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「“この国では安心して長生きもできないんだな”とつくづく感じました。普通の生活に戻れたのは奇跡としか言いようがありません。本当に地獄のような日々でした」

そう語るのは三重県桑名市在住の山本浩子さん(48・仮名)だ。浩子さんは独身で、母・静江さん(79・仮名)と桑名市内の自宅で二人暮らし。静江さんには’14年頃から軽い認知症のような症状がみられたが、浩子さんは仕事をしながら、デイサービスを利用するなどして、在宅介護をしてきた。

「私は母が大好きで、介護を辛いと思ったことはありませんでした」(浩子さん)

ところが母娘の平穏な生活は突然崩壊する。’16年9月、桑名市の出先機関である地域包括支援センターの職員らが、デイサービス利用中の静江さんを一時保護の名目で連れ去り、施設に入れてしまったのだ。当時の模様を当事者である静江さんは、こう振り返る。

「突然、市の職員が来て施設に連れていかれましたが、事情がさっぱりわからなかった。私は施設の職員に“家に帰して”“タクシーを呼んでほしい”と繰り返し頼みましたがずっと無視されました」

一時保護の名目は娘の浩子さんによる母・静江さんへの虐待疑惑。後に情報公開請求で入手した市の内部資料には、こう記されていた。

「次女からのDVが発覚」「主(静江さんのこと)の体にアザや外傷が見受けられた」「緊急措置として施設に入所させ次女との分離を図った」

浩子さんによると、静江さんは脳梗塞の予防のため、血液がサラサラになる薬を服用。そのせいで、ちょっとしたケガでも血が止まりにくく、こぶやアザができたり、広がりやすかったという。

「母は活発な性格。体を動かすのが大好きなので、私はできるだけ母の自由にさせていました。でも24時間付きっ切りというわけにはいきません。私が目を離した際に、家や庭などで転んでケガをすることもありました。そのことはケアマネジャーや市の職員にも説明していたのですが、彼らは私が虐待したと決めつけて母を連れ去ったのです」(浩子さん)

事件当時、静江さんの夫の隆さん(81・仮名)は通院の関係で、愛知県岡崎市に住む長女の田口康子さん(53・仮名)夫婦宅で暮らしていた。

ありもしない虐待を理由に静江さんを連れ去られた夫の隆さんと康子さんは、浩子さんともども「虐待の事実はない」と強く否定し、静江さんを自宅に戻すよう申し入れたが、桑名市は無視し、驚くべき行動に出た。家族が全員反対したにもかかわらず、軽い認知症とされた静江さんに勝手に後見人をつけてしまったのである。

成年後見制度は2000年に介護保険制度と同時にスタート。認知症などで判断能力が十分でない人の代わりに、家庭裁判所が選任した後見人が医療・介護契約を結んだり、財産管理をする。

成年後見制度の利用申し立ては、本人、4親等内の親族のほかに市区町村長などもできる。桑名市は本人の診断書を添えて、市長名で津家裁に申し立てた。

成年後見制度に詳しい一般社団法人「後見の杜」の宮内康二代表が語る。

「成年後見制度で最も重要なのは後見制度を利用する認知症の人の意思の尊重(民法858条)です。植物状態の人を除き、たいていの認知症はまだら状態。程度の差こそあれ意思表示ができます。ところが実際には、本人の意思の尊重という根本原則が形骸化しており、意思を無視した誤った運用が堂々と行われています」

たとえば利用申し立てを受けると、家裁の職員が本人に会い、健康状態や利用の意思を確認する必要がある。また本人に対し精神鑑定を実施することも、法律で定められている。だが、これには植物状態で意思表示できないような場合は、手続きを省略できるという但し書きがある。

「このため、現実には専門外の内科医の診断書一つで植物状態同様に“常に判断能力がない”と決めつけられ、精神鑑定も家裁職員による本人の意思確認も行われない“手続き飛ばし”が当たり前に行われています」(宮内さん)

静江さんのケースでも、内科医の診断書1枚に基づき、この二重の手続き飛ばしが行われたのだ。

浩子さんが語る。

「成年後見制度の恐ろしいところは、本人を無能力者扱いして、合法的に本人から自由と権利、財産を取り上げてしまうこと。家裁が後見人に選任した弁護士と市役所の指示で、母は家族との面会を禁じられ、電話もかけさせてもらえなかった。後見人がつくまでの間、施設費を母に払わせるため、市は、母の同意なしに生活保護を受けさせることまでしたのです。母は当時を思い出して“認知症だからという理由で人間扱いされなかった。囚人のように扱われた”と憤慨しています」

浩子さんは母の救出に専念するため退職を余儀なくされた。一方、長女の康子さんは、母親に後見人をつけた津家裁の審判を不服として、名古屋高裁に即時抗告を申し立てた。

申し立て後の’16年11月、ようやく桑名市役所で母と姉、父の面会が実現したが、虐待の汚名を着せられた次女は外された。以下は、そのときのやりとりを記録した一部だ。

康子さん「浩子はお母さんがおらなくなってから、無茶苦茶。寝れやん、食べれやん」

隆さん「みんながガタガタになってさ。もう、家が崩壊しとる」

静江さん「浩子が可哀そうや。うちに帰りたい。うちに帰った夢ばかりみとる(すすり泣く)」

’17年1月、名古屋高裁の藤山雅行裁判長は、静江さんの判断能力を認め、「本人の精神状況につき鑑定を経ずして後見開始の審判をした原審は、その手続きに違法がある」と津家裁を批判。後見人を付けた家裁の審判を取り消した。

’17年11月、静江さん、浩子さん、康子さんの母娘3人は、国(家裁)と桑名市(伊藤徳宇市長)を相手取り、名古屋地裁に国家賠償請求訴訟を起こす。

桑名市からはいまだにお詫びの一言もありません。私たちのような被害者を再び出さないため、やむなく提訴しました」(浩子さん)

静江さんもこう話す。

「施設に閉じ込められた、かけがえのない私の貴重な時間を返してほしいです」

静江さんは地裁に提出した陳述書で、次のように書いている。

「私は認知症のような症状があると言われていますが、はっきり自分の意思も言えますし、すべてのことを忘れたことはありません。ですが、もし認知症だったとしても、人を人とも思わないような対応をして良いとは思いません。認知症になったら一人の人間として扱わない、自由さえ奪っても良いと考えるならば長生きなどするものでないと正直思います」

今年6月20日、津地裁で国賠訴訟の裁判が開かれ、静江さん母娘が証言に立つ予定だ。

浩子さんは、市役所、家裁、厚生労働省等、さまざまなところに相談したが相手にされなかった自身の経験を踏まえ、こう語る。

「後見人が外れるまでの10カ月間は地獄でした。私たちのような被害者を出さないよう、行政や職業後見人、家裁の暴走を監視し、後見被害者の声を受け付ける第三者機関を早急に設立すべきだと思います」

実は、介護家族が虐待の濡れ衣を着せられ、親が後見人を付けられたケースはほかにもある。決して他人事ではないのだ。

(取材:ジャーナリスト・長谷川学)