下町ロケット』で吉川晃司が白髪ブームを起こして以来、街では白髪を染めない男性が激増。女性でも昨年、近藤サトがグレイヘアを披露し、話題になった。

JBpressですべての写真や図表を見る

 美魔女ブームが去り、化粧品のCMからは嘘のように「アンチエイジング」の言葉が消えた。実際に「若く見えること=美しい」という考えが改まったかどうかはわからない。それでも少しずつだが、日本にも変化が訪れつつある。

むくんだ髭面の香取慎吾

 老いることは悪なのか。日本では特にその傾向が強いように思える。「奇跡のアラサー(アラフィフ、アラフォーでも可)」とされる人物が続々、登場し、「実年齢に見えない」と崇められる。よく引き合いに出されるのはフランスだ。チーズやワインといった時間が経つことで味に深みの出る熟成文化を愛する彼らは、年を重ねた成熟した女性の方が好ましいという。日本にもフランスにもいろんな趣味の人がいるので、一概には言えないが、もし日本だったら、マクロン大統領と夫人はあんなに受け入れられただろうか。世界では大ロマンスとして語られている二人のエピソードも日本だったら「マニアック」扱いされて、選挙に影響が出てしまうのではと余計なお世話ながら気になってしまう。

 そんな偏った価値観を吹き飛ばす香取慎吾の衝撃的な姿を『凪待ち』で見た。

 人生に何の希望もなく、ただギャンブルで勝つ、その一瞬のためだけに生きている依存症の男。彼の喪失と再生を描いたヒューマンサスペンス。むくんだ髭面によれよれの服を羽織ったお世辞にもきれいといえない外見にはあの国民的アイドルグループの慎吾ちゃんの面影は微塵もない。

追い詰められ、自暴自棄になり、破滅の道を転がり落ちる

 ギャンブルに明け暮れ、無為に過ごしていた郁男は恋人の亜弓と彼女の娘とともに亜弓の故郷、石巻に移り住む。そこでは亜弓の父が末期がんであるにも関わらず、いまだ漁師をして暮らしていた。心を入れ替え、仕事も真面目にこなしていた郁男。それでも、ギャンブルへの誘惑は耐えがたい。鬱積していくフラストレーション。ある夜、些細なことで亜弓と口論になった郁男は彼女を人気のない場所に置き去りにしてしまい、その結果、亜弓は遺体となって発見される。後悔してもしきれないうえ、周囲から疑いの目を向けられ、追い詰められていく郁男。孤立した彼は自暴自棄となり、破滅への道を転がり落ちていく・・・。

 こんなに「怖い」香取慎吾を見たことがあったろうか。ギャンブルとはこうも人の面相を変えてしまうものなのか。賭けている時の目だけがぎらぎらと光っている鬼のような顔つき。それ以外の時の死んだような表情。俳優、香取慎吾の才能をここのところすっかり忘れていた。慎吾ママや孫悟空ハットリくん、両さんといったキャラクターの演技が印象的な香取だが、大河ドラマ「新撰組」をはじめ、数々の名作で心に残る演技を見せており、役者としての評価はむしろ高い。

 あのグループで最年少だった彼ももう42歳。等身大の役柄を演じるなら、おっさんで正解。それでも年齢のような生々しいものを感じさせないのがアイドルの務め。これまでの彼だったら、決して見せなかった年相応の姿をさらすことで、男の色気がにじみ出る。

 監督は白石和彌。監督のもとではこれまで『彼女がその名を知らない鳥たち』の蒼井優、『孤狼の血』の松坂桃李など、さまざまな俳優が見せたことのない面を露にしてきた。ここまでやるのか。それらは彼らの役者としての決意が試される場でもあり、後戻りできないと覚悟を決めて見せるその演技の凄まじさは限界を超えている。

役者の人生に転機をもたらす白石和彌監督作品

 余談だが、私は蒼井優が白石和彌監督、そして『彼女がその名を知らない鳥たち』に遭遇していなかったら、まだ結婚していなかったろうと思うのだ。彼女にはこれまで何度も結婚の機会があったろう。それでも、真面目にキャリア優先でやってきた。いまじゃない。そんな彼女が『彼女~』に出演を果たした。その演技の秀逸さは誰の目にも明らかで、日本アカデミー賞最優秀主演女優賞ほか数々の大きな賞を彼女にもたらした。「もっともっと」と求めてきた彼女が「これだ!」という作品に会い、持てる全力を注ぎ、女優としての地位を確立した。満ち足りたタイミングでの出会いだったから、結婚だったのでは? と私は勝手に推測している。

 白石和彌監督の作品に出ることはそれほど演者のその後の人生に大きな影響を与える。監督曰く、「僕は何か一つでもいいから、俳優に普段とは違う新たなチャレンジをやらせようと思っています。最高なのは、その作品に出ることがそれぞれの役者人生のターニングポイントになることです」。

 今回、監督が引き出したのはこれまで誰も見たことのなかった「裏の香取慎吾」。

 かつてのグループの大きな看板を下ろした香取慎吾は飾ることなく、フラットに42歳の姿を露出してみせた。

「香取さんは自然体で衒いのない方なので、今後もおじさんやおじいちゃん役と年齢に応じた魅力が出てくると思います」と監督も太鼓判を押す。

 いまだ「若見せ」信奉の強い日本の芸能界で現役アイドルが投じた一石。裸一貫で再生しようと藻掻く郁男に、「新しい地図」で新たな一歩を踏み出そうとしている香取の決心が重なる。

 確かに若さは輝いている。でもそれは限られた一瞬の期間だから。無理に長引かせたり、作り上げようとしても不自然で歪でしかない。自然のありのままが何より素敵なことだと私たちは肌感で気づき始めている。アイドルだって飾らない時代。あなたは無駄な抵抗をしていないだろうか。

『凪待ち』

2019年6月28日より TOHOシネマズ日比谷ほかにて公開

配給:キノフィルムズ

キャスト
主演:香取慎吾、恒松祐里、西田尚美、吉澤健、音尾琢真リリー・フランキー

スタッフ
監督:白石和彌 脚本:加藤正人

©2018「凪待ち」FILM PARTNERS

[もっと知りたい!続けてお読みください →]  不器用な男と健気な女、「昭和の夫婦像」が滋味深い

[関連記事]

愛しくて切ない、壁崩壊後の東ドイツそれぞれの人生

岩合光昭が描いた「猫がこんなにも愛される理由」

©2018「凪待ち」FILM PARTNERS