突然ですがみなさん座禅をしたことはありますか?

座禅というと、あの長ーい木の板でパシンと叩かれる光景が思い浮かびますよね。
あれは「警策(きょうさく)」というのですが、一頃は「ぼんやりしてると僧侶にどんどん叩かれる」という誤解を持っていた人も多いのでは?

最近はそういう誤解は減ってきたように思いますが、やみくもに「自らお願いすればいい」というのも間違いのようで・・・筆者の赤っ恥体験をレポします。

まずは座禅のふるまいを一通り

参加した某お寺の宗派は曹洞宗。そこでは座禅会ではなく「参禅会」と呼んでおり、ある程度知識や経験のある人向けの雰囲気。作務衣やヨガの服装で来られる方も多く、着替えをする部屋の用意もありませんでした。

・入場
手を叉手(さしゅ)にして入り口の左側の柱側から、左脚で入ります。叉手とは胸の前で両手を交差する方法の一つで、左手は親指を内に入れて手の甲を外に向け、その上から右手を覆い重ねます。坐禅堂に入ったら正面の本尊に向かい合掌低頭。手を叉手に戻し、自分の坐る場所(坐位と呼ぶ)に歩を進めます。

・座る
隣位問訊(りんいもんじん)といって、両隣の方への挨拶として座る前に合掌しお辞儀をします。さらに、対坐問訊(たいざもんじん)といって、反対側を向き、向かいの人への挨拶として合掌、お辞儀。

そしていよいよ、壁に向かって座ります。これを面壁〈めんぺき〉と呼びます。

後ろから印の組み方、座禅の組み方を僧侶が教える声が聞こえます。印は右手を下に左手を重ねて仰向け、親指同士をつきあわせます(ちなみにこの逆は天台宗とのこと)。

結跏趺坐が難しい方は半跏趺坐、または胡座(あぐら)でもよいのですが、体の中心がまっすぐになるように、自分の鼻とおへそが垂直かを意識。左右に体を揺らしながら徐々に体勢を整えます。

さて、しんと静まる瞑想の時間。

私はそれまで数回、座禅会と写経を体験したことがあり、結跏趺坐どころか半跏趺坐もできない未熟者のくせに、経験値が少し高まったという驕りがありました。

しばらくして疲れてくると、「警策を頂こうかな」という気分に。

「座禅していて、集中力が途切れたり意識が散漫になったときに、前屈みになって警策を頂くのだよな」などと通ぶって、僧侶(直日、直堂と呼ぶ)が背後に歩いてきたときに、すっと前屈みになり首を左にかしげ、右肩を差し出しました。

ぱしん!

右肩を叩かれるといっぱしの修行者になったような気持ちに成りました。
しかし、それ以降、警策の音は鳴りません。

「あれー、今回は私だけなのかぁ」などと思いながら終了。

「座禅=叩かれればいい」ではない

帰り際、直日の僧侶に「警策を頂きありがとうございました」と挨拶すると、なんと驚きの返答が。

実は「禅道が伝わった鎌倉時代は警策は存在せず、江戸時代に始まった」ということで、「むやみやたらに打ってもらって気持ちいい、という考えは邪道といえます」と教えられました。

がーん!

勝手に打たれるものでも、積極的に打たれにいくものでもないのか!!
座禅の正しいありようって一体なんなのだ!?

警策の始まりって

曹洞宗の寺

あまりに目から鱗だったので更に窺ってみました。警策は、警覚策励(けいかくさくれい)の略で、臨済宗では「けいさく」と呼ぶそうです。しかしこの棒、いつからどの寺で使い始めたのかは明言できないとのこと。

なんだって・・・!! お寺でもわからないのか!

しかし曹洞宗開祖の道元禅師、臨済宗開祖とされている栄西禅師の時代に用いられたという記録は残っておらず、前述した通り江戸時代になってから登場したことは間違いなさそう。

坐禅堂のご本尊は文殊菩薩のため、警策は文殊菩薩の手の代わりとされており、そのため打つ方も打たれる方も合掌し一礼をするのだそうです。

曹洞宗の坐禅は「只管打坐(しかんたざ)」といって、ただひたすらに座禅に打ち込むスタイルが主。

座ることが仏に近づく手段ではなく、座ることが仏の姿そのものになるという考えで、体と心が一つになることで悟りにいたるのですが、そこには己のみが己と対峙するのであって、本来は他者によって与えられる刺激で心を戻すことはあってはならない(必要ない)といえるとのこと。

すみません、うまく書けませんが伝えられたでしょうか・・・(汗。

しかし最後に、本当に集中力を欠いたときはお願いしてもいいですよと仰ってくださいました。今回はきっと、「打たれれば良い」という私の邪な心が見透かされたのだと思います・・・(汗。

実際、打たれると体がほぐれて気持ちいいんですよね…。

しかし警策の始まりという大きな謎が残ってしまいました。筆者はこの謎ときをライフワークにしようと思います(本当か)。

禅宗は細かく分類すると24の宗派があるようですし、宗派により座禅の作法や考え方も異なると思うので、こちらで体験したことがすべてとはいえません。

とにもかくにも何事も、決して知ったかぶりはしてはいけませんね(笑)。

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