かつて「恩赦」によって減刑され、処刑台から娑婆に舞い戻った死刑囚がいた。新天皇即位に伴う今回の恩赦でも死刑囚の恩赦が実施されるのだろうか。そもそも恩赦は国民の支持、共感を得られる制度なのか? ノンフィクション作家、斎藤充功氏が、恩赦の抱える問題点と課題に迫る。(JBpress)

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※本稿は『恩赦と死刑囚』(斎藤 充功著、洋泉社)の一部を抜粋・編集したものです。

「恩赦」の実施は既定路線

 天皇即位は「国家の慶事」であり、退位と同じく国民の関心は高い。政府は当然、過去の例に倣って「恩赦」を実施することになるだろう。

 恩赦とは、何か――「広辞苑』(岩後書店)では次のように説明されている。

 行政権によって犯罪者に対して刑罰権の全部または一部を消滅させる処分。(中略)多くは国家的慶事の際に行われる。

 戦後の恩赦は「天皇大権」ではなく、1948年(昭和22)3月に法律で告示された「恩赦法」(平成25年6月19日改正)に基づく大教、特救、減刑、刑の執行免除、復権の措置である。旧帝国憲法下では、1945年(昭和20)10月17日、戦後第1回目の「第2次大戦終局」に際して恩赦が実施されている。2回目は日本国憲法公布に際して、1946年(昭和21)11月3日に実施された「日本国憲法公布」恩赦である。

 以来、今日まで12回の恩赦が実施され、今上陛下の退位に際して「恩赦」が実施されれば、戦後13回目の恩赦ということになる。さらに過去の例に鑑みれば、新天皇即位に際しての「恩赦」の実施も既定路線といえるだろう。

「死刑囚」の減刑令は実施されるのか

 2017年10月現在、確定死刑囚は124人が拘置所に収監されている。

 1945年以降、死刑が確定したケースは72年間で832人(統計の取り方で数字が異なっているが、本書『恩赦と死刑囚』では『伝統と現代』誌と矯正統計年報の数字を参照)おり、716人(獄中死は除く)が執行されている。

 恩赦によって、死刑から無期懲役へと減刑され、外に出た死刑囚が存在する――いわば、処刑台から生還した者たちが存在するのだ。

 1993年(平成5)6月9日の「徳仁皇太子御結婚」恩赦以降、21世紀になってから「恩赦」は実施されていない。次の恩赦は「天皇退位」と「新天皇即位」で実施されることは決まっているが、このふたつの恩赦で、はたして「死刑囚」の減刑令は実施されるのだろうか? 対象刑罰の選定作業は、すでに中央更生保護審査会で具体的に進められているようだ。

恩赦の運用とその問題点

 平成29年秋の叙勲で、瑞宝重光章(ずいほうじゅうこうしょう)を授与された、元福岡高検検事長で弁護士の栃木庄太郎を彼の自宅で取材した。趣旨は「恩赦の運用と問題点」についてである。

 栃木は検察官時代に法務省保護局の恩赦課長を経験していた。

「私が、恩赦と直接関わる仕事をしたのは、事務方として中更審(中央更生保護審査会)の仕事をしたときですから、もう、20年以上も昔のことです。今とは時代が違いますから、私が現在の恩赦の運用について語ることは難しいですし、知識不足です。

 それよりも、恩赦制度については、法律家の意見としては三権分立の原則において、司法が決定した量刑に対して、行政府が減免するということが、正しいのかどうかという点があるかと思います。現行憲法下では内閣が恩赦の決定権をもっていますね。それでも、憲法と法律で定められている恩赦ですから、当然のことながら慎重に運用されなければなりません。もちろん、恩赦制度には問題がないとは思っていません。それと、恩赦には歴史的な側面もあると思います」

『法律のひろば』(平成元年4月号)で、法学者・宮澤浩一(故人)は、昭和天皇崩御恩赦に際して、「恩赦制度再考」と題した論考で次のように述べている。

 今日のように、法制度も整備され、刑事裁判の運用がソフトになっている時代には、法制度の一大例外ともいうべき恩赦を多用せねばならぬ程の法制度上、法運用上の矛盾は多くないように思われる。(中略)法制度には欠陥がないと信ずる者は、恩赦を否定する。私自身、人間が造り、人間が運用する法制度をそれ程に信用しているものではないから、恩赦を絶対に認めないなどいう硬直した考えをもつ者ではない。ただ、安易にそれを用いることに対して、多大の疑問を抱くものである。

 そして、栃木は当時と現在の最も大きな違いとして、裁判員制度を挙げる。

「今とは時代が違うと私が申し上げた理由は、平成21年5月に施行された『裁判員法』、正式には『裁判員の参加する刑事裁判に関する法律』です。この法律は国民のなかから選任された裁判員が刑事訴訟手続を進めるために、裁判官と一緒になって審理する法律です。この法律が施行されてからは裁判員の方たちの刑事訴訟手続きに関する理解が深まり、裁判というものが合理的かつ法令の適用が市民感覚でも納得できるという現実感が醸成されたと思います。

 刑事裁判で最も重い量刑である死刑を選択することもあるわけで、この重大な判決に、裁判員自らが参加することは精神的な負担、プレッシャーが強い。合議で死刑を言い渡すとしても、審理は慎重になるはずです。考え抜いた末の結論が死刑となれば、被告人の罪状も充分認識したうえでの死刑の選択である以上、死刑囚に対して政令で恩赦を認めることについては、納得しないのではないかと思います。それこそ、なんのために苦渋の死刑を選択したのかと、裁判員制度そのものを批判する人も出てくるのではないですか」

時代とともに変化する法の運用

「現実の問題として死刑囚の恩赦は、現在の世間一般の感覚では非現実的な法の運用ではないかと思います。昭和天皇大喪恩赦のときには、政令恩赦は実行されていません。また、法の運用も、時代とともに変化してきているわけで、昭和27年(1952)当時の平和条約締結恩赦で死刑囚が減刑されたというケースなどは、稀な事案でした」

 栃木は検察の世界でその人生の大半を過ごしてきた。検察官として、刑事裁判で最も重い量刑である死刑求刑に携わったこともある。

「私が死刑求刑に直面したのは、一連のオウム真理教の事件に関与した井上嘉浩(確定死刑囚)に対してだけです。検事も究極の刑罰である死刑に対しては、事件・捜査記録を徹底的に精査して、慎重の上にも慎重を重ね、細心の注意を払って死刑を選択するものです。死刑は想像できない、本当に重大なことです。絶対的な確信がなければ、求刑できません」

 その死刑を恩赦によって減刑するという制度が、現代とそぐわない面もあるのかもしれない。

「現在は戦後の混乱期とは異なり、法律が整備されていますから、恩赦によらずとも対応できる事案が多い」

 栃木は「恩赦と死刑囚」の関係について、率直で忌憚のない意見を聞かせてくれた。検察官生活が長く「罪人を罰する」立場で仕事を続けてきた栃木は、恩赦という制度については、時代に即した変革、そして国民が納得する形での運用が必要との見解であった。

「恩赦は刑事政策的観点から行うべき」

 そして栃木は、「恩赦についてはこれが参考になるはずです」と言って、彼の恩赦課長時代の大先輩だった「中更審」委員長の石原一彦が、『法律のひろば』(141号)に寄稿した論考を薦めてくれた。以下、引用する。

 恩赦は、司法権による裁判に関し、行政権により裁判の内容を変更し、その効力を変更若しくは消滅させ、又は国家刑罰権を消滅させるものである。国家は法秩序の維持、市民生活の安定確保のため刑罰権を持つ。この刑罰権は、裁判により適正に具体化され、具体化された刑罰権が検察、矯正、保護等の機関により有効に発現されることが前提とされており、そのための対策が刑事政策と言われる。

 恩赦は、国家が保有する刑罰権を否定又は減殺するものであるが、適正有効な刑罰権行使が国家存立の前提とされている以上、恩赦もまた、刑事政策の一環として行わなければならない。

 君主制国家において恩赦が君主の仁慈恩恵によって行われた時代を脱却し、近代国家になって、恩赦は刑事政策的観点から行うべきであると言われるのは当然の事理と言えよう。

 したがって、恩赦は、国家刑罰権の実現行使につき通常予想された事態に重大な変更を加える必要の生じたときに行われるべきものである。

 石原も恩赦が、君主国家においては「国民に対する君主の仁慈思想」によって発布されていたのは、前時代的な「救済措置」との見解をもち、対して戦後の「恩赦制度」は刑事政策的な観点から実施することを主唱している。また、司法権に対する「行政権」の行使は「恩赦制度」が国家の刑罰権を無効にする権限を、内閣に与えられていることに対して疑問を呈している。さらに、「恩赦」の実施は刑事政策としての法整備を充実すべきであるとも説いている。

 石原が「中更審」委員長を拝命した時代の国家的な弔事は「昭和天皇大喪」恩赦であった。その「恩赦」の実施に際し「皇室と恩赦」の関係を次のように論じている。

 皇室の慶弔時に際しての恩赦実施の可否は、今後における皇室と国民の間の親和状態いかんに帰着するであろう。皇室の慶弔が国家的事象と評価されるか否かが前提となるからである。

国民の「不快感」はどこに向けられるのか

昭和天皇大喪」恩赦から、およそ30年近くが経過した。石原は「恩赦実施の可否は、今後における皇室と国民の間の親和状態いかんによる」と指摘している。2019年、皇室ではふたつの慶事が重なることで恩赦も実施されるであろう。だが、その恩赦の具体的な内容については極秘である。もし、「死刑囚」の恩赦が実施されたとしたら、国民は「皇室」に対して不快感を示すのであろうか? それともその矛先は、恩赦の決定権を持つ内閣に向かうのだろうか?

「皇室と恩赦」の関係は、“象徴”としての天皇となった今日においても、「天皇の国事行為」として憲法で定められている。その法的な整合性について、どう理解すべきか。それは、恩赦という制度が私たちに投げかける、最大の課題といえるかもしれない――。

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