いま、定年後に、引き上げられた年金受給まで耐えられずに破産する「定年破産」が増えている。背景にあるのは役職定年や定年再雇用による賃金の低下、さらに晩婚化で住宅ローンや高い教育費が60歳をすぎても重くのしかかる。70歳まで普通に働いても、人生100年時代を乗り切ることはできないのか。世間の“普通”が揺らぐ!

◆「55歳の壁」の実態とは?

 これは、ある定年破産者の例だ。都内医療器具メーカーに勤務していた田中令次さん(仮名・64歳)は、42歳で結婚し、2人の子宝に恵まれた。45歳で現・住宅金融支援機構の「フラット35」を利用して、都心から電車で30分のベッドタウンに4500万円の新築戸建てを購入。会社ではマネジャーとして部下も育成し、給料も年功序列で上がっていった。まさに理想的なサラリーマン像だったが……。

 田中さんは昨年、年金支給を1年前にした64歳のときに破産をすることになる。崩壊の序章は、まず“55歳の崖”と呼ばれる役職定年にあった。

 厚労省の調査では、役職定年年齢を55歳とする企業は、全体の38.3%。約4割の会社は55歳で役職手当がつかなくなる。経済評論家の加谷珪一氏は、これを「最初の崖」と話す。

「賃金を維持できるのは、ほんの一握り。あとは“役職手当”が外されて、給料は下降します。最近では4~5割も一気に下がる企業も増えています。年収が高い人ほど、その振り幅は大きい」

 実際に、田中さんも年収620万円から35%割減の400万円台に下がってしまった。ただ、田中さんの目論見では、定年までの残り5年間を耐え忍べば、“退職金”で立て直せる算段だった。しかし、現実はそう甘くない。退職金が思ったより少なかったのだ。

 厚労省平成29年に発表した「退職給付額」によれば、退職金の平均は1983万円。田中さんリーマンショックの影響で、退職金規定が改悪。必死に勤め上げたにもかかわらず、予想の半分を下回る僅か800万円しかもらえなかったのだ。ファイナンシャルプランナーの橋本明子氏も「これからの社会は退職金はすぐに消えるものと考えたほうがいい」と警鐘を鳴らす。

「まず20年ほど前に比べて、退職金は500万円近く下がっています。さらに転職が一般的になっている現代では、勤続年数が短いためにその金額も数百万円台がザラです。予測できることなのに、貯められない人が多い。退職金を減額されて裁判を起こす人もいますが、その間は“未払い“になります。結果、心身の疲弊から最終的に100万円程度の上乗せでもらうパターンが多い。そして生活は困窮していくのです」

◆賃金は2段階で下がる。赤字が続く家計に転落

 そして田中さんに訪れた次の崖が、定年再雇用だ。改正高年齢者雇用安定法により、定年以降も本人が望めば年金支給開始年齢まで働くことはできるという制度。田中さんは、早めのリタイアを考えていたが、“もらえる年金額”を見て愕然としたという。加谷氏が次のように解説する。

「『あなたは年金をいくらもらえる予定ですか?』と聞くと、本当に答えられない人が多い。今はサイトの『ねんきんネット』で、将来の支給額がわかります。僕も検索しましたが、思ったよりも額が少ないですよ。繰り上げて60歳から年金をもらうことも可能ですが、代わりに『0.5%×繰り上げた月数』が引かれる。つまり、60歳から受給すると、生涯もらえる年金が3割減ることになります。そのため“定年後も働く”という選択肢を選ばざるを得ない人も多くなります」

 田中さんも再雇用を望んだが、今度は提示された給料に青ざめた。一番稼いでいた時期の3分の1程度、年収は200万円台まで落ちてしまったのだ。

「定年以降の再雇用は“非正規雇用”の嘱託社員が大半です。いわばパートと変わらず、14万~15万円ぐらいが相場です。減収補塡措置をする企業は一部の大企業のみ。そうなると、蓄えた貯金や退職金で取り崩すしかなくなってきます」(加谷氏)

 “役職定年”、“定年再雇用”、“下がる退職金”と、日本はまさに定年破産時代を迎えている。ファイナンシャルプランナーの藤川太氏は「現在の定年世代は、はしごを外された世代でしょう」と話す。

「50代は終身雇用、年功序列で給料が上がる前提で人生プランを立てている最後の世代です。そして本来、50歳前後といえば、子供が高校や大学に行き始める支出がピークの時期。今までの社会は、この支出ピーク時に収入のピークも来て、支出と収入が合っていました。しかし、長いデフレ期で、企業は年功序列で給料が上がる日本独自の給与形態を維持できなくなった。この世代はポスト団塊世代や新人類世代で、会社で人数も多く、バブル通過組のため給料も高い。企業は当然この層をターゲットにし、給料を下げてきます」

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<退職給付額の推移>
2002年……2499万円
2007年……2280万円
2012年……1941万円
2017年……1983万円
★この15年で約500万円ダウン
※「退職給付額」は、平成29年1年間における勤続20年以上かつ年齢45歳以上の定年退職者を対象にした平均値(厚労省「就労条件総合調査」より)

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◆本来あるお金の貯め時が晩婚化でやってこない

 田中さんが定年再雇用でどんなに頑張って働いても、家計は毎月20万円近い“赤字”が連続していた。なぜ、これほどのマイナスになるのか。藤川氏は「晩婚化の影響もある」と話す。

「これまで家計の最後の貯め時は、子供が独立してから退職するまでの期間でした。もし30歳で子供が生まれたら、52~53歳で大学を卒業して独立ですよね。そこから7年ぐらいは退職までに時間がありますから、本来ならばその期間でお金を貯められるはずでした。

 しかし、最近は晩婚化の影響もあり、結婚も出産も遅くなると、子供の受験・独立を、60歳の定年期に迎えてしまいます。役職定年、定年再雇用で賃金が下がっているのに、住宅ローンや、高い教育費がある家計は、よほど貯蓄がない限り辛くなることは確実です」

 この“貯め時がない”問題はデータに表れている。明治安田生命保険の調査によると、世帯での貯蓄額がゼロと回答した50代男性が20.7%もいた。つまり5人に1人が貯蓄ゼロ。これは貯蓄のない20代男性とまったく同じ割合だ。

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<世代別貯金0の割合>
20代……20.7%
30代……14.8%
40代……17.8%
50代……20.7%(50代は5人に1人が貯蓄ゼロ!)
60代……12.6%
70代……18.5%
(明治安田生命「『家計』に関するアンケート調査」より)

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 田中さんも定年を越えてから長男、次男が大学入学して、虎の子の貯金と退職金が消えた。せっかく購入した戸建てを売りに出し、老後資金の補塡を考えたが……。

「少子高齢化で人口減のため、住宅の価値が下がっています。特に郊外の家をいざ売ろうとしても、二束三文。持ち家は大型冷蔵庫と一緒。耐久消費財なので、壊れたら無駄に固定資産税もかかって大変。最後は家電と一緒で、お金を払って引き取ってもらうことになります」

 とは、経済ジャーナリストの荻原博子氏だ。事例の田中さんも積み重なる赤字に遂には住宅ローンを滞納して、マイホームは“差し押さえ”になったのだ。荻原氏は、田中さんのように“定年世代の普通の幸せ”こそが破産状態になりやすいと話す。

「終身雇用や年金制度が崩壊した今、思い描いてきた“普通の家庭像”がもはや一部の高所得者だけのものになっています。いわゆる『親の呪縛』です。高い生活水準に慣れてしまっている現在の定年世代が、改めて100g1500円の牛肉から、100g300円へと豚肉の生活レベルを落とせるでしょうか? 定年破産する人たちは、そんな“現実”から少し目を背けているような印象があります。生き残るためには安くてもいいという意識に変えないといけないのです」

 55歳の崖から始まる定年破産に、まだピンときていない30~40代もいるであろう。しかし、前出の加谷氏は、「今後、全世代に起こり得る問題」と警鐘を鳴らす。

「賃金と人口が年々減っていく中で、超高齢化社会を日本は迎えていきます。そのため年金も現在の50代は68歳支給、現在の40代は70歳支給に引き上げられることも十分考えられます。つまり、70歳支給ならば定年後に10年間は赤字家計が続くのです」

 賃金の低下、固定費が高い、さらに晩婚で貯め時がない。思い当たる読者も多いことだろう。定年破産は全世代に共通する、恐怖なのだ。

<定年破産する人の共通点>
①55歳の役職定年・定年再雇用で賃金低下
②住宅、教育などローンが残り固定費が高い
③晩婚で貯め時を逃したままで定年に突入する

【加谷珪一氏】経済評論家
中央省庁のコンサルティング業務を経て現職。テレビラジオコメンテーターの仕事も行う。『定年破産絶対回避マニュアル』『お金持ちの教科書』など著書多数

【橋本明子氏】ファイナンシャルプランナー
卓越した生命保険と金融サービスの専門家による国際組織「Million Dollar Round Table」の会員。全9社を扱う保険商品組み合わせのプロ

【藤川 太氏】ファイナンシャルプランナー
自動車会社勤務を経てファイナンシャルプランナーに。2万世帯以上の家計診断を行う。著書に『やっぱりサラリーマンは2度破産する』(朝日新聞出版)など

【荻原博子氏】経済ジャーナリスト
日本経済の仕組みを生活者の視点からわかりやすく解説する。各メディアで活躍中。近著は『老前破産』『安倍政権は消費税を上げられない』など多数

― 定年破産する人の共通点 ―

※写真はイメージです