― 連載「ドン・キホーテピアス」<文/鴻上尚史> ―

不審者情報の収集にエネルギーを注ぐより大切だと思うこと

 川崎市の路上で起きた事件(※)は、とても痛ましいものでした。
 二度と起きてほしくないし、起きないために何ができるんだろうかと考えます。

(※5月28日川崎市登戸で、スクールバスを待つ小学生を刃物を持った男が襲い、2人が死亡し18人が負傷した。男は自ら首を刺し、死亡した)

 ニュースでは、いろんな県の教育委員会が、「通学時の児童や生徒の安全確保を徹底するよう通知」したと報道されています。

「各市町村の教育委員会に児童や生徒が通学する際の安全確保について、防犯態勢の見直しや警察との連携強化、不審者情報の収集や共有を進めるよう」にという内容です。

 でもね、いきなり包丁を持って無言で現れる人間に対して、どんな防犯態勢が取れるんだろうかと、猛烈に疑問に思うのです。

 全国の通学では、集団で登校することが一般的だし、辻々には、大人が黄色い旗を持って立っています。

 川崎市の場合でも、教頭先生はちゃんとバスのそばにいました。

 現実的に考えて、これ以上、防犯態勢を強化するなら、すべての通学に警察官が立ち会うしかないと思います。でもそれは不可能でしょう。

「警察との連携強化」というのも、今まで以上に何を連携強化するのか、よく分かりません。

 なので、この通達は、「とりあえず、具体的な提案はないけど、形だけでも通達しておこう」という感じがものすごくするのです。

 ただひとつ、具体的なことは、後半の「不審者情報の収集や共有を進める」ということです。

 でも、「どこそこの家庭には、何十年も引きこもっている人がいる」だの「あそこの家の息子は、ヒステリックに隣家に難癖をつけている」なんて情報を、さらに集めてもたいした意味はないんじゃないかと、僕は思うのです。

 だって、「あそこの息子は、近隣住民を激しく罵っていた。これは何か危険アクションを起こす可能性がある」と言っても、それだけで警察官が始終、監視することはできないわけです。

◆病むことは特別なことではない

 じゃあ、どうすればいいのかというと、ここからは、僕は門外漢なので、あまりちゃんと言えないんだけど、「不審者情報の収集や共有」に公的機関がエネルギーを注ぐのではなく、「精神を病んだり、障害を持っている人達に対しての支援」を充実することが一番、大切なんじゃないかと思うのです。

 僕は、今、某連載で『ほがらか人生相談』というのをやっているのですが、そこに、「妹があきらかに鬱病と思われるのに、両親は、精神科の病院に通ったら世間体が悪くなるという理由で、ずっと家に閉じ込めている」という状態を嘆く兄からの相談がありました。

 日本では、未だに、精神科の病院に通うことや、身内を通わせること、行政の公的支援を受けることをためらう風潮があります。

 精神を病むことは特別なことではありません。それは、病気です。病気になれば、病院に行くものです。

◆未だにある「精神科に行く」ことへの抵抗感

 鬱病は、「精神の骨折」だという言い方があって、骨折を病院に行かないで直すのは変です。でも、特に田舎では、病院に行くことが変だと思われているのです。未だにです。『ほがらか人生相談』では、38歳の兄に、35歳の妹を、すぐに病院に連れて行った方がいいとアドバイスしました。

 なぜなら、そのままの状態では回復は期待できないからです。鬱状態になった妹に、両親は否定的な言葉をかけることはあっても、受け入れたり、肯定的な発言をしていません。

 そのまま、30年ほどたてば、両親は死にます。そして、状態がもっと悪化した妹が兄に残されるのです。

「病院に連れていくのなら、他県の病院に行け」と世間体を気にする親は30年後には死んでいるのです。自分の発言の責任を取ることもなく。

 ツイッターで「病院へ」と書いたら、「3分話して、すぐに薬というクリニックばかり」という否定的なツイートがありました。そういうお医者さんもいるでしょう。でも、ちゃんと話を聞いてくれる人もいます。

 すぐに薬になるのは、医者の性格というより、圧倒的な医者不足と超過勤務の結果です。

 公的機関が出すべき通達は、「家族の精神が病んでいたら、ぜひ、積極的に行政に相談を」ということだし、国家が取り組むのは、これからの精神科治療の充分な環境作りだと思うのです。