開けることができます。開け方を知らないとついボタンを押したくなる(アフォードされる)という、引っかけです。

 息子のように使い方を知らない人は、みな間違うでしょう。しかし、このスリよけのデザインは、ノーマンに言わせれば「いいデザイン」。

 アフォーダンスを逆に利用して、スリよけのために金具に予想外の動きをさせるというデザインだからです。

 このように、機能性の高さやデザイナーの都合ではなく、ユーザー(人間)中心でデザインすることの大切さを主張していたノーマンでしたが、なんと2005年になると「人間中心設計は害だ」と言い出しました。人間中心設計を信じてきた人たちは裏切られた思いがしたでしょう。

 しかし、論文を細かく読んでいくと、彼の言いたかった真意がわかってきました。

 人間中心設計を浅薄にとらえ、モノが人にすり寄り、それによってモノだけが変わっていくようではいけない。人は変われること、また成長できることなど、その能力をないがしろにしてはいけない。つまり、「人間中心」とは、人間が何もしなくてもいいという意味ではないのだと、ノーマンは主張したかったのです。

パーソナライズの真意とは

 2004年に刊行された著書『エモーショナル・デザイン』(新曜社)の中では、不便益にかなり近い内容が綴られています。

『エモーショナル・デザイン』のキー・コンセプトの一つが「パーソナライゼーション」(個性化)です。

 これを説明するのにぴったりのエピソードがあります。

 あるときノーマンの友人が「要するに僕だけのものならいいのだろう」と、新品の携帯電話を砂にジャリッとこすりつけて傷をつけ、「この傷は世界で一つしかない。これがパーソナライズ」とやったそうなのです。

 なんとも悲しい顔をしながら。

 それはノーマンの主張するパーソナライズとは違っていました。大きな違いは「かかわりの長さ、深さ」でしょう。

 たとえば、ジーンズは何度もはいて使い込んでいくほど、いい風合いが出てくるものですが、ストーンウォッシュするなどしてわざと着込んだ風合いを出した新品を売っています。

 ノーマンに言わせれば、それは浅薄なデザイン。ポケットにいつも入れていたジッポライターのあとが残っているとか、右足を上にして足を組むクセで左足の上部分だけひどく擦れているとか、その人とモノとがお互いにかかわり合ったあとが残っているのがパーソナルなもの。そこには手間をかける余地があり、また工夫する余地があり、それによって自分の気分も行動も変わるし、モノも変わっていきます。

『エモーショナル・デザイン』の考え方は、不便益にかなり近いのです。まったく違う分野にも、不便益に近い知見があることは、私が次の段階へ進むことへの足がかりとなりました。

不便は手間だが役に立つ

 かつては「ものづくり大国」と呼ばれた日本の企業は、今、ものづくりにおいて迷走しているという印象があります。

 何をつくればいいのか。どこに新たなチャンスが眠っているのか。

 迷ったあげく、AIや完全自動化といった便利をもてはやす一方で、不便益の要素をとり入れていこうとする動きも、実は少なくありません。実際、多くの企業の方たちが、不便益に興味を持ち、研究室を訪ねてきてくださいます。

 実は、「製品が進化すると、うつ病にかかる人が増える」という研究データも出てきています。これは非常に興味深いデータだと思います。

 まだまだ不便益は社会に広く浸透しているわけではありませんが、便利を追求していればよいという考えに違和感を抱き、あえて手間をかけること、わざわざ不便さを盛り込むことの意義を、前向きに考えてくださる方たちがいることは間違いないのです。

 便利さへ向かうスピードが加速する時代、ぜひ今一度、不便だからと切り捨ててしまわず、むやみに避けず、不便をガンガンととり込んでみてはいかがでしょうか。

[もっと知りたい!続けてお読みください →]  「甘栗」「ねるね」、矛盾するロングセラーの秘密

[関連記事]

京大教授が考察、遠足の菓子が300円じゃなかったら?

日本のゲームがいつの間にか中国でエロ認定されてた