「いだてん」第23話「大地」が放送されました。

これまでの「いだてん」振り返り記事はこちら。

前回、竹早の女学生たちは四三のクビ撤回を求めて教室に立て籠もりました。「女の体はスポーツに向いていない」と主張する富江の父に、シマは富江と競走させて女性にもスポーツができることを証明しようと提案します。

見事富江が勝利し、四三はクビを免れることに。

さて、時代は1923(大正12)年9月1日、この時代を描くうえで避けては通れないのが関東大震災です。

シマは浅草十二階で被災

四三をはじめとする多くの登場人物たちは地震とそれによって起こった火災による被害を免れましたが、女学生たちと浅草十二階で待ち合わせをしていたシマは23話終了後も安否が確認できないまま……。

当時の浅草のシンボルであった凌雲閣(通称:浅草十二階)は、8階より上が倒壊。おまけに周囲は木造家屋が密集しており、火災が広がっていました。

徳永柳州「第一震十二階の崩壊」

関東大震災後、浅草十二階は取り壊されて再建はされませんでした。

かろうじて無事だった浅草寺は避難所として機能

凌雲閣ももちろん浅草のシンボルだったでしょうが、それよりも大昔から浅草といえば浅草寺。あれだけの被害に見舞われた地域でしたが、浅草寺は一部を除いてなんとか観音堂をはじめとする堂宇が無事残りました。

東京市「THE RECONSTRUCTION OF TOKYO」(英語版)より

このころ仲見世は赤レンガ造りの2階建て洋館でしたが、地震による倒壊を考慮しなかったのか鉄筋が入っておらず脆かったため、跡形もなく崩れ去ってしまいました。無事だった奥の浅草寺境内は多くの人々の避難所として機能したといいます。

なにしろ浅草のほとんどが焼野原になったので、被災者の数も多かった。浅草寺には5万人以上もの人々が避難してきたとされています。

ところで、浅草十二階ほどの高さはなかった浅草寺の五重塔。もともと三重塔だったものが江戸初期に五重塔に建立されて以来、浅草のランドマークとなりました。明治19年の修復工事で足場が組まれた際は展望台にもなっていたそう。修復費用を捻出するために参拝者から入場料をとって登らせていたのです。

浅草十二階は関東大震災で倒壊してしまいましたが、この五重塔はびくともしなかったそう。残念ながら昭和の東京大空襲で焼失してしまいましたが、現在は鉄筋コンクリートアルミ合金瓦で再建されています。

これまでの「いだてん」振り返り記事はこちら。

関連画像