失敗しても成功。間違えたことに気づけることが一歩に繋がる


 日本人初のプロラクロス選手 山田幸代さん。

大学1年の時にラクロスを始め、卒業後は社会人選手としてプレー。その後、プロ宣言し、オーストラリアチームとプロ契約するなど、10年以上にわたり、日本ラクロス界をけん引している。

 「カタチがないものを作る、前例がないことに挑戦することに対して、不安よりも、『これ切り開いたら面白いかな?』って思うタイプなんです。

そして、目標は平べったい紙のようなものではなく、筒のようなものだと思っています。まっすぐ歩いていたら正面しか見えないけど、方向を変えたら、違う見え方ができるかもしれない。前進は、前だけでなく、横に行っても、後ろに行っても、それが前進なんだと思っています。もし、進む道が間違っていたら、一度戻って違う道に進んでみる。それでいいんじゃないかなって思うようにしていて、とにかく間違いだったとしても、『気づくことが大事』なんだと。

私の中での『不安』は、目に見えてないからではなく、決定しているものがあるからこその不安。方向性はこっちで良いのか?みたいな。」

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夢の実現には、目標を細分化して考え行動する

 山田幸代さんは、31歳となった2014年に、母校である京都産業大学大学院 マネジメント研究科へ入学している。

ラクロスを始めた頃から、『子どもたちの夢の選択肢ラクロスを!』という目標があります。大変なこともありますが、この夢があることがラッキーで、この目標を実現するために、何が必要かを学ぶため、もう一度、大学院に入りました。

想いや経験に加えて、短期・中期・長期の目標を細分化して、しっかり考える癖をつけられるようになったので、目標の実現がイメージしやすくなりました。」

山田プロ、ハローワークから電話です

 プロ宣言後、常に進み続ける山田幸代さんだが、さまざまな苦悩や迷いもあった。

 「プロになるか迷っていた時は、父親に電話したんです。『迷っている』と。普段は、あまりしゃべらない父が、『お前の中では決まっていて、背中を押してほしいってことやろ?ダメだったら帰ってくれば良い、お前ひとりぐらい世話するお金はある』って。

プロ生活3年半ぐらい経った時、スポンサーから契約の継続が難しいと言われました。1社しか契約をしていなかったこともあって、この時は、『もう終わり』と思いましたね。お金がなかったので、実家に戻って、仕事を見つけるためにハローワークに通っていたんです。

 そしたら、家に電話がかかって来て、たまたま父親が出たんですが、『山田プロ、ハローワークから電話』って。その言葉にハッとして、私のやりたいことは、こんなことじゃないって。

何か決断をする時、迷いがあった時に、父親がさりげなくフォローしてくれたことに、感謝していますし、応援してくれたり、支えてくれる人が身近にいることは、本当にありがたいことです。」

 常に前向きに着実に進み続けるプロラクロス選手 山田幸代さん。次回は、海外での経験や学びについてご紹介します。

※健康、ダイエット、運動等の方法、メソッドに関しては、あくまでも取材対象者の個人的な意見、ノウハウで、必ず効果がある事を保証するものではありません。

[文/構成:ココカラネクスト編集部]

日本初のプロラクロス選手 10年以上トップを走り続けるための、メンタルコントロール