日本をしばらく留守にしている間に、芸能人の「闇営業」が問題になっているようだというので、報道に目を通したのですが、ちょっと違和感を持ちました。

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 何が違和感といって「芸能事務所を通さずにギャラを受け取ること」を「闇営業」と呼ぶ、という定義が大変に「微妙」です。

 そういう行為は、少なくともかつては「直営業」と呼ばれていました。いま報道されている案件が「闇」と言われるのには、別の理由があるように思います。

 まあ、私がテレビ番組などを通じて芸能界にいささかなりともタッチしていたのは20世紀のことですので、もう二昔も前でズレているのでしょう・・・。

 こう留保したうえで、この「闇営業」という言葉に潜む「二重の闇」について、平易に記してみましょう。

興行ヤクザと芸能事務所

 私がテレビ番組「題名のない音楽会」の制作に携わっていたのは1996~99年にかけてのことで、もう現場を離れて丸20年以上が経過しました。

 10年ほど前までは、コメンテーターなどで地上波の番組に出ることもありましたが、ここ数年はそういう仕事も来なくなり、今日の業界とは全く違う、過去の話なのでしょう・・・。

 その前提で、以下記してみます。本当に過去だとよいと思うのですが・・・。

 今日、芸能事務所が担当するような仕事の多くは、昭和中期頃までは「興行ヤクザ」と呼ばれる人々が取り仕切っていいました。これは周知の、まぎれもない事実です。

 かつての吉本興業や、亡くなった美空ひばりなどが3代目山口組と近しい関係にあり、昭和30年代には山口組興行部を前身とする企業舎弟「神戸芸能社」が、美空ひばりのほか田畑義夫、三波春夫、里見浩太朗、山城新伍、橋幸夫などのマネジメントを担当していたのは、すでに歴史と言っていい周知の事実です。

 テレビやラジオなどのマスメディアが成立するのは20世紀以降のことですが、芸能や興行の歴史はそれよりもずっと古く、旅回りの芸人が興行を打つ「ハレ」の場は、迂遠な日常生活の場(「ハレ」と対照して「ケ」などと呼ばれることがあります)とは一線を画す「異界」でした。

 ちょうどお祭りの屋台、縁日と同様、それを取り仕切る人々が存在していました。

 縁日が「テキヤ」と呼ばれる露店営業人たちの寄り合いで、ショバ割などが決定されるのに対して、ご禁制の賭博で「ハレ」の場を盛り立てていたのが「博徒」と呼ばれる人たちです。

 博徒とテキヤは「稼業違い」とされ、縄張りが重複しても互いに干渉し合わないというのが、歴史的な平和共存の姿であったといわれます。

 それに変化が出たのは、第2次世界大戦後の焼け跡、闇市以降の頃からでしょう。

 闇市でのシノギには、博徒とテキヤの区別などありません。

 いつしか「縄張り」の考え方は変化し、かつて「テキヤ」だった人たちも「博徒」だった人たちも、そのいずれでもない20世紀後半型の「ヤクザ」となり、さらには「暴力団」に変質します。

 元来の「露天商」「賭博開帳」といった稼業以外の「シノギ」でバッティングすることも増えてきた。

 例えばネオン街などで普通に耳にするであろう「みかじめ料」の名で広く知られる、風俗営業の用心棒、ないしはトラブル解決、あるいは闇金融、さらにはある種の「興行」・・・。

 戦後、様々な形で「経済ヤクザ化」した現代暴力団の変質が、その背景にあると言っていいと思います。

第1次頂上作戦から暴対法まで

 戦後から高度成長初期にかけて、公然と芸能界を取り仕切っていた「興行ヤクザ」が姿を消していくには、大きく見て3つの段階があったと思います。それは

1 終戦~第1次頂上作戦まで(1945-64)
2 頂上作戦から暴対法成立まで(1964-1991)
3 暴対法成立以降~現在まで(1991-)

 の3つで、暴対法以降「ヤクザ」は完全にアンタッチャブルになりました。

 各々の経緯を振り返ってみましょう。まず「第1次頂上作戦」から。

 1963年12月、右翼の大物であった児玉誉志夫が提唱した関東ヤクザの親睦組織「関東会」が、自民党国会議員200人に宛て「即座に派閥抗争を中止せよ」と警告する文書を送付する事件が起こります。

 戦前から「院外団」などとして暴力団は政治と関わりがありましたが、それらはあくまで親分~政治家の傘の下での動きでした。

 児玉が構想したヤクザの大同団結は、60年安保などで揺れる世相を背景に、右翼の観点から「防共」(共産主義の脅威から日本を守る)というシナリオで、政治家にヤクザが圧力をかけるという、従来にはなかったタイプの示威行動でした。

 これが国会も世論も巻き込むスキャンダルとなります。

 翌1964年1月、事態を重く見た国は「暴力取締対策要領」を作成、2月から「第1次頂上作戦」と呼ばれる暴力団撲滅キャンペーンが繰り広げられます。

 3月には全国10大暴力団を指定、山口組を除くほとんどの暴力団が、偽装解散などの形でいったんは公安当局の軍門に下る事態となりました。

 しかし、3代目山口組だけは解散することがなく、その後「第2次頂上作戦(1971-72)」「第3次頂上作戦(75-78)」を経ても存続します。

 この間、見かけ上は暴力団員ではない「企業舎弟」による犯罪が増加し、1970年代後半以降、暴力団の組織系列下、現代化、経済ヤクザ化が進みます。

「山一抗争」から「暴対法」まで

 1981年、3代目山口組、田岡一雄組長が病没すると、跡目相続を巡って山口組は分裂し、分離した一和会と山口組との間で「山一抗争」と呼ばれる長い暴力抗争が続きます。

 この間山口組4代目を襲名した竹中正久組長が愛人の棲む一般マンションのエレベーターホールで銃撃(病院搬送後に死亡)されるなど、一般人に被害が波及しかねない場所での、血で血を洗う応酬となりました。

 私はこの竹中4代目襲撃事件を、不思議な偶然でよく覚えています。

 1985年1月26日に襲撃され、翌27日に亡くなったのですが、この日は私の20歳の誕生日で、その日の報道として、このニュースを見たので、記憶しているのです。

 一方で、覚せい剤の売買から闇金融などまで、犯罪行為とその被害の拡大が進み、他方で市民を巻き込む銃撃なども続き・・・と、あまり乱暴には簡略化できませんが、ここでは各論に踏み込むことは避けましょう。

 暴力団に対する社会の批判は確実に高まっていきます。やはり私が20歳だった1985年の6月、テレビカメラの目の前で起きた「豊田商事会長刺殺事件」は印象的でした。

 マスコミが詰めかけた事件現場に暗殺者が乗り込んで行き、ドアの中で事件は発生しました。その経緯が全国に報道され、社会の暴力団へのアレルギーを強く誘因しました。

 やがて1991年「暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律」(平成3年5月15日法律第77号)が成立し、様々な状況が変わります。

 そんな中でも、1995年4月、直前に発生した「地下鉄サリン事件」以降、捜査の対象となっていたオウム真理教の最高幹部が、今度は都心のビルエントランスで、多数のマスコミに囲まれる人ごみの真ん中で刺殺される事件も発生しました。

 この折は、まさに犯行そのものが全国にテレビ中継されることとなりました。

勝新、やすしと紳助の違い

 ここで話の突端である芸能界に目を転じてみましょう。

 かつては、暴力団の関係が噂になったり、事件化した芸能人は少なくありませんでした。

 例えば、勝新太郎。彼は1990年にハワイで、パンツの中にマリファナとコカインを入れて密輸しようとしたのが発覚し、執行猶予付きの有罪判決を受けます。

 その後1997年に亡くなるまで、妻である中村玉緒などの支えもあり、舞台俳優として生涯を全うしています。

 勝新の「パンツ」事件が、暴対法が成立する1991年より1年少し前であることに注意する必要があるでしょう。

 また、トラブルメーカーとして知られ、「兄弟盃儀式」の模様が写真週刊誌に報じられるなどヤクザとの関わりも広く知られていた漫才師の横山やすしは1989年4月に吉本興業を解雇されます。

 しかし、その理由は飲酒運転による事故であって、暴力団との親密な交流ではありませんでした。

 勝新より1年早い1996年1月に亡くなりましたが、彼が仕事を失ったのは暴力団との関係ではなく、ほとんど常時、飲酒酩酊したままテレビ現場などで繰り返した失態によるものでした。

 反社会的勢力との交流そのものによって糾弾、芸能界を追放されたわけではなかった。

 これに対して2011年8月、漫才の島田紳助が芸能界引退となったのは「反社会勢力との黒い交際」が唯一無二の理由でした。盃など交わした報道はなかった。

 かつての勝新ややすしには、派手な「交際」があったわけですが、暴対法以前の法と社会は、芸能人をそれだけの理由で追放するものではありませんでした。

 しかし暴対法施行から20年、おりしも東日本大震災・福島第一原子力発電所事故発生の年にあたりましたが、紳助の「交際」は、それだけで芸能界を去らせるに足る「事実」になっていたわけです。

 そして、あれから8年。いま「直営業」が「闇営業」などと呼ばれる理由には、一般にマスコミで記されているのとは別の含意があるように、私には思われます。

 闇営業が「闇」である理由

 芸能人が事務所を通さないで仕事をするというのは、少なくともかつては、特に珍しいことではなかったと思います。

 例えば、映画に「友情出演」というクレジットが出ることがありますよね。

 主役級の俳優や女優が出演しているけれど、映画の製作費が足りないため、特別に安いギャラ、あるいはノーギャラで出演するような場合に、このクレジットが出るわけです。

 事務所を通さない友情出演も少なくないと思います。というか、事務所を通すとギャラが発生してしまいますから、ここは個人ということで、といった話し合いになる。

 この場合、マネージャーが友情出演の事実を知らないというわけでは、必ずしもないわけで、あくまでギャラが発生する過程で、お金の流れが事務所経由であるか、そうでないかという違いでしかない場合も少なくありません。

 また、今回は紙幅がなくなってしまいましたが、少なくともかつては「おひねり」「ご祝儀」といった形で、税務当局が把握する以外の形で、芸人が「おあし」を頂戴するケースは随所にありました。

 タニマチの宴席でゴッツァンになる取的(相撲取り)同様、マネジメントが介在する以外の経路で芸能人がスポンサーから利便を供されることは、むしろごく普通であったと言う方が正確なように思います。

 では、今回の「闇営業」がなぜ「闇」なのか?

 それはひとえに、その芸能人を呼びたい人たち、つまり金主、施主が、事務所に正規で仕事を依頼できない「闇」サイドの紳士だったから、ということではないのか?

「暴対法」成立以降、指定広域暴力団の構成員であることにはデメリットが多くなり、「闇」の活動は「現役のヤクザ」から「反グレ」と呼ばれる、組織には属さないが各種の犯罪を働く集団へとシフトしていきました。

 今回報じられる「闇営業」も、そうした犯罪者、つまり大型詐欺を働くグループとその関係者の宴席であったと報じられています。

「闇営業」の「闇」とは、事務所に隠れて行う営業という意味での「闇」以上に、表立って事務所の経理を通すわけにはいかない、「闇社会」との付き合い、もっと言えば「闇社会のアガリ」からギャラを貰う可能性が高い、二重の闇だから、というのが実のところではないかと思います。

 昨今の、芸という芸を持つわけでもない、露出と知名度と宴会芸の気配り程度のことで仕事を回し合っているタレントのあっせん業に関して、表で受けることができない「顧客」からのお座敷を、それと知って仲介したり、それと知って仲介されたりしたことが、つまるところ一番、問題となるでしょう。

 芸人は夜の街に繰り出すと、様々な金銭のやり取りがあるものです。親分芸人が子分に「お小遣い」を渡すこともあるでしょう。よく考えるとこれも、税務当局が把握しないお金の流れにほかなりません。

 ひいき筋からおひねりをいただくことだって、決してなくなったわけではないと思います。そう言う意味での「ブラックマネー」の問題は、また別途取り扱いたいと思います。

 ちなみに、芸能人が本など書く場合、実際にはタレントは語り下ろしなどすればいい方で、基本はゴーストライターが原稿を作ります。

 でも本が売れれば、一定の割合の「印税」は発生し、これは事務所に入るとは限らず、個人の口座に直接振り込まれることが普通にあるはずです。

 こちらは「ブラック」ではなく、きちんと課税されますから、手続きとしてもまことに自然です。「直営業」的な金銭の出納そのものは、必ずしも常に問題になるわけではない。

 ですから、「芸能人」の収入の途を、すべて「事務所」が管理し尽くしているかのような報道のされ方も、率直に言って私には相当気持ちの悪いものに思われたのです。

(つづく)

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