前回は、「女性が一生働ける職場」を求めNHKへと入局したアナウンサー・山根基世氏が、どのような苦難に直面したかをお伝えした。組織や社会のなかで、立場や地位を求めようとしてもなかなか叶わない女性たち。後編では、中堅として力を発揮し始めた山根氏が、自分の「居場所」をどのようにして得ていったのかについて見ていく。1億総活躍社会を掲げる日本で可視化されない問題とは。(JBpress)

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(※)本稿は『日本の天井 時代を変えた「第一号」の女たち』(石井妙子著、角川書店)の一部を抜粋・再編集したものです。

「男社会の壁」と「組織の壁」

(前回)NHKに「女用のニュース」が用意されていた時代
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山根基世(やまねもとよ) 1948(昭和23)年生まれ。山口県出身。早稲田大学文学部卒業後、1971(昭和46)年、NHKにアナウンサーとして入局。報道、教養番組ほかを経て、「ラジオ深夜便」「NHKスペシャル・人体」「映像の世紀」等、大型シリーズのナレーションを多数担当。2005(平成17)年、女性初のアナウンス室長に就任。同年、紅白歌合戦の総合司会を担当。2007(平成19)年の退職後はフリーアナウンサーとして多方面で活躍する。

(文中敬称略)

 結婚後、山根が40代になるとテレビに出演する機会は減ったが、年齢を重ねて局内での立場は上がっていった。

「私は40歳ぐらいまで、自分がNHKという組織に属しているという自覚が、あまりなかった。どこまでも、『いちアナウンサー』だと考えていたものですから。ところが、40歳を過ぎると、社内的な地位が嫌でも上がる。その頃になって、私はようやく自分が組織に属している、組織の一員なのだという、当たり前の事実に気づくことになりました。それも鮮烈に」

 女性の番組制作部長から、山根は「働く女性をターゲットにした新番組を作りたいのでキャスターを務めて欲しい」と言われ、引き受けることになった。それが1991(平成3)年から2年間放送された「はんさむウーマン」である。

「働く女性を応援する」という視点で女性が抱える諸問題に正面から切り込んだ、今でもキャリアウーマンの間では語り草になっている番組だ。

 山根はキャスターを務めるだけでなく、制作の段階から「働く女のひとり」として内容にも関わることになった。だが、皮肉なことにこの働く女性向けの画期的な番組で、今までになく男社会の壁、組織の壁を知ることになるのだった。

考えられない発言に絶句

「働く女性を応援しよう、という趣旨の番組だったんですが、現場スタッフの大半が男性、1年目の制作責任者は私と同年、2年目は私より少し年下の男性チーフプロデューサーでした。2人とも『女性問題』にはほとんど関心がなく、『やっぱり女性は家にいるべきだよね』と本音を漏らすこともあり、私とはまるで考え方の違う人たちでした」

「たとえば、こんなことがありました。介護をテーマにした番組を作ろうという時です。まだ、介護保険は成立しておらず、当時は介護の負担が家庭の主婦ひとりに負わされていた時代でした。平均寿命が延びるなか、それはもう限界に達している、介護は社会全体で受け止めるべき課題ではないかと、会議で私が意見を述べていると、『そんなことを言っても俺のおふくろの面倒を俺の女房が見ないと言い出したら、どうするんだ』と。私は言葉がなかった」

 何を取り上げるか、どう取り上げるか。働く女性のひとりとして、思うことは溢(あふ)れるほどあったが、次第に会議で発言することができなくなっていった。山根が意見を言うと、大勢の中であからさまにバカにされたり、冷笑されるといったことが続いたのだから、今で言えばパワハラだろう。

 だが、山根がよりショックを受けたのは、他の人たちが単純に権力のある側に付いていってしまう、という現実を目の当たりにしたことだった。

「トップが明らかに理不尽な個人攻撃をしていても、皆、下を向いて黙り込んでいる。結局、トップが強い言い方をすると、大半の人はそれになびいてしまう。トップとは異なる自分の考えを述べたり、自分の良心に従って行動したりする人など、ごく稀(まれ)だと思い知りましたね」

「私がいま、子どもの言葉を育てる活動を行っているのも、この時の経験と無関係ではありません。小さな頃から自分の頭で考えて行動できるような、そういう大人になってもらいたい、という気持ちから、読書や朗読を通して子どもの教育に関わろうと思うようになったんです」

「それほど、この番組に携わった2年間というのは、私にとって大きかった。あんなに悩んで憤った日々はなかったけれど、逆に言えば、あの2年間があったからこそ、いろいろな気づきを得たんだと思う。その後、アナウンス室長になりますが、あの経験がなければ無理だったと思います。今だからこそ、そう思うわけで、当時は本当に胸から血が流れるような思いをたくさんしましたが」

「女性が組織の上に立つ」は想定外

 連日、夫に愚痴をぶちまけた。自分に適性がないと悩んで辞職を考えたことはあったが、組織の壁を感じて局を辞めようと思ったことは、それまでに一度もなかった。山根が初めて全身で体験した組織との闘いでもあった。

「『だいたい、アナウンサーなんて俺たちの言うとおりにやればいいんだよっ』とバカにするように言われたこともあった。私は、『ここで泣いたらいけない。ここで涙を見せたら負けだ』と思って耐えました。今日、局を辞めようか、明日には辞めようかと思う一方、『こんなことで負けて去っていいのか』とも」

「その時、思ったんです。きっと私と同じような体験をしている女性は、いっぱいいるはずだって。これは私だけの問題じゃないんじゃないか。同じように悩み、もがいている女性が世の中にはきっとたくさんいるんだろう、と」

 それからしばらくして、山根はアメリカでベストセラーとなった『ビジネス・ゲーム』という本を読み、思わず膝を打った。会社は軍隊と同じ仕組みで、トップの言うことは絶対である、そういった組織の仕組みを男性たちは小さな頃から野球やサッカーといった集団競技を通じて自然と学んでいく、と書かれてあったからだ。

「もっと早くに読んでいれば、私も余計な苦労をしないで済んだのにと思いました(笑)。組織は軍隊と一緒で命令系統がはっきりとある、上の言うことは絶対だ、とか、そんな当たり前のことも身に付いていなかったから。私ももちろん、ボーッとしすぎていたけれど、でも、雇う側の責任もあると思いました」

「というのも、会社側は、男性社員のことは入社時から、自分たちの後継者で、いつかこの会社を背負う人材だと思って組織人として育てていく。でも、女性社員のことは、いずれは辞めるものと思っているから、組織人としての教育をしようともしなかった。だから、私みたいな人間が生まれるわけです。40歳近くになっても組織の一員だという自覚のない人間が」

 女性がいつか組織の上に立って、部下を率いる立場になることを想定した研修は皆無だった。少なくとも山根が入局した頃までは。だが、男女雇用機会均等法ができ、女性を取り巻く環境は少しずつ変わっていった。ちょうど過渡期にあり、NHKの中でも女性の立場や働き方が変わりつつある、その先頭に山根は立たされていたのだった。

視聴者目線のコメント力が評価されて

 その後、山根は40代の半ばを過ぎて、チーフアナウンサー、さらにエグゼクティブアナウンサーとなった。仕事面ではナレーションの比重が増していった。NHKが総力をあげて取り組む番組に次々と指名されたのは、声質はもとより、コメント力が評価されたからであったろう。

 通常、番組に入れるコメント(ナレーション)はディレクターが原稿を書き、それをアナウンサーが読む。ただ、ディレクターによっては、アナウンサーに意見を求め、ともにナレーションを考える。山根は、この作業(コメントチェック)にとことん付き合った。

「コメントチェックをさせてくれるというのは、嬉しいことです。『NHKスペシャル・人体』という大型番組のシリーズでは、一日、コメントチェックの時間をチーフプロデューサーが設けてくれて、一緒にコメントを練り上げました」

「ディレクターが書いた原稿を見せてもらい、意味がわかりにくかったり、別の言い回しのほうがいいと感じた部分があったら、率直に、それを指摘する。それで話し合いながら、コメントを直していくんです。それをコメントチェックと言います」

「というのも、『人体』のシリーズに関わったディレクターたちは時間をかけて勉強して、専門家に近い知識を持っていましたから、彼らが書くコメントはどうしても専門的になりすぎてしまう。だから、アナウンサーの私は視聴者の代表として、真実を伝えるもっともわかりやすい表現を、彼らと一緒に探ったのです」

声と心はつながっている

「ただ、これはすべての番組で行うわけではありません。自分の書いた原稿は一言一句、変えられたくない、というディレクターもいますから。また、ニュース原稿はまず、絶対に変えちゃいけない、読むだけです」

「若い時、あまりにも原稿が男言葉の書き言葉で、これはどうかと思ったので、『ここを少しこう直して読んでもいいでしょうか』とうっかり口を滑らして、『貴様っ』と大声で怒鳴られたこともありました」

 山根はNHKの大型番組「映像の世紀」も担当しているが、これが、ナレーションの転機になった番組だという。

「あれは、もう一言一句、原稿を直していません。私は読んだだけです。それだけ完璧な原稿でした。体調が絶不調で声が出ない日に収録したことがあったのですが、気づけば椅子から腰を持ち上げて、全力で原稿を読み上げていた。出ないと思っていた声が出ていた。アメリカの人種差別に立ち向かう人々の活動を記録した映像に感動して、どうしても伝えたいという思いになったのです」

「昔、宇野重吉(うのじゅうきち)さんがNHKの研修所に来られて講義して下さったことがあったそうで、その時、宇野さんが『(声は)思えば出る』とおっしゃったと先輩から聞いたことがあるのですが、まさに声と心はつながっているんだと、実感した仕事でした」

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