野田彩子『ダブル』(ヒーローズ)を読みながら、運命について考えていた。

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 お互いがお互いの人生を変えた関係を仮に「運命」と呼ぶなら、鴨島友仁(かもしま・ゆうじん)と宝田多家良(たからだ・たから)は間違いなく「運命」の2人だ。今作の主人公となる2人は役者であり、無二の友人でもある。

 このように並列で書くと、2人がいつも並び立って対等に切磋琢磨してきたかのような印象を受けるが、実情としてはもう少し危うく、アンバランスであった。なぜかといえば、多家良が天才だったからである。

 多家良は友仁の舞台を見て演劇の世界に飛び込んだ。多家良を指導し、演劇論を教え始めた友仁は、すぐに多家良の才能に気が付く。こいつは格が違う。多家良が演じているのは「作品の中の数分間」ではなく、「生まれてから今まで、数えきれないほどの経験をし、数えきれないほどの景色を見てきた一人の人間が、物語に立ち会う数分間」だったのだ。

 そして多家良はいつも、友仁を裏切った。2人で考えた演技プランを、必ず最後に多家良が舞台上でふっと変更する。その裏切りこそが演技を完成させる最後の1ピースであり、友仁は客席で初めて「完成形」を見るのである。友仁は多家良の演技が極まるとき、いつも隣にいない。多家良はへらっと笑って「友仁さんがやった方がよかった」などと言い、この先もずっと二人三脚でいられると信じているのだろうが、友仁はそうは思っていない。

 「多家良の芝居は俺を裏切ることで完成する」「絶望が 裏切りが 多家良を輝かせる」「多家良は 世界一の役者に なるだろう」……友仁は噛みしめている。多家良の光に焼かれながら、自分にしかわからない絶望を。

 絶望した友仁は、どうしたか? 演劇をやめることを考えた? 「俺とあいつは違う」と逆張りに走り始めた? いや、どちらも違う。

 かわりに多家良の汚れた部屋を掃除し始めた。多家良のスケジュールを管理し始めた。文字の脚本では覚えられない多家良のために台本の読み聞かせを始めた。多家良が別のオファーで出席できなくなった稽古に、代役として参加するようになった。「俺はあいつになんでもしてやろうと決めた」……裏表紙に書かれたこの文言に象徴されているように、友仁は多家良を献身的に支え始めたのだ。自分が打ちのめされた多家良の才能を、世界に知らしめるために。

●多家良のスターダム、友仁の決意

 願いは少しずつ叶い始める。ある日、多家良にある芸能事務所から声がかかった。朝起こすのも、現場への付き添いも、これからは友仁ではなく冷田さんというマネージャーがやってくれるのだという。「売れたいとかそんなに思わない」「友仁さんがやってくれるから困らない」と渋る多家良に、友仁は強い口調で契約を交わすよう背中を押した。友仁は「ただ俺は多家良に世界一の役者になってほしいだけです」と言う。偽りのない本心だ。目標のためには必ず事務所が必要になる。

 それでも心臓は痛かった。友仁は、本当は2人で並び立ちたかったのだ。舞台の上で、2人の「世界一の役者」として、対等に。この願いを捨てずに生きるためには、多家良の手を離さねばならなかった。友仁もどうしようもなく、役者であることをやめられない。スターダムを駆け上がるであろう多家良を、友仁は1人見送ることに決めた。

 役者として生きることと多家良に寄り添うことの矛盾に気が付いている友仁と、いまだに友仁を「目標」と呼び、友仁に素直で深い信愛を寄せ続ける多家良。この2人こそが、「ダブル」である。全ては危ういバランスで成り立っている。友仁が口にすることを避けた何かが、多家良が気づかねばならなかった何かが、最初から存在していた関係のひずみにふっと力をかける。これがどうしようもなく、悲しくて寂しくて不安で、それでいていとおしい。

 小さな劇場で身を寄せ合って笑いながら暮らしてきた2人の「これまで」と、やがて大きな成功につながっているとわかる道が1筋だけ光る「これから」が浮かび上がってくる。残酷な岐路だ。これから2人は、どこかで離別を迎えるのだろう。ずっと組んできた肩を、どんなふうにほどくのか。読者は友仁と多家良の選択を覚悟を持って見届けるよう、静かに迫られる。

●野田彩子作品の魅力

 作者の野田彩子は、「新井煮干し子」名義でボーイズラブジャンルでも活躍してきた作家である。

 恋人にしてスーパーモデルの「ジョゼ」を信仰するイラストレーター「天羽」の孤独と、天羽の愛情を正面から受けたいと感じているジョゼの孤独が不意に開放される『渾名をくれ』(祥伝社)、誰かに向き合ってもらえている実感が得られずにわざと悪意で人を振り回そうとする美少年と、彼に一目ぼれをしてまっすぐに愛を渡そうとするクラスメイトとの青い恋愛を追った『GATAPISHI』(祥伝社)など、これまでも奇妙に絡み合う「2人の関係性」を描く名作を世に送り出してきた。

 その手腕において特筆すべきなのは、登場人物ひとりひとりが独自の論理で生きていることが徹底して練られている点ではないかと思う。「2人の関係性」の魅力を最大限に引き出しているのが、キャラクターを「1人の人間」として描く力なのだ。それこそ多家良の演技のように、ただこの漫画で描くために2人の人間を作り出したのではなく、この世のどこかで生きている2人の人間を漫画に落とし込んだのだと思わされるほどに、その人物描写はマンガの枠外にある人生まで想像させる。

 例えば事務所との契約の最中に「玄関」という言葉を耳にした多家良は、そこから自宅の鍵について連想して「友仁さん鍵返して」と唐突に告げる。友仁はそれに対して、多家良の連想を瞬時に理解したうえで「今ゆーな」と叱った。あるいは飲み会の場面で、多家良がひじを動かしたために下に落ちたわりばしを、友仁は何も言わずに拾い上げて机に戻す。

 多家良という才能の塊の残酷さを一身に浴び、引き裂かれる己を認識する一方で、多家良のことを素直にいつくしんでいる……「役者人生」という大きなうねりの内側にある些細な日常の機微、暮らしの中で染みついた行動原理が、ここに垣間見えるのである。

 繰り返すが、きっと2人はどこかで違う道に行くはずだ。しかし読者はその分岐点ばかりに集中すべきではない。重要なのは選択に至るまでに積み重なった2人の生活であり、あまりにもいとおしい人間の暮らしである。カレンダーに予定を書くとか、カレーの匂いに喜ぶとか、そういった1つ1つの感覚は、人生の岐路と同等に尊い。

 『ダブル』は6月14日に単行本第1巻が発売されており、現在「ふらっとヒーローズ」で連載中だ。1人でも多くの人が2人の行く先と足取りを目撃することを、心から願ってやまない。

ねとらぼGirlSide/不義浦)

野田彩子『ダブル』は、役者の絆と確執を描く名作です!