txt:林永子 構成:編集部

連載にあたってのご挨拶

1998年の初冬、映像制作会社に入社したばかりの私は、国民的スターSPEEDベストアルバムMOMENT」のTV-SPOT撮影現場に紛れ込んでいた。それが、後に日本のミュージックビデオ(以下、MV)作品および作者について専門的に記録する「MVライター」となる私が、初めて足を踏み入れた音楽映像制作の現場だった。

武蔵野美術大学の映像学科卒業ということもあり映像制作の工程については、一応の理解はある。しかしプロフェッショナルな現場を目の当たりにしたのは初めての体験で、その臨場感には圧倒されたものだ。以降も、様々な音楽映像の現場に出向き、限られた時間、予算、条件内で、期待以上の成果をあげるプロの仕事を目撃した。

チームワークで作られていく作品の仕上がりはもちろん、きびきびと働くスタッフや、ディレクター以下各エキスパートが「現場で何をしているのか」、工程および人間たちの能力に強い好奇心を抱いた。数年後、私は「MVの現場で、誰が、何をしているのか」を専門的に記すライターとなった。

20年積み上げたMV史を振り返ってみる

思えば遠くへ来たものだ。気がついたら1998年から20年以上も経っていた。その間、私が超近視的に目撃し、体験してきた日本のMV史について、この場を借りて連載コラムとして記してみたい(全12回予定)。というのも、雑誌やムックのMV特集にて個別に日本のMVの歴史に触れることは折々あっても(例:「メディア芸術アーカイブス アート&エンターテインメントの15年史」(2012年発行 ビー・エヌ・エヌ新社) MV項を当方が執筆)、黎明期から現在までを包括的に網羅する記録は見当たらない。だから、書いてみようと思う。

そもそも、MVライターになった動機のひとつが「記録者がいないから」だった。当時のMV界には制作当時者がいるのみで、音楽業界における音楽ライターや芸術界隈の評論家などその文化を専門的かつ客観的に記録したり、論じたりする第三者が不在だった。音楽やポップカルチャーに精通した識者によるMV論評や、広告専門誌での記事掲載はあっても、MVの制作現場で「誰が、何をしているのか」を明記する文書は希少だった。私自身、それを知りたかったし、あればMV界がより活性化すると考えた。「じゃあ、それ、私がやる」と勝手に名乗りを上げた。2002年、28歳の頃だった。

その後、映像制作者同士が交流する場所や機会がない、情報交換をもっとした方がいいという意見を多くの映像制作者から聞き、「よし、やるか」と勢いでサロンイベントスナック永子」を、体を張って開催(2005年2013年 西麻布スーパーデラックスにて)。「ママ」と呼ばれ、日夜を疾走した。

レコード会社がYouTube公式チャンネルを開設する以前には、インターネット上での音楽権利の取り扱いへの懸念により、映像クリエイターが自ら手がけたMVを自らのHPに動画掲載できない状況に陥った。世界のデジタルフィルムフェスティバルで賞賛を浴びたMVも、インターネット上で閲覧できない。

できた方がいい。「OK、やってみよう」というわけで、日本初監督別MVストリーミングサイトTOKYO VIDEO MAGAZINE VIS」を株式会社ライトニング佐藤武司氏とともに開設。レコード会社の法務部とも有意義な議論をしつつ、約30名の監督のMV作品(45秒)を多数紹介した。

あった方がいいのに、ない。だから、作る。と書くといかにも簡単だが、0から1を生む活動には多大なる労力が要る。多くの方々のご協力にも恵まれたおかげで、日本の素晴らしい映像文化を応援させていただく様々な機会を得ることができた。

そろそろミュージックビデオを総括してみたい

今回の[ナガコが見た!ミュージックビデオ日本史]は、企画当初、私視点の体験談ではなく、年表中心に事実を俯瞰で列記するような書籍を作ろうと目論んでいたのだが、扱わなければならないトピックスが多すぎてなかなか整理しきれない。

なにしろMVは、音楽産業の売り上げ推移や映像制作機器の変遷、テレビからPC・スマートフォンへ移行したインフラ事情などなど、多岐にわたる時代背景の影響を受けてきた。また、私の視点は映像制作者サイドに偏りすぎていて、MVの権利を所有するレコード会社やミュージシャンへの配慮を欠いている懸念もある。関係各位と事実関係を公正に擦り合わせるとなると、膨大な時間が必要となる。ならば、ひとまずは私視点の記憶や経験談をここにまとめさせていただき、いずれ書籍化する際の骨子としようと画策した次第だ。

もとよりMV、プロモーションビデオ(PV)、ビデオクリップなどと呼ばれるこの音楽映像コンテンツは、端的に一言で定義できない複雑なコンテンツである。楽曲およびミュージシャンの販売促進ツール=「広告」であると同時に、視聴覚信号を巧みに紡いだ「作品」でもある。また、若手映像作家・ディレクターたちの実験の場、才気煥発ぶりをうかがえるキャンバスとしての価値をMVに見出す向きもある。

実制作においては、レコード会社やミュージシャンの意向、キャリア、プロモーションプラン、楽曲のテーマ、話題性、予算、スケジュール大人の事情などなど、様々な意図を汲み、ますます意義は複雑化する。そこに映像制作者のアイデアや現実的な判断も加わり、目的も趣も個々に異なる多様な映像成果物が有機的に誕生。それらが同じMVと呼ばれる土俵に点在している。カオスである。

その差異もカオスもMVのチャームポイントである。いかなるニーズにも優劣はない。が、低予算で高品質を求められるうえに、詰め込み型のスケジュールを要請される制作環境は健全とはいえず、多くの制作者が疲弊した事実については手放しに許容しかねる。映像機器の低額化によって若手クリエイターたちが参入しやすくなり、秀逸なMV作品が数多く誕生する一方で、予算が底値を突き、クリエイターへの対価や人件費の概念が蔑ろにされる功罪も生まれた。

そんなMVを私は常々「事情の産物」と呼んでいるのだが、肝心の事情について赤裸々に書くと全方位より怒られそうなので、さあ、どう書こうか。どこまで書こうか。次回以降は1980年から時系列で記す予定だが、トピックが多いので駆け足の説明に止めるのか。有限のコラムのスペースの中で、私がどんなトピックを選ぶのかも含めて、みなさま、本連載をどうか生暖かい目で見届けていただきたい。

[ナガコが見た!ミュージックビデオ日本史]Vol.01 日本のミュージックビデオ史を整理してみよう