「定年延長問題を社会的に議論すべき時期だ」

JBpressですべての写真や図表を見る

 2019年6月初め、洪楠基(ホン・ナンギ=1960年生)副首相兼企画財政相はテレビ番組に出演し、こう話した。

 日本の実質的な定年延長のニュースも大きく韓国では報じられており、日本以上のスピードで高齢化が進む韓国でもすんなり定年延長に向かうのかと思いきやそう簡単ではないようだ。

2016年に定年60歳になったばかりだが…

 韓国にも定年制がある。今は満60歳だ。

 関連法が改正になったのは2014年で、2年間の準備期間をおいて2016年施行になった。それまでの定年は57歳だった。

 定年延長からわずか3年しか経っていないのにどうして副首相が定年延長に言及したのか。

 急速に進む高齢化が現実のものになり、様々な問題が目に見える形で出てきたからだ。

 韓国で高齢化が急速に進んでいることは、街を歩くだけですぐに分かる。デパートでも地下鉄でも、飲食店でも、本当に高齢者が目につく。

 韓国で65歳以上の人口が全人口の7%を超えて「高齢化社会」になったのが2000年。わずか17年後の2017年に14%を超えて「高齢社会」になった。

 日本が、1970年1994年と24年かかったのに対して、韓国はわずか17年間で変化した。

 日本は、さらに13年後の2007年に20%を超えて「超高齢社会」になった。韓国は、9年間で2026年に「超高齢社会」に入る。

 高齢化は、ずっと以前から分かっていたことだ。だが、日本でもそうだが、実際に、経験してみて初めていろいろな問題が生じ、遅ればせながらその対策も始まる。

「老後に対する不安」

日本は2000万円、韓国は3000万円不足?

 韓国でも、どうやって生活していくか? が最大の関心事だ。

「“老後資金2億ウォン足りない”に日本は怒る…韓国は3億ウォン

 2019年6月18日、「朝鮮日報」はこんな興味深い記事を掲載した。

 日本の金融庁が、人生100年時代を見据えた資産形成に関する報告書を作成して日本で反発を買ったことは韓国でも比較的大きく報じられた。

「95歳まで生きるには夫婦で約2000万円の金融資産の取り崩しが必要だ」という内容に特に高齢者の関心が強い。2000万円と言えば、ざっと2億ウォンだが、韓国はどうなるのか?

 こんな疑問に答えて、朝鮮日報が日本の年金制度に詳しい大学教授に、同じ条件で試算を依頼したところ、韓国では3億ウォン必要だという結果になったという記事だ。

 円換算でざっと3000万円、日本よりもはるかに「不足額」が多いのだ。

 日本の場合、年金を中心とした収入が210万ウォンだが、韓国の場合、年金受給額がずっと少なく収入が130万ウォンしかなく、「不足額」が日本よりずっと多いというわけだ。

 もともと韓国では、老後の準備が不十分だという指摘が多かった。OECD(経済協力開発機構)の調査では、韓国の老人貧困率は45%で加盟国中で最低水準だ。

 ではもっと年金を増額すればいいかと言えば、もちろんそんなことはできない。韓国でも年齢構造の変化で、年金の財政が今後苦しくなることは確実だ。

 韓国メディアは、今のままではいつ国民年金基金の資金が「枯渇」するかという試算を頻繁に報道しているほどだ。

 国民年金の支給開始年齢は、2012年までは満60歳だったが、2013年以降は「5年ごとに1年ずつ」引き上げている。1969年生まれの場合、65歳が支給開始となる。

 老後に対する不安は高まる、国民年金の支給開始時期は遅くなる。となれば定年を延長するというのが現実的な選択肢だ。

韓国大法院の判決

 定年延長については、2019年2月に重要な大法院(最高裁判所に相当)判決があった。

 事件は2015年夏に起きた。4歳の男の子がプールで溺死してしまった。家族は、プールを運営する会社相手に損害賠償訴訟を起こした。

 1審、2審はともに、「労働できる期間」を60歳までとして計算した。

 ところが、大法院は、「労働できる期間を65歳に引き上げて計算し直すべきだ」として高裁判決を破棄して差し戻した。

 韓国社会や経済構造が急速に変化しており、労働できる期間も実態に合わせるべきだという趣旨の判決だった。

 現行の「60歳定年制度」に対して、大法院は、65歳までは十分に働くことができるという判断をしたのだ。

 労組は定年延長に賛成の立場だ。労働者の権利拡大、さらにすでに組合に加盟してる労働者の希望からみても賛成は当然かもしれない。

 では、すんなり定年延長に進むのかと言えば、全くそうとも言えない。最大の理由は、一般国民の間で、コンセンサスができているとは言えないのだ。

空前の就職難、若者は反対

 老後生活を控えた高齢者から見れば、定年延長は死活問題でもある。

 また、財政健全性の維持という面から見ても、定年延長は待ったなしだ。

 さらに、労働力確保という意味でも長期的には定年延長は避けられないだろう。政府によると「今後10年間、労働者市場から退出する労働者は年間80万人だが、新たに市場に入っているのは40万人に過ぎない」。

 働き手は長期的には不足するのだ。

 ところが、それでも反対意見も多い。まずは、若者の間で否定的な意見が多いのだ。

 何しろ韓国の若者は空前の就職難に苦しんでいる。実質的な失業率は20%を超えているといわれる。

 定年を延長して、すでに働いている50代後半以上の労働者の雇用が延長になれば、それだけ若者の新規採用が少なくなる恐れがある。

 あまつさえ韓国では社会的な問題に対して「世代間対立」が深刻だ。

 定年延長問題で、若者と高齢者の間で深刻な意見対立が表面化することは避けるべきだという意見が多い。韓国紙デスクは言う。

「日本では定年を実施的に70歳まで延長することが決まった。空前の人手不足が続いているということで、社会的なコンセンサスを得ることが容易だったが、韓国は全く状況が異なる」

 もう1つは、野党などからの「経済政策がうまくいっていないことを隠すためではないか」という指摘が出ていることだ。

 文在寅ムン・ジェイン1953年生)政権は、所得主導成長論を掲げて経済、特に雇用政策を重視しているが、一向に成果が見えない。

 そんな中で辛うじて「良い数字」が出ているのが高齢者の雇用者数の増加だ。

 雇用指標が良くない中で、2019年5月の雇用統計を見ると、60歳以上の就業者数だけが35万人以上も増加した。

 低賃金で週に何日間でも働きたいという高齢者に対して、政府機関などが簡単な作業をする雇用機会を作ったためだという指摘が多い。

 若者は、質の高い正規職を求めるが、高齢者は比較的低賃金でも職に就く。定年延長で、高齢者に働く場をさらに提供すれば雇用統計上はプラスになる。

 野党は、「数字を作るための政策だ」と批判しているのだ。

 政府はもちろん、「数字を良くするために定年延長を進めることなどあり得ない」と真っ向から反論している。

企業は負担増に消極的

 さらに、企業も「定年延長」には消極的だ。ある大企業役員は次のように話す。

「2016年に定年を60歳に延長したばかりだ。日本のように、ある年齢に達すると、かなり年収が下がるような制度がまだ定着していない中で定年延長をするとコストばかり膨れ上がる」

「若者の採用を増やせという政府や大学からの圧力も強く、応じられない」

 政府内でも「定年延長を議論するのはいいが、導入となるとじっくり検討すべきだ」という意見が多い。

 結局、副首相が上げた「定年延長」のアドバルーンだが、トントンと実現する見込みはあまりないのが実情だ。

 李載甲(イ・ジェカプ=1958年生)雇用労働相は6月13日、「毎日経済新聞」とのインタビューで、「まだ青年、特に“エコー世代”が増えている。あと数年はこういう状況で、定年を延長するとこの世代の雇用が悪化する恐れがある」と語った。

エコー世代」とは朝鮮戦争後のベビーブーマ世代(1955~1963年生)の子供の世代(1979~1992年生)だ。

 韓国では男子の兵役義務があり、大学院進学者も多く、この世代はまだ「就職戦線」の主要メンバーだ。

 この世代の雇用問題が一段落しない限り、定年延長は難しいという立場を鮮明にした。

 韓国紙デスクはこう話す。

「政府は近く、雇用年齢を延長する企業にインセンティブを与える政策を打ち出すなど何らかの対策を発表する」

「だが、定年延長は、検討課題として時間をかけて議論することになる。若者の雇用問題以外に、年金制度や軍人の定年問題など様々な複雑な問題があって、簡単には決められない」

「定年延長」議論は、韓国の経済社会が抱える様々な問題を象徴する難題なのだ。

[もっと知りたい!続けてお読みください →]  「天皇が謝罪を」発言の文議長、なぜ鳩山氏に謝罪

[関連記事]

経常赤字、マイナス成長の韓国経済を米中激突が直撃

金正恩戦略を解くカギはバスケにあり