医療の世界は“不思議”があふれている。医療従事者にとっては当たり前でも、一般の人には初耳の理解できないことばかり。そこで、水戸協同病院 研修医、東北大学メディカル・メガバンク機構非常勤講師の光齋久人氏が、医療についての正しい知識を分かりやすく解説する。今回は「心筋梗塞」に関する間違った常識を取り上げる。(JBpress)

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 ある日の夜間救急外来。「食あたり」の訴えで、糖尿病、高血圧のある60代の男性がやって来ました。さくさく一人で歩いて診察室へ入り、「昼食べた中華料理のせいで食あたりなんです。胃薬ください」と言います。どんな症状があったのか問うと、下痢はないけれど、何回か吐いた後からずっと胃がむかむかするとのことでした。

 もしやと思い、「冷や汗はかきましたか?」と問いました。すると彼は、確かに嘔吐していたときボタボタ冷や汗をかいていた、と思い出しました。私はすぐさま心電図をとりました。心筋梗塞でした。

 さて、このエピソードを見て、「ああ、これはまず心筋梗塞を疑わなきゃな」と思った方はどれほどいるでしょうか。医療従事者でもなければ、心筋梗塞を疑った方はいないのではないかと思います。患者さんはこの後すぐに心カテーテル治療を行い、幸い命に別状なく、2週間程度で退院していきました。

胸が痛くならない心筋梗塞?

 心筋梗塞は、心臓を栄養する血管が詰まり、心臓の筋肉に十分な酸素が行かず壊死してしまう病気です。心臓が首を絞められて窒息しているようなイメージでしょうか。日本では心疾患による死亡は減少傾向にはありますが、いまだ疾患別死因の第2位であり、年齢調整死亡率は10万対で男性65.4、女性34.2です*1。高血圧、糖尿病、脂質異常症などを持っている人はリスクが高く、喫煙や肥満なども発生率を高めます*2

 ここまでの情報なら、わりと多くの人が知っていることなのではないかなと思います。特に喫煙者の方は、周りの人たちから耳にたこができるほど言われているかもしれませんね。ですが、「胸の痛くない心筋梗塞」となると、ちょっと聞いたことのない人も多いのではないでしょうか。

 心筋梗塞のイメージといえば、「うっ」と呻いたかと思うと胸を押さえて、苦しそうにうずくまってしまう、みたいな感じではないでしょうか。ええ、ドラマとかでよく見るあれです。もちろん、典型的にはそれで間違いありません。さくっと心筋梗塞の症状で調べてみれば、「胸を押さえつけられるような痛み」や、「左肩に放散する痛み」、「嘔気・嘔吐」とか「歯の痛み」なんてのも出てくるでしょう。

 でも、心筋梗塞の本当に難しいところは、症状が実に多彩で、胸の痛くない心筋梗塞も決して少なくない点です。実は、今回の主な症状であった「胃のむかつき」も、心筋梗塞では別段珍しいものではないのです。

 典型的な「左胸の締め付けられるような痛み」は心筋梗塞患者のおよそ8割程度にみられます。逆に言えば、非典型的ですが胸が痛くない心筋梗塞も実は2割程度あるわけです*3-4。一般に糖尿病があるとリスクが高いと言われていますが、それ以外にも、男性、高年齢や心血管疾患の既往なども、このような非典型的な心筋梗塞のリスクを上昇させます*5

 そうはいっても、胃の辺りが痛んで気持ち悪い、吐いてしまうなんて、二日酔いでもすれば誰だって経験することです。そんなことでいちいちお医者さんに、「心筋梗塞かもしれない!」と駆け込むのはなかなか抵抗がある。分かります

 であれば、「どういう症状があれば心筋梗塞らしいのか?」を知っておくというのは有用かもしれません。

統計解析で見える「冷や汗」との強い関連

 こんなとき、心筋梗塞の診断に対する、さまざまな因子の「尤度比(ゆうどひ)」の比較が役に立ちます。尤度比とは簡単に言うと、「これがあるとどれくらい心筋梗塞っぽいか」の指標です。1を越えると「~らしさ」が増し、逆に1を切ると「~らしさ」が減ると思ってください。

 あるメタアナリシス(関連する複数の研究から統合的な知見を得る解析)では、急性心筋梗塞に対する「冷や汗」の尤度比は2.92でした。実はこれ、「肩へ放散する痛み」やそれ以外の症状を抑えて、堂々の第1位だったのです*6。びっくりじゃありませんか? 

 だって、心筋梗塞の症状といったときに、「左胸の痛み」の次に何を思い浮かべるって、たいがい「冷や汗」は出てこないわけです。こういう研究を知らなければ、私たち研修医でもなかなかぽんとは出てきません。なぜなら、医師国家試験の教科書でも、「冷や汗」の重要性を説いているものなんて見たことがないからです。

 でも、確かに思い出してみると、二日酔いでげーげー吐いているときボタボタ冷や汗を垂らした記憶はありません。冷や汗、あるいは脂汗というのはよっぽどなときでないと出ないものなのです。

 私は最近だと、尿管結石が詰まってもんどり打ちながら救急外来を受診したとき冷や汗をかきました。顔見知りの看護師さんに「座薬入れてあげようか?」と言われ、丁重にお断りしてトイレにかけこみ、自力で座薬を押し込んだのもいい思い出です。

 日常的に、なんとなく胸が苦しかったり、動悸がしたりすることはままあります。そんなとき「もしかして・・・心筋梗塞?」と脳裏によぎっても、大抵は「まさかね!」と放っておいてしまっているのではないでしょうか。

 もちろん、ほとんどの場合はなんでもない一過性の痛みでしょう。ですが狼少年よろしく、毎度そんなふうに流していると、本物の心筋梗塞がやって来たとき見逃してしまうことが十分あり得ます。

「もしかして」と思ったときは、ぜひ一度立ち止まって上記のような症状がないか確かめてみてください。

*1:平成29年度人口動態統計特殊報告 平成27年都道府県別年齢調整死亡率の概況(厚生労働省)
*2:わが国における心疾患の死亡率・罹患率の動向(日循予防誌 2018年3月)
*3:Emerg Med Clin North Am 23: 937-957, 2005
*4:Clin cardiology 39(2):90-95, 2016
*5:Arch Cardiovasc Dis. 104(3):178-88, 2011
*6:Br J Gen Pract. 58(547):105-11, 2008

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