前回の記事、非常に多くの方に読んでいただけたのは、ちょうどその日、「闇営業」問題で取り沙汰されていた「芸人」たちが所属事務所から謹慎処分を受けたのと重なったからではないかと思っています。

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 さて、この「芸人」という言葉ですが、「芸能人」から「能」の字が取れるとこの形になりますね。

 今回の「闇営業」問題ですが、「芸能人」から「能」がなくなって悪い意味での「芸人」と化したことが、大きな理由の一つになっているのではないかと私は考えています。

 このように「芸能人」が「<能>なし」になって、今日のような「芸人」化したことには、構造的な背景が存在します。

闇営業」問題を、もう少し深堀りしてみましょう。

テレビが生み出した「無<能>」芸人

 先に結論を言ってしまえば、メディアが芸人を無能化したと断言してよいと思います。少なくともその端緒を与えたのはテレビでした。

 ラジオでは、こんなことは起きなかった。いったい、何が違うのか?

 亡くなった落語家立川談志は、生前

テレビは素人を映すのが一番おもしれぇから」

 と断言していました。彼は民放のお化け番組「笑点」を発想した張本人で、物事をよく見ていたと思います。

 私もお化け番組の一つ「題名のない音楽会」を四半世紀前には数年支えましたので、「笑点」の長短はいろいろ検討しましたが、談志元来の発想はつくづく秀逸だったと思います。

 談志は、出てきたばかりのテレビというメディアをよく観察していたと思います。

 初期のテレビは大半が生放送VTRなどという優れものは高価で限られたタイミングでしか使われず、かつ同じフィルムに何度も上書きしたため、草創期の伝説的な番組が残っていないケースが多いのは周知のことかと思います。

 そういう中で、予定されていたプログラムが演じられることよりも、生放送ならではのドタバタや、打ち合わせ不足による勘違いなど、アクシデントの方が視聴者に受けることを、談志は敏感に察知していました。

 VTRが普及して以降のテレビでは、例えば「どっきりカメラ」がバカ受けしていました。

 昔の「どっきり」がときおりユーチューブなどに出ていることがあります。

 今日では絶対にできないような、きわどいダマしを一般人に対しても実施するケースが少なくなく、本気で怒ってしまった「被害者」、より大きな問題に発展したようなものもあった。

 テレビというのは素人が予想のつかないことをするのが面白い・・・それと子供と動物。

 こういうものが、従来の型に嵌らない失敗などをヤラカスのが、テレビ視聴者には最も受けるという冷徹な事実を、談志は鋭く見抜きます。

「笑点」は「大喜利」という従来の寄席であれば番外の添え物のような余興芸をレギュラーに据えた異色の構成が正解となったものです。

 視聴者は一方で、知った顔やお馴染みを好みます。また他方で、そこそこの範囲で予想外ハプニングを喜びます。

 お馴染メンバーの面々が、予想の範囲といいながら、時折予想外ハプニングを引き起こす「大喜利」は、1960年代のテレビ視聴者ヒットするとともに日曜夕方家庭団欒の一アイテムとしてアニメサザエさん」などとともに定着、「国民的番組」に化けて今日に至っています。談志の慧眼は正解でした。

 今日、画面などに登場する「芸人」は、立川談志が言う意味での「素人」であれば十分なのです。何か唖然とするような、プロフェッショナルならではの見事な芸などは要りません。

 極論するなら、どんな手ひどい「どっきりカメラ」を仕かけても法廷闘争などにならない素人が、適宜、予想の範囲を大きく超えない範囲でハプニングを起こせば、オンエアの時間はそれなりに埋まり数字(視聴率の)もそこそこ取れる。

 誰も真似のできないような「鮮やかな芸」は、時折「マレビト」がやればよい。

 しかもそれは、歌謡や曲芸のような芸事よりも、一定のアクシデントを含む「スポーツ」での妙技を見ることができれば十分。

 かつアスリートはトークともなればそのものずばりの「素人ぶり」をいかんなく発揮してくれますので、そういうパイによる、どうということのない、でも数字は取れるコンテンツが作れれば万々歳、という構造がこのあたりで出来上がった。

 テレビの露出は「スポーツ芸能」があればいい。

 この原則が一度成立してしまったら、古典的な芸などレギュラーで入り込む余地はなくなってしまいます。

 ちなみに正直私は後期の彼の芸風にお金を払おうという気が起きませんでした。何千円だか払って巨大なホールで聞いた「芝浜」があまりにひどかったので、買う気がしなくなったというものですが・・・。

 談志自身の後半生の芸風がまさに「素人」を演じようとしていたんですね。

 名人芸と言われるようなものは、あえて(のつもりなのでしょうが)ほとんどやらなくなり、どうでもいい時事放談などで枕の大半を使うスタイルに変わってしまいました。

 真打に上がる以前の「柳家小ゑん」時代の録画や、寄席の鳴り物など古典を血肉化している若き日の談志を見ると、切れ味の鋭さ、素晴らしさに唖然とさせられます。

 あのまま行けば名人だった。それをわざとやめてしまった。

 一度関西で、談志が上方落語桂枝雀を評して「枝雀も昔のままなら名人だったのに」と言ったのを、同席した上岡龍太郎が、末席にいた枝雀の弟子、桂べかこ(現・南光)を引っ張り出して、「べかやんこんなんどう思う?」と、なかなか意地の悪い質問をしたそうです。

 ここで桂べかこ、「ほたら言わせていただきますが、談志師匠のほうが昔のままで行けば名人やったと思います。考えすぎとちゃいますか?」とズバッと突っ込んだそうです。

 この話を聞いていた談志の弟子、立川志の輔が「よくぞ言ってくれました」と応じていて面白かった。

談志:「名人じゃ食えないんだよお」とのリアクション。そこでべかこすかさず

「ほたら私が食わせまんがな」すごい胆力の応じ方ですね。談志感極まって

「上方にもいいやつがいるんだなぁ・・・」と力強く握手したというのですが・・・。

 つまり、自分の身に着けた芸をあえて捨て、素人と同じラインで別の仕事をしようとして、結局できなかったということではないかと思います。

 談志という人は生涯ついぞ、新作落語というものを演じなかった。

 根は非常に良質な古典を血肉化させていた人が、時代を見すぎて、生き残りはしたけれど、名人として芸の大成には自ら背を向けた・・・そんな人生だったのではないかと思います。

 思わず談志談義が長くなりましたが、つまり、テレビで「玄人」はスポットで使えばよく、タレントとして生き残るには、視聴者から近親感を持たれる程度に「普通の人」の横顔を見せることがポイントです。

 キャラの立った「素人」の喜怒哀楽を接写で見せることが、ファン獲得の黄金律であることを見抜いてしまった慧眼が、談志の悲劇だったように感じます。

閑話休題

 1970年代以降、プロらしいプロはメディア現場で急速に必要なくなっていきます。そんな傾向を一挙に加速したのが、1982年の「吉本総合芸能学院」の創設でした。

「師弟関係」は不要

 今回謹慎処分を受けた「芸人」の筆頭格も吉本総合芸能学院、通称NSCの出身者でした。

 学校を卒業、あるいは中退であっても売れれば関係ないようですが、芸人として事務所と契約したり、あるいは契約停止されたりしながら「先輩後輩」の序列の中に組み込まれます。

 しかし、特定の「師匠」を持つことは原則ない。

 これは同じお笑いでも落語と対照すると著しい違いがあります。上方で考えれば、例えば米朝一門。芸歴が30年になろうと、40年になろうと、桂ざこばは生前の米朝師匠に基礎的な指摘を受け、謙虚に神妙に聞いている。

 古典という型・規範があると、こういう「芸」の「能」を生涯磨き続けることになります。

 エンタツ・アチャコ以来の大阪しゃべくり漫才にはそういう規範はなかったけれど、往年の漫才師、コメディアンには売れる売れないと別に、貫く信条のようなものがあったのをよく耳にします。

 例えば横山エンタツの実子で新喜劇の看板、故・花紀京は声色のようなものを極力避け、話そのものの力で笑わせようとしたと聞きますし、それと真逆にあらゆる声の色を駆使する万華鏡のような中田ダイマルの芸もある。私はいずれも大好きです。

 で、そういう芸のニーズが加速度的に減ってしまった。

 1980年代の「漫才ブーム」で頂点を極めたコンビは軒並み解散、売れた片方がバラエティの総帥となるといったパターンが関西でも関東でも見られました(ツービート、紳助竜介)。

 かつての芸人は「芸」をするとき、元締めなり席亭なりとの契約が生きました。

 寄席の高座に上がる、テレビラジオの番組に出て、本来の持ち芸を演じる際には、事務所を通すギャラが発生した。

 でも、ご贔屓筋やパトロンの宴席に呼ばれてお流れを頂戴し、ある種の幇間(ほうかん=たいこもち)を演じる場合、そこでおひねりなりご祝儀を貰っても、事務所がどうこう、というような話にはなりようがなかった。

 もちろん「幇間」が正業で、芸妓同様に登楼して旦那のご機嫌を伺う、というような際には、マネジメントが入ってカスリを取っていったことでしょう。それがシノギというものです。

 これが本業、というケジメがあれば、そういう白黒ははっきりつけられた。

 翻って、今日の「事務所」は、というと、ほとんど「コンパニオン派遣」と変わらない業態に変質しているのではないでしょうか?

 もちろん会社により、また契約によりまちまちと思いますが、基本、どの芸をしたとかしないとか、そんなこと関係なく、拘束時間などでスケジュールを管理、出納も管理する。

 その代わり納税など通常の経理業務も行うといったマネジメントが、増えているのではないかと思います。

 早い話、ご贔屓筋の忘年会に芸能人が呼ばれ、そこでご機嫌を伺い、カラオケなど披露しても、かつての「芸」の考え方では事務所を通すような話にはなりにくかった。

 それが「闇営業」と呼ばれる程度にまで、いかなる「芸」を演じるかは全く問われなくなってしまった。

 誰が、どこに、何時間拘束されているか、人気者がその場にいる、ということだけで金銭が発生する、完全なる芸の空疎化、マネジメントの変化を指摘せねばならないように思われます。

 あえて言うなら一芸を磨いて舞台に上がる存在から、時間拘束で管理される「コンパニオン」の派遣と、大差ないと言って過言でないように思います。

 ピアニストはピアノを弾く際にギャラが発生し、パーティ参加でギャラは取りません。

 ピアノを弾こうが弾くまいが、時間あたりで上前が撥ねられれば、その方がビジネスとしては効率がいい。で、水は低きに流れる。

 無内容でも数字が動けば中身は空疎となり、やがてへりから腐り始める。すべてある意味、必然の展開であると言っていいように思います。

[もっと知りたい!続けてお読みください →]  芸能界「闇営業」が「闇」と言われる理由

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立川談志の柳家小ゑん時代(1959年6月6日、当時23歳)(ウィキペディアより)